♪25 天使と悪魔が
「……コガさんじゃありません」
ふてくされたような、拗ねたような、それでいて不満を滲ませたような声で、
「コガさんじゃないのか?」
とすると、テレビ、あるいは雑誌の影響……?
晶が読む雑誌といえばギターの専門誌がほとんどで、男女のお付き合いに関するような情報が載っているとは思えない。
しかし、そういえば晶はテレビを見るのだ。とはいえ、映画や自分が出ている朝の情報番組、それから自分達の曲が使われたアニメ程度ではあるのだが。なのでもしかしたら、彼女の好きなホラー映画にそんなシーンがあったのかもしれないし、『シャキッと!』で『女性が主導権を握ろう!』みたいな特集があったかもしれないし(そんな記憶はないけど)、そういや『歌う! 応援団!』はあれで意外と恋愛要素の多いアニメである。
まぁ、確かに。
先ほどちょっと口を滑らせてはしまったが、アキの方から色々してくれるというのはかなり嬉しい。そこは否定しない。しかし、正直言って不安しかないし、何だか罪悪感が半端ない。
何の影響でも良いじゃないか、本人がしたいと言っているんだから。アキだぞ? あのアキが自分から「します」って言ってるんだ。これを逃せばきっと、いや、絶対にもうチャンスは来ないぞ?
――と、悪魔の声。
いーやいやいやいや! 何を言ってるんだ章灯。まずはアキがどうしてそんなことを言い出したのかをきちんと突き止めることが重要だ。今回はコガさんじゃないかもしれないが、絶対何か理由がある。それを無視して自分の都合の良い方に流されるなんてそんなのただの獣だぞ?
――と、天使の声。
天使と悪魔、章灯がどちらの声に耳を傾けるかなど明白である。
彼は深呼吸をして心を落ち着けると、少しだけ声を低くして問い掛けた。
「――アキ、どうしたんだ?」
軽く首を傾げ、晶の顔を覗き込むと、彼女はきまり悪そうに目を伏せた。
「その……、年下でも……甘えてばかりではいけないと思って……。ここぞという時には……その……リードしないと、と……」
「成る程。で、その情報源は……?」
「カナちゃんです……」
「成る程……。確かにコガさんではないな……」
これですっきりしたと、章灯は安堵の息を吐き、晶の頭をわしわしと撫でた。彼の諭すような低いトーンでの物言いも、その撫で方も、何だか子ども扱いされているようだと晶の方ではかなり不服ではあったのだが。
「まぁ、確かにさ、甘えてばかりってのは良くないだろうし、ここぞって時に引っ張ってくれるのも良いことだと思う」
「……はい」
「けど、アキは大事なことを忘れてないか?」
「大事なこと、ですか?」
章灯の言葉に晶は顔を上げた。
「たぶんさ、それってカナちゃんが、アキが男だと思ったからそう言ったんじゃないのか?」
「え? ……あっ」
「まぁ別に男だからどうとか、年上だからどうとかって決めつけるわけじゃねぇけど、あれくらいの年の子ならさ、男の方からぐいっと引っ張ってほしいって思うもんなんじゃねぇのかな」
あれくらいの年の子、と括ったのは、章灯の周りには自分でリードしたいと豪語する女子達が少なくないからである。バリバリと働く女子アナ達の中には『稼いでくれる男を探すより、自分で稼いだ方が早い! 私が養うわ!』という考えの者が案外多かったのだ。
「――それに俺は、可愛いお前を甘やかしていたいし、年上らしくリードしていたいんだよ。普段も、それから――ベッドの上でも」
章灯は晶の頭を抱えるようにして彼女の肩の上に顎を乗せてそう言った。それは、こんな恥ずかしい台詞のせいで赤くなり始めた顔を隠すためだったのだが、晶の方にしてみれば、そんな『吐き出した本人が顔を隠すほどの台詞』を『諭すような低いトーン』で囁かれたのである。しかも、耳元で。
一撃必殺。一発KOであった。
慣れないことをしようとした緊張に加え、章灯の『止め』で、晶の身体はぐらりと後方に倒れた。
「すみません……。本当に、すみません……」
章灯のベッドの上で、晶は真っ赤な顔で鼻の詰め物を隠すようにタオルケットを目元まで引き上げている。
いまではすっかりおなじみとなった『鼻血』である。
さらに『発熱』のおまけ付きで。
「気にすんな。あれ部屋着だったし」
肩の辺りに晶の血が染み込んだTシャツは軽くもみ洗いしてから洗濯機に放り込んだ。どうせ捨てるのだが、血まみれのTシャツをそのまま捨てるのは、何か事件の香りがして物騒な気がしたのである。
冷蔵庫に冷却シートが入っていて良かったと章灯は思った。
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