♪18 梗子と要
「あたし、向こうの高校に行きたい!」
一家団欒の夕食時に梗子がそう言いだしたのは中学2年の5月のことだったという。その頃の
いまさら継母だって知らされても、俺は全然気にしねぇし! などと強がってみたものの、それでもずっと母だと思っていた人間が、実は血の繋がりなど欠片もない他人だったという『事実』は彼の心に暗い影を落とした。だから、というわけではなかったが、彼は実家にあまり連絡をしなくなっていた。
彼が上京すると聞いて一番寂しがっていたのは末の弟で、妹の梗子もすぐ下の弟も「そんじゃ東京に遊びに行く時は兄ちゃん家泊めてね!」とあっけらかんとしていたものである。しかしそれはもちろん叶うことはなかった。何せその頃の彼には既に『家庭』があったからである。ちなみに両親はもちろん弟妹達も彼に2人の『娘』がいることなど知る由もない。
さて、先の梗子の発言であるが、果たして『向こう』とは一体どこなのか。両親はほぼ同時に「向こうってどこだ(よ)?」と尋ねた。揃って首を傾げる両親と弟達の顔をゆっくりと見渡してから、梗子はにんまりと笑った。
「アメリカ!」
「アメリカの高校ですか。それはまた……」
すっかり空になった湖上のグラスに緑茶を注ぎながら、
「なぁ……。アイツは何ていうか……まぁ、そういうやつなんだ。結局、両親の説得で地元の高校に行ったんだがな。これからは英語が話せないと通用しない! って鼻息荒くしてよぉ、英会話習い始めたりしてな」
「向上心があって良いじゃないですか」
なぁ、といつもの癖で
「んでまぁ、結局、短大も地元のに行ったはずなんだが、そこで何つーんだ? 交換留学? 何かそんなやつに選ばれたんだか志願したんだか知らねぇけどよ、とにかくアメリカだかカナダだかに行ったらしいんだわな」
「コガさん、情報がふわっとしすぎですよ。実の妹さんでしょうに……」
緑茶を一口飲み、章灯が苦笑する。湖上は照れ臭そうにつられ笑いをした。
「だってその頃は『愛する』我が子の子育てで大忙しだったからよぉ。ぶっちゃけそれどころじゃなかったんだよなぁ」
晶を見ながら『愛する』を殊更強調すると、彼女は恥ずかしくなったのか湖上から目を逸らした。
「まぁ俺のことは置いといて……。で、確か就職自体はこっちだったと思ったんだけどよ、
「へぇー、シアトルですか」
梗子の仕事の都合でシアトルに住み始めたのはカナが9歳の時であった。3年間という話だったから、もし万が一、少しくらい期間が延びたとしても高校受験には間に合うはずだった。
それなのに、1年延び、2年延び、気付けはシアトル暮らしも6年である。高校だけは絶対に日本! と主張していたカナであったが、母一人子一人という環境であることもあり、離れるのが怖かった。うんと幼い頃に数回しか会ったことのない祖父母や叔父達を頼るのも気が引けたし、それ以外の親戚もわからない。父は彼女が2歳の時に家を出てしまったので、顔もわからなければどこにいるのかもわからない。
結局、カナは泣く泣くシアトルのハイスクールに通うこととなったのだが、彼女はそれでも諦めきれず、帰国子女を受け入れてくれる高校を探した。それも、実家のある新潟ではなく、東京で。
東京に引っ越すことになってしまった親友と約束したのだ。絶対にあたしも東京に行くから、と。
いや、親友というのは語弊があるかもしれない。確かに誰よりも仲の良い友人ではあったが、カナの中には友情よりも愛情が芽生えていたと思う。それは恐らく、彼の方でも。
受け入れ校をピックアップしたカナは、実際に見に行こうと思った。そうなると一泊二泊程度の滞在では足りない。出来れば一週間。欲を言えば観光もしたいから二週間は滞在したいところだ。母親にはハイスクールのカリキュラムの一つでホームステイがあるのだと嘘をついた。厳密にはホームステイのカリキュラムはあるのだが、本来は来年の予定である。物事を深く考えない梗子は二つ返事で了承し、チケット代とホストファミリーへのお土産を手渡し、彼女を送り出したのである。
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