♪16 どっちで行けば

「アキ、仕度出来たか?」


 14:00である。

 そろそろ家を出なければと、章灯しょうとはノックを3回してからゆっくりとあきらの部屋のドアを開けた。彼女はいつも通りに雑然とした部屋の中で、大量の服に囲まれ、呆然としていた。その様子はさながら鳥の巣の中に取り残された雛である。


「アキ……?」

「あの……どっちで行けば……」

 

 どっちで。

 つまり、『男』で行くか『女』で行くか、ということだ。


『アキに紹介したいやつがいる』


 つい1時間ほど前に湖上こがみから晶に届いたメールには、簡潔にそれだけが書かれていた。


 その10分前までは何とか強い気持ちで頑張ろうという意気込みが感じられた晶は、そのメールを受信してからすぐ自室に引っ込んでしまったのである。


「とりあえず、『男』の方で良いんじゃないか? 『女』から『男』へ変わるのは厳しいけど、『男』から『女』に変わるんなら何とかなるだろうし」


 ちょっと冷静に考えればわかることだ。

 章灯から、これから正式に紹介されるであろうその『女の子』はどうやら自分のことを知らないらしいと聞かされているのである。事情を知らないのであれば、『男』のままで通すのか、はたまたこちらもきちんと手の内を見せた方が良いのかは、話の流れを見て判断しなければならない。その判断は湖上や章灯に任せるとしても、まずは見ためをどちらともとれるようにしておく必要があるだろう。男性が女の恰好をしていれば、『変態』のレッテルを貼られてしまいがちだが、女性が男の恰好をしていても『ボーイッシュ』という便利な言葉があるのだ。


 章灯の言葉で晶はハッとした表情になり、「そうですね」と小さく呟いた。


 結局、グレーのカラーパンツに白Tシャツ、その上に5分袖の黒いシャツを羽織っていくことになった。からりと晴れた爽やかな5月の空の下を歩くのには似つかわしくない何とも暑苦しい恰好だ。そんな燦々と降り注ぐ太陽の光を反射させるのは自分がオーナー兼デザイナーを務める『turn off the love』のシルバーアクセサリーである。

 お前は戦地に赴く部族か、と突っ込みを入れたくなるほどジャラジャラと、それはもうジャラジャラと。


「……アキ、もう少しカジュアルに行こうか」


 お前はその拳で娘さんをどうする気なんだ。

 それともその腰のチェーンでコガさんを絞め殺す気か?


 そう言いたくなるのをグッとこらえてオブラートに包みまくり、ぼやかしまくって提案すると、彼女はまたも「そうですね」と一言。


 素直に指輪とチェーンを外したのを見て、章灯はとりあえず安堵する。首に巻いたチョーカーだけはそのままにし、家を出たのは14:30のことであった。



「おぅ、いらっしゃい」


 普段と何ら変わらないテンションの湖上が出迎える。黄色いエプロンを装着しているところを見ると、家事をしていたところだったのだろう。


「お邪魔します」


 そういえばコガさんの部屋に上がるのは初めてだ。


 章灯はそう思いながら、きちんと整理された玄関で靴を脱ぎ、揃えた。章灯の後ろで隠れるようにして立っていた晶もまた、彼に倣って靴を揃える。

 部屋の中は何だか甘い香りが漂っていた。


 ルームフレグランスとはまた違う……これは何だ?


「この香り……」


 車内でもずっと沈黙を保っていた晶が口を開く。その声を聞き付けた湖上が彼女の方を見て、気まずそうに笑い、「後でな」と、冷蔵庫を指差した。


 中央のガラステーブルには今回の主役――というか、台風の目が大きな瞳をキラキラさせながら行儀良く正座している。その視線の先にいるのはもちろん晶だ。彼女はこの『イケメン』が紹介されるのをいまかいまかと待っているのである。


「アキはそこに座れ。章灯はその隣だ」


 およそ4人用とは思えない大きさのテーブルだったのだが、湖上はカナの向かいに晶を、そしてその隣に章灯を配置した。そして4つのカップを乗せたトレイを持った湖上がカナの隣に座る。


「そんじゃ、まぁ、メンバーも揃ったっつーことでな」


 湖上がそう切り出す。晶は膝の上に置いた手を固く握りしめた。章灯はその手をとってやりたい衝動に駆られたが、さすがにそれは出来ない。


「アキ、いままで黙っててすまん!」


 一歩下がって床に手をつき、半ば叫ぶようにしてそう言うと、湖上は勢いよく頭を下げた。突然の出来事に隣にいるカナも向かいにいる晶も眼を丸くしている。そんな中で章灯はというと――、


 まぁ、そう来るだろうな、と思っていた。


「ちょっ、ちょっとぉっ!?」

「どうしたんですか、いきなり」


 各々のテンションで狼狽える女性陣の視線をたっぷりと受け止めてから、湖上はゆっくりと頭を上げた。


「アキ、紹介するな、こいつは俺の妹の娘のかなめだ」

「妹さん……の?」

「ほんで、要、こいつは俺の『子ども』の晶だ」

「はぁ~? 伯父さんの子ぉ~?」


 蚊帳の外にいる章灯は完全に口を挟むタイミングを逃し、カナと湖上を交互に見つめ、口をパクパクさせていた。

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