12/25 Christmas・中編

「そうそう康介。アンタあたしの目の前で何する気よ」

「いや、俺は良いと思うな。兄ちゃんってモテるけど女の趣味悪いんだよなぁ。だったらいっそみぎわちゃんとくっついてくれればさぁ」

「ああぁもう、うるっさいなぁ! 何で多香たか姉も壮介もクリスマスなのにいるんだよ!」

「そんなのそっくりそのまま返すわよ。仕方ないじゃない、彼氏あっちが仕事なんだから」

「俺もー。クリスマスは昨日済ませちまったし。まぁ、うるさい緋呂ひろ姉と志麻しま姉がいないだけマシなんじゃねぇ?」

「え~? 緋呂さんと志麻さんいないんですかぁ~?」

「そうなのよ、ごめんね、さーちゃん。今日は2人共夜勤なのよ」

「何だよ、仕事じゃねぇか」

「何だなんて言ったら2人共怒るぜ~?」

「言うなよ、壮介」


 ヒヒヒと笑う壮介をぎろりと睨みつけ、木崎康介は口を尖らせた。もちろん彼の方でもこの状況で真剣に明花さやかを口説こうだなんて微塵も思ってはいない。


 墨田区にある築45年の一軒家。それが木崎康介の実家である。家族構成は5歳上の多香、緋呂、志麻という三つ子の姉に、3歳下の弟壮介。両親は彼が高校生の頃に揃って蒸発した。幸いにも姉達は既に皆看護師の職に就いており、親のいない寂しさを除いては生きるのに不自由を感じたことは無い。弟の壮介は栄養士として志麻の勤める総合病院に勤務しており、木崎家の台所は彼の管轄である。


「壮介君のおかゆ美味しい。胃に優しい~」

「ありがと。そうやって美味しそうに食べてくれるの、もう汀ちゃんだけだよ。姉ちゃんも兄ちゃんもガツガツ食い散らかして『ごっそさん!』だもんなぁ」

「木崎家の皆は幸せだよね、毎日栄養までばっちり考えたご飯なんでしょ? 木崎君のお弁当、いっつも彩もきれいで美味しそうなんだよねぇ」

「俺は汀の買ってくる油ギットギトのハンバーガーがたまに羨ましいけどな」

「そっ……そこまでギトギトじゃないもん!」

「何だよ汀ちゃん、そんなの食べてるの? ダメダメ、いまは良くても後からガクッてくるよ、そんな食生活してたら」


 明花の真向かいに座った壮介が、眉間に深いしわを刻んだ険しい表情でずずいと身を乗り出す。


 こうなると長いぞ。


 康介は多香と目を合わせ、ほぼ同じタイミングで小さくため息をついた。


 2人にとっては耳にタコが出来るほど聞かされた話でも明花にとっては大変ありがたい『アドバイス』だったようで、時折ふんふんと頷きながら真剣に耳を傾けていた。

 壮介の話が一段落し、ちょっとトイレと席を立った隙に、今度は自分の番だと多香が明花のグラスにビールを注ぐ。


「で? さっきの続き続き。えーっと山ちゃんだっけ、例の先輩」


 既婚者だらけの職場にいる多香は、久し振りの恋愛話に声を弾ませた。彼女が務める個人経営の循環器クリニックは医師だけではなく看護師の腕も良いのが評判で、だからというわけでは無いのだろうが、一番年の近い同僚でも9歳上である。多香はとにかく若い女の子との『恋バナ』に飢えていた。


「ガンガン押しちゃいなよ。さーちゃん可愛いんだしさぁ。朝の番組でもずーっとコンビだし、相性良いと思うんだけど」

「そうなんですけど……」

「もう結構ガンガン押してんだよなぁ。先輩いっつもすげぇ困ってんじゃん」

「何? こーんなに可愛いさーちゃんに押されて、何で困ってんのよ! もしかして山ちゃん、の人?」

「おいおい、憶測でものを言うなよ。そんなわけないだろ。いるんだよ、ちゃーんと本命が」

「そうなの!?」

「そうなの!? 木崎君!?」

「……ぅおっ! い、いや、俺もはっきり聞いたわけじゃないけど……。いつだったかバレンタインに本命から貰った……的な……話を……」


 明花は大きな目をカッと見開き勢いよく顔を近付けたが、康介が言葉を発する度に徐々に萎れていき、最終的にはほんのりと温かい炬燵の天板の上に左頬をぺたりとくっつけて、「ほあぁぁぁぁああ」という声付きの長いため息をついた。


「やっぱりいるんだぁ……」

「さーちゃん……。ちょっと康介! 他にいないの? 誰か紹介しなさいよ! 山ちゃん以上の男!」

「先輩以上って……」


 だから、俺で良いじゃねぇか。


 ふとそんな言葉が浮かび、康介は慌ててかぶりを振った。


 さっきのはちょっとした冗談だから、冗談。別に本気で口説こうなんて思っちゃいねぇし!

 俺は単なる同期で、こいつの良き相談相手というか、愚痴処理役というか。


「――だからさぁ、もう兄ちゃんで良いじゃん、汀ちゃん。兄ちゃんとくっついてくれたら、俺の飯、毎日食えるぜ?」


 トイレから戻って来た壮介が、一体どこから話を聞いていたのか、のん気な顔をして割り込んでくる。


 馬鹿野郎、壮介。食いもんで釣るんじゃねぇよ。

 良いか、こいつはな、ただの同期で、俺は仕事の相談を受けたり、愚痴を聞いたりしてだな、朝まで飲んで騒いだり、隣ですっぴん晒しながら雑魚寝してても全然気にならないし、そんで気持ち悪いーって起こされて慌ててトイレに連れてって、滝のように吐き出されるゲロを見ながら背中をさするような間柄なんだ。全く色気のある展開になんかならねぇし、これっぽっちも欲情しねぇんだからな!


「……それ、ちょっと魅力的かも」


 頬をつけたままの明花は、いつの間にか泣いていたようで、鼻をずずずと軽く啜ってから少しだけ笑った。仕事でも見たことのない泣き笑いの表情にどきりとする。


「……壮介の飯に釣られてんじゃねぇよ」


 呆れたような声を発してティッシュの箱を目の前に置き、その表情が視界に入らないようにした。何だかいまの顔は心臓に悪い。そう思った。


「鼻水垂れてんぞ」


 そう言ってから立ち上がり、空になった自分のグラスを持って台所へと向かった。


「落ち着いたら駅まで送るから。明日も早いだろ」

「え~? 泊まっていきなよぉ、さーちゃん。服も化粧もあたしの貸すからさぁ」

「そういうわけにはいかないだろ。俺んちから出勤とか、誰かに見られたらどうすんだよ」

「それなら送っていくのも一緒だと思うけど」

「……朝帰りの方が生々しいじゃん」

「わかったわかった。そんなにムキになりなさんな」


 野良犬を追い払うかのように手を振って、不服そうな表情の康介を追いやると、多香は赤い顔で鼻をかんでいる明花にそっと耳打ちした。


「さーちゃん、康介あいつ、意外とマジみたいだわ。前向きに検討よろしく」

「……多香さん?」

「不束な兄だけどさ、俺からもよろしく頼むよ、汀ちゃん。俺の飯目当てでも良いから」

「……壮介君まで?」

 

 

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