12/25 Christmas・前編

「明けましておめでとうございます!」


 師走の漁港である。

 鮮やかな晴れ着を身に纏い、みぎわ明花さやかはカメラに向かって声を張り上げた。


 彼女の前に置かれた長テーブルには水揚げされたばかりの魚介類と、それらをふんだんに用いた馳走の数々がところ狭しと並べられている。

 隣に立つのは、卸売場に併設された食事処で『おっかあ』と親しまれている名物女性店員である。明花は、金歯を見せながら豪快に笑う彼女から料理の説明を受けつつ、湯気が消えないうちにそれらを口へと運ぶ。この手の収録で彼女がミスをすることなどほとんど無いため、腹はまだまだ余裕がある。全ての料理を美味しく味わうことは出来そうだと安堵した。

 しかし――、


 しかし今日は正月ではないのである。


 ぴんと張りつめた空気の中を緩んだ顔で歩いていく人々は、今日がイエス・キリストの産まれた日であるということをきちんと認識しているのだろうか。よもや、チキンやケーキに舌鼓を打ち、家族や恋人からプレゼントをもらえる日だなんて思っている不届きな輩などおるまいな――。


 収録を終えて局に戻り、私服に着替えた明花は、更衣室の窓から見える通りのイルミネーションを見て大きくため息と、そして心の中で上記の悪態をついた。今日は日がな一日正月特番の食レポの収録があり、さすがの彼女の腹もパンパンである。この後恋人とディナーがあるのだとしても、もう肉一切れだって、別腹と名高いスイーツの類だって入りそうになかった。いや、そんな相手は残念ながらいないわけだけれども。


 好きな人ならいる。自分より2つ上の先輩である。

 正直なところ、第一印象はあまり良くなかった。見た目は良い。背も高くてスタイルも良い。しかし、とにかく真面目で面白味のない人だと思った。それにいちいち細かい。


「汀さん、書類はファイルに入れてきちんと分類した方が良いよ」


 彼からの最初のダメ出しはアナウンスの技術的な部分ではなく、書類整理についてだった。


 そしてそれは書類だけにとどまらず机上整理全般にまで派生し、数ヶ月もの間、ほぼ毎日のように続いたのである。もちろん、数ヶ月も続いてしまったのは、なかなかそれを直さない彼女のせいなのだが。


「いや、何でもかんでも入れれば良いってもんでもないでしょ。ほら、ラベリングするとかさ。はい、インデックス。あげる」


「どうして昨日配られた資料がもう行方不明になってるんだ? ほら、俺のコピーとってきなよ」


「……うん、俺さ、汀さんはいつかやると思ってた。むき出しの書類の上にコーヒーぶちまけるとか。とりあえず、俺も手伝うから。大丈夫、パソコンの方にはデータ残ってるんだろ?」


「まぁ……引き出しの中まではさ、個人の自由だから……。でも、2日に1本ペースでボールペンが消えるって、それ本当に俺のと同じ型のデスク? 異次元に繋がってるんじゃない、それ?」


「汀さん、資料持って帰るのは良いんだけど、せめてファイルに入れてから鞄にしまおうよ。しわしわじゃないか」


「え――……っと、引き出しが閉まらないって、今月何回目だっけ?」

「……で、今度は引き出しが開かない、と。鍵なくしたの? え? 中で何かが引っ掛かってるだけ? 何だ。それじゃとりあえずそこの上段を先に外してさ。そう、鍵付きの。――え? 鍵もそこに入ってるの? えぇ――……」


 思い返してみると、これは酷い。

 よくもまぁ愛想を尽かされずにいままでやって来れたと思う。いまでも整理整頓は苦手な方だし、ちょっとでも気を抜くとすぐに書類を紛失してしまう。でも、だからこそファイルを色分けしたり、きっちりとインデックスを付けて目立たせるようにしたりと意識するようになった。業務中の飲み物は倒れても中が零れにくい蓋付きのタンブラーに入れ、コーヒーや紅茶など色の付いたものはデスクでは飲まないようにしている。そのお蔭で運気も上がり――というのは言い過ぎかもしれないが、それでもやはり必要なものが必要なタイミングですぐに用意出来る環境というのは自分の成長に大きく影響した。無駄な時間がなくなり、業務の効率が上がったのだ。


 だから、いまの自分があるのは、完全にその先輩の――山海やまみ章灯しょうとのお蔭なのである。


 彼に対する『いちいち細かく口うるさい先輩』という評価が『何かと自分を気にかけてくれる頼れる先輩』に変わる頃には、彼女もまた後輩を持つ『先輩』になっていた。そして自分も彼と同じようにやってみよう! と実行してみた時に気付いたのである。


 あれ? 自分の仕事が全然進まないぞ。

 先輩はどんなに自分に構っていても、きっちりと仕事はこなしていた。そのせいで残業をしているところなんてほとんど見たことがない。――いや、自分に付き合って残業してくれたことなら何度もあるけど。


 と。


 それに気付いた時、彼に抱いていた尊敬の気持ちがそのまま恋にスライドしたのだった。


 見た目も良く、

 周囲に対する気配りも出来、

 自分の仕事もそつなくこなす。


 こんな完璧な人間が極々身近にいて恋に落ちない方がおかしい。と、彼女は思うのだが、幸か不幸か、局内での彼の『男』としての評価はあまり高くないのだった。それは先述の『真面目』と『細かさ』がやはりネックになっているようで、女性陣が彼について語る時にはいつも「でも~」の後にその2つがくっついてしまうのである。


 しかし、それだけではないと明花は思っている。彼の評価を意図して『落とす』のではなく、結果的として『下げて』しまう要因は――、



「絶ッ対木崎君のせいだと思う!」


「――はぁ? 俺ぇ?」

「そう! 絶対そう! 木崎君がいるせいで先輩が霞んじゃうのよ! みーんな木崎君にキャーキャー言ってるし!」

「何だそりゃ。ていうか、クリスマスに予定がないっていう可哀相な同期に付き合ってやってる俺に対して、それは酷くない?」

「酷くない! 酷いのは木崎君だよ!」

「えぇ――……。面倒くせぇー、汀、酔うと面倒くせぇ――……」

「私は酔ってなぁい!」

「第一さぁ、そんな大大大好きな先輩がいる癖に、ほいほいと男の家おれんちに来るってどうなんだ。俺に何かされても文句言えねぇんじゃねぇの?」


 やけに真剣な眼差しを向け、ともすれば『口説いている』と思えなくもない、低く、甘い声で明花の長い髪に手を伸ばした彼に、彼女は呆れたような声を返す。


「まぁ、確かにここは木崎君のお家だけど。……それ、本気で言ってる?」

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