12/12 始まりの日・中編

 ……確かに。

 確かにアキは、世間一般の女子の感覚ってやつはほとんど持ち合わせていない。天高くそびえる美しいパフェや、繊細な芸術作品のようなケーキも、写真の一枚すら撮ることなくざっくりとスプーンやフォークを入れる女だ。いや、そのチョイス自体は実に女の子らしいといえるのだが。


 料理は抜群に旨い。そりゃあもう文句なんてつけようがないくらいに。

 ただし、その後の片付けは出来ない。その上掃除や整理整頓なんてやつも壊滅的だ。


 シャツのボタンを付けたり、ズボンの裾上げをすることも出来る。家庭科で習ったからとミシンも扱えるらしく(俺は忘れたけど)、案外仕上がりも綺麗だ。

 だけど、アイロンはじっくり当てすぎて半々の確率で生地をダメにしてしまう。いやいや、ミシンよりアイロンの方が簡単だと思うんだけど。


 足の爪はきれいにやすりまでかける。靴下に引っ掛かるのが堪らなく不快らしい。

 なのに、手の方はコンビニで買ったような無骨な爪切りで適当にパチパチと済ませてしまう。男の振りをしているとはいえギタリストだって『魅せる』商売なんだからもう少し気を遣っても良いんじゃないのか。


 別に家事が女だけのものとは言わない。爪の手入れだって然りだ。

 けれど、『女』というものをイメージした時に、それらをそつなくこなしていた自分の母親や、やけにそこだけは小綺麗にしていた姉を思い出してしまうのは事実だ。いや、別に俺はマザコンでもシスコンでもねぇけど!


 いままで付き合っていた章灯の彼女達は、まるで判で押したかのように、皆一様に、『オンナノコ』だった。つまりは、とにかく見た目が可愛らしいスイーツを所望し、それに手をつける前に写真をパチリと――何なら綺麗に手入れされたネイルもさりげなく添えて、といったような。


 好きだったのだ、そういう子が。可愛らしくて、わかりやすくて。とらえどころの無いもやのような未知の生き物に、手を伸ばせるほどの勇気も余裕もなかった。自分の中でうまくカテゴライズ出来ない人間と対峙するのが怖かったのだ。だけどいまはそんな過去の自分に馬鹿かと言ってやりたい。


 馬鹿野郎、何怖がってんだ。


 未知ってやつは、少しずつ解き明かしていく楽しみがあるもんなんだぜ、と。


 開く時をじっと待っている堅い蕾を、一枚一枚そっと剥がしていく。すると、その中には見たこともない上等の宝石が膝を抱えて鎮座しているのだ。ほんの少し怯えた瞳でこちらを睨み付けながら。

 けれど彼女は、自分がダイヤの原石だと気付いていない――というよりも、何なら泥の塊くらいにしか思っていない、そんな女である。しかし端から見れば360度どの角度から観察しても、ダイヤの原石どころか、ダイヤそのものにしか見えないというのに。


 だからといって。

 だからといってこの記念すべき日に何も無いというのもあまりに味気ない。

 せめて俺くらいは女扱いしたって良いじゃねぇかよ。


 ――どうする。

 時間ならあと1時間くらいはある。ちょっと走ればデパートの類だってあるし、こじゃれた雑貨屋もあったはずだ。


 行くか。


 そう思って章灯は立ち上がった。何を贈るかなんて全く決まっていないというのに、とりあえずそこにさえ行けばどうにかなるような気がしていた。逆に言えば、ここに留まるということが祝う気持ちやら何やらを一切合切放棄することと同義なように感じていたのだった。


 花……はダメだな。この後本日3つめの花束が出てくるだろうし、第一、正直なところアキはあまりそれを喜ばない。すぐに枯れてしまうのが悲しいとのことで、いっそ鉢植えの方が良いらしい。まぁあの部屋ではそれでもまともに育てられないような気がするが。


「……どこ行くんですか」


 自身の背中に投げかけられた明らかに寝起きとわかるような気の抜けた掠れ声に、章灯はびくりと肩を震わせて振り向いた。絶対に悟られないようにと言い聞かせながら笑って見せると、作り笑いは得意なはずなのにほんの少し頬が引き攣る。


「……ちょっとトイレ」

「鞄持ってですか」

「――え? え? あぁ、おう、一応な」

「私がここにいるのに盗難に合うとでも?」

「いや、アキ寝てたしよ」

「それなら、私の荷物も危険じゃないですか。ていうか、その状況ですとむしろ私が危険なのでは」

「確かに」

「買い出しですか」

「まぁ、そんなとこだ」

「さっきトイレって言ってたじゃないですか」

「ぐっ……」


 どうして今日はこんなにも食い下がるんだ。いつもなら「そうですか」で終了だというのに。いや、むしろ、あの状態から目を覚ますってのがそもそも有り得ない。


「一人にしないでくださいよ、に」


 拗ねたような声でそう言ってから、章灯が掛けたブランケットを顎の辺りまで引っ張り、あきらは小声で「これ、ありがとうございます」と続けた。


「こんな日って……」


 さらりと零れた彼女の言葉を拾ってみる。いくらそういうのに無頓着な晶でも、今日一日何度も『記念日』と言われればそりゃあ頭に残るもんだと納得する。


「大切な日です」


 そう言うと晶はぷいと顔を背け、その勢いで背もたれ側に寝返りを打った。彼女の背中がいつもより小さく見えるのはギターを持っていないから――それだけだろうか。


「そうだな、大切な日だ」


 今日、この日から始まったんだもんな。


 ゆっくりと彼女に近付き、その無防備な後頭部にそっと触れる。晶は少し身を震わせたが、章灯が彼女の頭を優しく撫でるとすとんとその力を抜いた。

 地毛が直毛の晶は人前に出る時も極力整髪料を付けない。柔らかな素の髪をその流れに沿ってさらさらと撫でる。髪に指を通すと、さっきかいた汗のせいかほんの少し絡んでいた。


 猫みてぇだな。


 無言でされるがままになっているが、彼にはわかる。彼女はいまの状態をかなり心地よく感じている。それは徐々に深くなっていく呼吸から容易に読み取れることではあったが。


 こりゃ寝るな。


 そう思いながら撫で続ける。もし晶が完全に眠ったら、その後はどうする。


 出掛けるか? こんな状態のアキを置いて。まさか、そんな。


「……アキ、今日終わったらな」


 半分……というより9割9分落ちかかっている晶の耳元でそっと囁く。彼女は「ふぁ……?」と寝ぼけた声を発した。


「ちょっと良いウィスキーとチョコレート買って帰ろうぜ」

「はぁ……わかりました」

「悪かったな、起こしちまって」

「いえ、大丈夫です。もしかしてさっき買いに行こうとしてたのって、それですか?」

「んー? まぁ、そうかな。せっかくの記念日だしよぉ、何もねぇのは寂しいだろ」

「何も無くたって大丈夫ですよ」

「あれ、アキは何もいらねぇ派?」

「そういう派閥があるんですか。でも、章灯さんがいれば、寂しくないです」

「……畜生。可愛いこと言ってくれるじゃねぇかよ。今夜覚えてろよ」

「覚えてろって……。怖いこと言わないでください」


 顔をしかめ、彼の方へ寝返りを打つ。眉根を寄せた表情のまま、晶は章灯を睨みつけた。


「寝かしてやんねぇからな」

「嫌です、寝ます」

「何でだよ」


 良いじゃねぇか、今日は俺達の『記念日』なんだぜ?


 そう続けようとして、章灯は晶に顔を近付けた。しかし彼女はいつの間にか固く目を瞑ってしまっている。


「厳密には『明日』ですからね、は」


「い……っや、いやいやいや! あれは俺の時計が進んでただけで、ちゃんと12日で受理されたじゃねぇか! それにさっきアキだって『大切な日』だって言ったじゃねぇかよ」

「そうでしたっけ」

「そうでしたっけって……、お前なぁ……」


 自分の発言くらいしっかり覚えとけよ。


 そう嫌味の一つでも言ってやろうかと思った。


 お前は記念日とかそこまで気にしないんだろうけど、せめて、俺達の『始まり』の日くらいはさぁ。


「……私も何も準備出来てないんです。ですから、今回だけはそういうことにしておいてください」


 頬を染め、口を尖らせ、最高に拗ねた声で、最高に可愛いことを言う。

 晶はそう言ったきり、また彼に背を向けた。


「準備って何だ?」


 しつこいくらいにそう問い掛けたが、結局彼女はリハーサルの時間まで口を開くことはなかった。


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