The Event 3(19××~20××)

12/12 始まりの日・前編

 『記念日』ってやつは女の大好物だ。


 そう教えてくれたのは5歳年上の従兄だった。


「良いか章灯しょうと、最低限押さえるのは『始まり』と『初めて』、それから『誕生日』の3つだ。これがキーワードなんだ」


 3つ、と言ったくせに、『初めて』についてはその後ろに『のデート』や『のキス』、そしてもちろん『のセックス』なんかがくっつくらしい。それなら3つじゃないじゃん、と異を唱えたが、キーワードってのはそういうもんだ、と一蹴されてしまった。


 『始まり』とは2人の関係が始まった日、つまり付き合い始めた日を差す。これくらいはまぁどうってことはないし、確かに記念すべき日だと思う。とはいえ、例えば『付き合って○日記念日』のような、何もそこまで刻まなくていいだろう、といったものは除くが。


 その上、クリスマスやらバレンタイン(男からしてみればホワイトデーだが)等々、国民的行事ももちろん外してはならない。何か面倒だなと思いつつも、歴代の彼女達から決まって「章灯ってマメね」との言葉をいただけるあたり、彼の教えは案外しっかりと根付いてしまっているらしい。


 だから、というわけではないにしても、自分達にとって今日はやはり特別な日だ。いや、ある意味、自分達『だけ』のものではなかったりもするのだが。


「ふはぁ……」


 あえて指定した小さめの楽屋の中、2人掛けのソファにだらしなくもたれ掛かり、章灯は大きく息を吐いた。


「午後の部、終~了~……」


 その向かいでは、対になっているソファで、やはり同じ体勢のあきらがぐったりとしていた。


「お~い、大丈夫かぁ、アキぃ~?」

「大丈夫です……」

「踏ん張れよぉ~。今日は俺らの『記念すべき日』なんだからなぁ~」

「わかってます……けど……」


 お互いに天井を仰いだまま、腹筋なんてまともに使っていないだろうと思われる気の抜けた声で会話をしている。


 そう、確かに『記念すべき日』なのだ。何せ本日12月12日は『ORANGE RODかれら』の結成日なのだから。


 昨年辺りまではたまたまアルバムのツアーが被っており、ライブの最中に2人の似顔絵なんかが描かれた特注のケーキがワゴンに乗せられて登場したりしていたのだ。そしてそのケーキを囲み、どうにか客席も入るように写真を撮って公式『SpreaDERスプレッダー』にアップするのが恒例である。


 しかし今年はタイアップ豊作年で、とにかくシングルを出しまくった。となるとアルバムのリリースも早くなる。ただでさえ、なるべくならシングルCDのタイトル曲はもちろん、カップリングも最小限にとどめて新曲をたくさん入れたい晶である。もういっそ、今年出した分を含めてタイトル曲だけを収録したベストと、カップリング曲だけを収録した裏ベストを出したらどうかと半分冗談で提案してみたのだが、それは絶対に嫌だと真顔で却下された。そこで止む無く、前作からそう間を置かずに1枚、そして、年が明けたらもう1枚出すという、ファンの懐的にも、また、作る側としても厳しいペースでの発売が決まった。


 晶が言うには、「曲は生ものですから、シングルを3枚出したら早くアルバムにしないと傷み始めます」らしい。


 章灯の方では、何がどう傷むのか正直なところ全くわからない。早く出そうが、少しくらい遅くなろうが、それは既にCDとして世に放ってはいるのだ。もし本当に『傷む』というのなら、その時点で既に腐り始めているだろう。そう指摘したこともあるのだが、晶としても章灯が納得するように説明するのは難しいらしい。


 もしかしてそれは、その時の流行りから外れてしまうだとか、忘れられてしまうのではといった危惧なのではないかと思う。そりゃあ音楽にも流行り廃りはあるだろうし、人々の記憶から忘れ去られるものもあるだろうけれど、それはきっとどんな名曲にも当てはまることだ。それに、流行に乗っているものだけが売れるわけでもなければ、忘れたと思っていてもふとしたきっかけでまたひょっこり思い出すものもあるのではないか。

 だから――、


 だからそんなに生き急ぐなよ。


 曲作りに没頭する晶はまるで何かに憑りつかれてでもいるかのようだ。胃の中にはカフェオレとチョコレートくらいしか入っていないが、頭の中は多種多様のフレーズでパンパンである。歩き始めた幼児のように、その重すぎる頭をぐらぐらさせながらお代わりを求めにキッチンへ向かう彼女の腰を支えたことも一度や二度ではない。


 しかしとにかく彼女の尺度ではフルアルバムリリースの条件として、


 1、前作から1年半以上空けない

 2、シングルCDのタイトル曲は3曲まで

 3、カップリング曲はタイアップがつかない限り入れない(その分ライブでは惜しげもなく演奏すること)


 この3つはどうしても譲れないのだった。


 そうなると新曲を10曲近く作らなくてはならず、大変なのではなかろうかと章灯は彼女の身を案じたが、それは大体が杞憂に終わる。一体どれだけの引き出しがあるのだろうかと首を傾げたくなるほど、新曲それは次から次へと生み出され、彼の元へ届けられる。心配していたのはこっちだったはずなのに、「すみません、章灯さん」と至極申し訳なさそうな表情で。


 だから前述の『作る側としても厳しい』の『作る側』というのは晶ではなく、どちらかといえば章灯のことであった。



 話が逸れたが、つまり今年の12月12日はツアーが被らなかったということで、気を利かせた(?)社長が「日頃の御愛顧に感謝して、ファンクラブイベントをやろう!」と提案してしまったのだった。それも、午前、午後、夜の部という3部構成である。そうすれば学生でも社会人でも参加出来るだろう、と完璧すぎる配慮をした結果がこれである。


 2時間ほど休憩を取ったら1時間で軽くリハーサルをし、夜の部が始まる。ファンは原則として午前午後夜いずれかのイベントにしか参加出来ないようになっているので、やる側としては3回目でも毎回フレッシュな気持ちで臨まなくてはならないのであった。それはもう金をとってパフォーマンスをする側としては至極当然のことである。


 そんなことを考えている間に、向かいのソファからは時折ふごふごと鼻の鳴る可愛らしい寝息が聞こえて来た。いくら小柄(男として考えるならば)な晶でも、本格的に仮眠を取ろうと考えればさすがに狭いソファである。それなのにこの安らかな寝顔。その線の細さと寡黙さからとにかく繊細なイメージを持たれがちな晶だが、こう見えて彼女は案外図太い。コンクリート打ちっぱなしの冷たい床の上でだって、身体が沈み過ぎるマットレスの上でだって、決して高級とはいえないオンボロ中古車のシートでだって割と難なく寝てしまうのだ。もちろん枕が変わったからどうこうだなんて騒ぐことも無い。むしろその辺を気にするのは章灯の方である。

 だから彼は、彼女にブランケットを掛けた後、再びソファの上に寝転がって、その可愛い寝顔をじっくりと堪能するに止めた。


 それにしても――……。


「記念日かぁ」


 ぽつりとそう呟いてみる。


 そういえばここ数年はツアー中だったから、自分がわざわざ何かを用意するということはなかった。それはまぁ今回にしても同じことなんだが。

 ケーキも用意されている。


 花束も、だ。

 夜の部の終了予定時間は21時。

 打ち上げも一応あるが、アキの体調を考えれば恐らくパスだろう。

 だから、帰宅後、ちょっとしたお祝いをするくらいは出来る。

 だって今日は――……。


 ……という点に思い至り、章灯は慌てて起き上がった。


 ――ちょっと待て。

 俺、何っっっっにも準備してねぇ――――……っっ!!!!


 章灯は頭を抱え、心の中で絶叫した。

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