♪25 make waves (終)

 名残惜しそうな湖上こがみを引き摺るようにして、長田おさだはさっさと出て行ってしまった。もしや自分が何かしてしまったのではないかと章灯しょうとは気が気ではない。


「なぁ、アキ――」


 俺何かまずいこと、と言いながら振り向こうと身体を捻った時、ふわりと柔らかなシトラスの香りが鼻腔をくすぐった。と思ったその直後、一層強いその香りと共に、あきらの身体が倒れかかってくる。


 そりゃあれだけ酔えばなぁ、と妙に舌足らずになっていた直前の晶を思い出し、章灯は苦笑した。そして、恐らく届いてはいないだろうと思いつつも「ほら、寝るぞ」と声をかけてから、晶を抱き抱えた。

 



「はぁ?」


 朝食に温め直した昨夜の残りをつまんでいる。

 間の抜けた声を上げる章灯の向かいに座る晶は、それが二日酔いの頭に響くようで、眉をしかめて額を押さえた。それを労りたい気持ちはもちろんあるのだが、さらりと落とされた爆弾に驚きを隠せないのも事実である。


「大丈夫か、アキ? ……あと、ごめん、もっかい言ってくれるか」


 晶からの「大丈夫です」を受け取った後で章灯はその『爆弾』をリクエストする。――さすがに威力は弱まっているはずだと信じて。


「ですから、『make waves』の作詞をお願いしたんです」 


「だ――誰に」


 そしてこれもまた二度目のやり取りだ。


「オッさんに、です」


 晶は額に手を当てたまま、顔をしかめている。それが二日酔いのためなのか、それとも彼女にとってはそう大したことでもないその話題を二度も繰り返したためなのかはわからない。


 やっぱ何度聞いてもダメだ。


 一度聞いているというだけでは、何のクッションにもならない。高層ビルの上から薄い和紙の上に落下したようなものである。


「だって、『ハヤカワ サキ』って――」


 気持ちを落ち着けるためにミネラルウォーターで喉を潤す。その名を口にしてから章灯は「あ」と短く叫んだ。


「サキってオッさんの奥さんの名前だ……」

「そうです。ハヤカワはきっと勇人はやと君から取ったんじゃないでしょうか」


 顔をしかめたままさらりと返す。すっかり空になってしまっていた晶のグラスにミネラルウォーターを注ぐと、彼女はぺこりと頭を下げてからそれを飲んだ。


「成る程、それでか。昨日のアレは……」


 俺が詞を書き始めた頃はコガさんと一緒になって朗読してくれた癖に。


 そう思って章灯は苦笑した。その様子を見て晶は怪訝そうな顔をして首を傾げる。


「章灯さん? 何が可笑しいんですか」

「ん? いーや、こっちのこと。なぁ、アキ、次のライブでは絶対『make waves』やろうな」

「……良いんですか? 一人称が『私』でも」

「良いって良いって。作詞者に悪いじゃねぇか、変えちまったら」


 そう言ってニィッと笑う。


 そうさ、せっかくなら――。


「アキ、これアコースティックにならねぇかな」

「出来ますけど。どうしてですか?」

「俺とアキが二人でやれる曲ならサプライズで出来るだろ?」

「サプライズですか」

「そうそう。あー、ライブ楽しみだなぁ」

「その前に新曲のイベントですよ」


 困ったような顔で晶が笑う。イベントってやつはただ演奏だけすれば良いというわけではないからだ。


「久し振りのゴールデン枠のタイアップだもんなぁ、白石しろいしさんも気合い入りまくりだよ」


 毎日どこかしらでイベントだもんなぁ、と言いながらハハハと笑う。そこで章灯は気付いた。晶がやけに真剣な表情でこちらを見ていることに。先程までのしかめ面ではない、真剣な表情で。


「私もですよ」

「へ?」

「私も気合いを入れて作りました」

「え? あ、おぅ……」

「私達の曲は絶対に負けません」


 まるで自分に言い聞かせるかのように、晶はもう一度「負けません」と言った。


 負けないも何も、俺らは誰とも競ってないじゃねぇか。


 そう言いそうになるのを堪える。やはりpassionに負けたことは相当堪えていたのだ。


「――そうだな。俺とアキが本気出したら誰にも負けねぇよ」


 だから一人で背負うなよ。耳元でそう囁き、背中を軽く叩くと、それがスイッチになっていたかのように、彼女の瞳から涙が零れた。



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