♪6 女の俺、男の私
「あの子、嫌いだなぁ~」
殺風景だったバックルームに導入された(というか、千尋が無理やり設置したのだが)真っ赤なラブソファに寝転んでいた千尋は、肘置きに後頭部を乗せ、後ろのデスクで作業中の
「あら? 私にはとても仲良さげに見えたけど?」
そんな千尋には目もくれず、郁は黙々と伝票を整理している。
「まっさかぁ~。ああでもしないとあの子毎日ここに通うかもでしょお?」
そう言うと、くるりと身体の向きを変えうつ伏せになり、肘置きに顎を乗せた。
「私の郁ちゃんに馴れ馴れしく触ってくれちゃってさぁ」
「妬いたの? 女の子に?」
クスリと笑って丸めていた身体を起こし、棚の上にあるファイルに手を伸ばす。しかし、あと一歩というところで届かない。横着して座ったままだったからだ。そう思ってデスクに手をつき、椅子から腰を浮かせる。そして再び手を伸ばした。彼女の手が目当てのファイルに届いたその時――、
「妬くさ」
その手を千尋が掴んだ。音も立てず、いつの間に、と郁は思った。
「悪い?」
優しく握った手を自分の口元に引き寄せ、軽く整えただけの爪先を甘噛みする。
「郁ちゃんは俺のだもん」
「……千尋」
甘噛みから口づけに変わったところで、郁は困った顔をしてその手を振りほどいた。
「グロスまみれよ。どうしてくれるの」
「あ――……」
「そういうことをする時は、いま自分がどんな恰好をしているのかを考えてからにしてちょうだい」
ウェットティッシュで指先についたグロスを丁寧に拭き取りながらぴしゃりと言うと、千尋はしゅんと背中を丸め、すごすごとソファに戻った。
その姿を見て、郁は苦笑しながらもう一枚のウェットティッシュを引き抜いた。そしてそれを持って、ソファの上で膝を抱える千尋の肩を叩く。
「……何?」
彼が振り向いたところで身を屈め、視線を合わせた。次の言葉を探してぽっかりと開いたままになっているその唇にウェットティッシュをあてがい、ゆっくりとグロスを拭き取る。
「『女の恰好の時は
「うぅ~~……」
「自分がどっちの恰好だったかも忘れちゃうくらい妬いてくれたってことで良いのかしら?」
「うぅ……」
「……私だって、『女』のあなたにこんなことするの、趣味じゃないのよ?」
優しく丁寧に拭き取られた唇はまだわずかにラメが残っていたが、郁は仕方ないわね、と呟いて自分の唇を重ね合わせた。
「――まぁ、千尋にしては上出来なんじゃないでしょうか」
カメラの手土産をつまみながら、ミルクと砂糖をたっぷりと入れたコーヒーを飲み、晶はため息まじりに言った。菓子を取る手が止まらないところを見ると、どうやらその焼き菓子はかなりのヒットらしい。
「上出来だよ、全く。彼は『女優』だ」
コキコキと首を鳴らして目頭を押さえる。今日は本当に疲れた一日だった、と背もたれに身を預けた。
「しかし、アキも覚悟しといた方が良いぞ。かなり強烈な子だからな。さすがにレコーディングは逃げらんねぇんだし」
「その前に打ち合わせですよ……」
まだ一度も会ったことがないというのに、
「そういやそうだったなぁ……」
「曲を書くだけでも大変なのに、プロデュースって……。一体何なんですか、プロデュースって」
晶は恨めしそうな顔で章灯を見つめる。その視線に、章灯はぶんぶんと首を振った。
「お、俺に聞くなよ! 社長だろ? 言い出したのは!」
「そうですけど……」
「いや、わかるけど……。まぁー、きっと社長はさ、これをきっかけにしてアキに一皮剥けてほしいって思ってるんだって」
「一皮……ですか……」
「そうそう。これを経験したらさ、俺らの方にも何かしらの良い影響があるかもしれねぇだろ?」
「あるでしょうか……」
「あるある。無駄な経験なんて一つもねぇんだって」
「章灯さんがそう言うなら……」
持っていたカップをテーブルの上に置き、章灯の肩にもたれかかる。アルコールが入っていないというのに、随分と上手に甘えてきたな、と驚く。
しかし――、
「――反則だ」
天井を仰いでライトの眩しさに目を瞑る。
「何がですか?」
「お前、それ、男物だろ」
「え? あぁ、そういえばまだ着替えてませんでした」
「ちっくしょう。油断させといてこれかよ」
そう呟いて、クエスチョン・マークを浮かべたままの晶の肩を抱いた。
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