♪5 メロメロスイカ
「いらっしゃいませ、
ゆったりとしたBGMの流れる落ち着いた店内に足を踏み入れると、紗世がふんわりとした雰囲気でにこやかに迎えてくれた。この声と笑顔で一日の疲れが雲散霧消していく気がする。いや、気がするだけなのだ。何せ、疲労の権化がここにいるのだから。
「あぁ、この子は――」
うんざりした様子の
「AKIさぁんっ! AKIさぁ~んっ!」
その『疲労の権化』はぴんと指を伸ばした両手を口元に当て、丁寧に塗られたグロスがぴかぴかと光る桃色の唇から甲高い声を発した。
すまん、逃げろ、アキ。
AKIさん、AKIさん、と言いながら店内を徘徊するカメラを目で追いながら、恐らくバックヤードにいるであろう
がくりと肩を落としている章灯に向かって紗世は小さくウィンクした。言葉こそ何も発さなかったが、それだけでも充分に伝わる。
――良かった、アキはもうここにいない。
とりあえずそのことに安堵した。
「SHOWさんっ! AKIさんいないじゃないですかぁっ!」
一通り店内を回り切った後でお目当ての人物に出会えなかったカメラは、さっきまでの軽やかな足取りとは一転し、苛立たしげにどすどすと音を立てて2人の元に歩み寄って来た。
「え……いや……その……」
どう誤魔化したものかと言葉を探していると、紗世が一歩進み出た。
「申し訳ありません。オーナーでしたら、ついいましがたお帰りになられたんです。急用が入ったみたいで」
紗世が深々と頭を下げると、カメラは腑に落ちないといった表情で腕を組んでいたが、ここでごねても仕方がないと思ったようで、自分自身を落ち着かせるためか、ふぅ、と勢いよく息を吐いた。
「紗世さん、騒がしいけど何か――」
そう言いながらバックルームの扉が開く。そこから出て来たのは晶と似た顔を持つ人物である。
「AKIさん! ――じゃない!」
「紗世さん、山海さん、この方、どなた?」
訝し気な表情でそう尋ねる郁に、章灯は深いため息を吐き出しながら「実は、アキの仕事関係で……」とだけ答える。すると郁と紗世は、お互いに顔を見合わせてから納得したように頷いた。
「初めまして。私、晶の姉の郁と申します」
にこりと笑ってそう言うと、カメラは「まぁ!」と声を上げて郁の手を取った。
「お姉様でしたか。道理でそっくりだと……。AKIさんって晶さんっておっしゃるんですね」
素敵な名前~、と言いながら、握った手をぶんぶんと振るカメラに愛想笑いをし、ちらりと章灯に視線を送る。
……あぁ、これはかなり迷惑がってるな。すみません、本っ当に申し訳ありませんっ! その気持ちを乗せて、ぎゅっと目を瞑った。
「郁ちゃーん、どうしたのぉ~?」
その言葉と共に、千尋がバックルームからひょっこりと顔を出した。全身は彼がひいきにしているブランド『PINK POISON』の新作で固められ、ミルクティー色のロングヘアのウィッグがふわりと揺れている。
「――あれ? つるたん?」
ぷっくりとしたジェルネイルが光る指先をうるうると輝く口元に当て、羽のようなつけ睫毛をバサバサさせる。
「つるたん……って……。知ってるの……?」
カメラは郁の手を放し、信じられない、といった顔で千尋を見つめる。
「えぇ~? 知ってるよぉ~? 『パラダイス!』デビュー前に茨城のローカルアイドルグループ『メロメロスイカ』にいたよね? 私はつるたんの方が可愛いと思うけどなぁ~」
カメラちゃんよりっ、と明るく言いながら弾むような足取りで近付き、さりげなく郁の前に立つ。そんななりではあるものの、『彼氏』として、びしっと郁を守ったつもりなのだろう。
「で? なになにっ? 晶君に会いに来たのぉっ?」
わざとらしい『可愛さ』なら、こっちだって負けてない。
――これは恐らく、いつもの3割増しだな。わざとやってるだろ、千尋君。
いつもはうざったく感じるその甘ったるい話し方も、今日は何だか余裕を持って聞いていられるのは、それよりも面倒な子を抱えているからだ。
毒を持って毒を制す、か。
そう思って章灯は苦笑する。
「そぉ~なのっ! せっかく晶さんと御近付きになれたから、一言ご挨拶をって思ったのにぃ~」
その場でパタパタと足踏みをするカメラに、千尋はさも可哀相、とでも言いたげな表情を作ってみせる。
「晶君ったら、つるたんをこんなに困らせてぇ、まーったく罪な人なんだからぁ~」
「ほんと! 罪なお方だわぁ~」
向かい合ってくねくねと身をよじらせる2人を、郁は冷ややかな視線で見つめる。主にその視線は己の恋人である千尋に向けられていたが。
「でもでもぉ、つるたん? 晶君って、ほんっとーにシャイだからぁ、突然押しかけちゃうと、つるたんのこと嫌いになっちゃうかもだよぉ?」
「えぇっ? それ本当っ?」
「ほんとほんと。だ、か、らぁ、仕事で顔を合わせる時にかるーく声をかける程度の方が、好印象だよっ。ね、郁ちゃん?」
ぱちん、とウィンクをすると、郁は困ったような顔で笑い、頷いた。
「そうね」
「わ……わかったわ……」
カメラは章灯の携帯を握る右手にぎゅっと力を込めた。
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