♪114 クロッカス

「あい、どうぞ」


 味のある渋い声が聞こえ、章灯しょうとは扉を開けた。


「失礼します。本日はよろしくお願い致します。ORANGE RODと申します」


 深々と頭を下げ、顔を上げると、人の良さそうな60代の男性が2人、こちらを向いて手招きしている。


「失礼します」


 再度そう言って、楽屋の中央に設置されたソファへと歩みを進める。あきらもそれに続いた。


「何や、あんちゃんほっそいなぁ」


 ちゃんと食うてる? と、にこやかに話しかけてくる。随分と気さくな方のようだ。


「ええ、結構食べてるんですけど……」


 苦笑しながらそう言うと、「何や、声も小さいのぅ。もっと腹から声出せぇ」と喝が入る。


「すみません!」


 姿勢を正して声を張ると、ギターを抱えた男・原田光利はガハハと笑い、「それでええんや、あんちゃん」と言いながら、ポロンポロンと愛器を爪弾く。


「で、後ろのあんちゃんは何や、しゃべられへんのか」


 ……まずい。


 やはり年配の方には晶がしゃべらないというのは伝わっていないようである。第一、こういうタイプはどんなに理由を述べたところで納得するかも怪しい。それでもダメ元で、と言ってみる。


「申し訳ありません、コイツはちょっと喉が弱くて、大きな声が出せないんです」


 また指摘されないように、しっかりと声を張ってそう言うと、それまで一言もしゃべっていない髭の男・佐原大輔は「あんちゃん、喉は大切にしぃ。俺の飴ちゃんやるさかい。本番まで舐めときや」と言いながら、ポケットをまさぐり、ほんのり温まったのど飴を晶に手渡した。


「ありがとうございます……」


 さすがに礼をしないわけにはいかず、精一杯の低い声でそう返す。


「ホンマに蚊の鳴くような声やなぁ……。歌うのんは君やな?」


 そう言って章灯の方を見る。


「はい、僕です。こっちはギターで」

「ほぉ、ギターか。ほっそい体で頑張るのぅ。もっと食わな、あんちゃん女と間違われるで」


 佐原が原田と顔を合わせてガハハと笑う。


「せや、確かに女みたいやな!」


 ……正真正銘の女だよ。


 心の中でそう思いつつ、力なく笑う。


「ほな、本番でな。頑張れよ、あんちゃん達!」


 元気良く送り出され、彼らの楽屋を後にする。


 何だかどっと疲れ、ほんの数時間前に来たばかりの自分達の楽屋が早くも恋しくなっている。

 精神的な疲れは、晶に癒してもらうか、などと考えながら廊下を歩き、自分達の楽屋のドアを開けると「おう!」という聞き慣れた声が聞こえた。


「お疲れぇ~」


 中央のソファにドカッと座り、にこやかに手を振っているのはサポートメンバーの湖上こがみ長田おさだである。


 ……この2人がいたんじゃ、アキに癒してもらうことなんて出来ねぇな。


「おう、どうした章灯。何か疲れてんな」

「どうしたどうした。本番はこれからだぞ? ――ん? よく見たらアキもぐったりしてんな」


 中年達は腰を上げると2人を――主に視線は晶に注がれていたが――取り囲み、騒ぎ出す。


「いや、ちょっとあいさつ回りを……」

「あいさつ回りか……。えーっと、今日は……MINAMIと、クロッカス……か」

「クロッカスって俺らが小学生の頃からいるよな、確か。おお、かなりの大御所じゃねぇか」

「はい、そうみたいです。何ていうか……パワフルなおじいちゃん達でした……」

「ああ、それでやられてんだな。呑まれてんじゃねぇぞ、章灯!」


 強く背中を叩かれ、章灯は声を上げた。

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