♪94 招かれざる客
会場入り口では係の者が整理券を配布しており、廊下の窓からその様子を見ると、どうやら定員は埋まりそうで胸を撫で下ろした。
何だか色々と順調だよなぁ。
控室で雑誌をめくりながら弁当を食べていると、ドアがコンコンとノックされ、若い男のスタッフが困り顔で入ってきた。
「あの……、湖上さんにお客様がいらしてますが……」
「客? 誰だろうな。とりあえず、ここはまずいから、ロビーに行くよ」
そう言って、腰を浮かせる。
「あの、それが……」
スタッフが言い終わらないうちに、ドアが勢いよく開けられ、小太りの女がにこやかな笑みを貼りつけて入ってきた。
「湖上さぁん、お久し振りですぅ」
見たところ、50代くらいだろうかと思しきその女は、けばけばしい化粧にムラのある茶髪で、ふくよかな身体を無理やり押し込めた真っ赤なツーピースはいまにもはち切れそうだ。
俺、最近この手のスナックには行ってねぇんだけどな。
「え――……っと、失礼ですけど、どなたさん……?」
それでもいつかどこかで知り合ったのかもしれないと、一応、低姿勢で対応してみる。
「あら、覚えてらっしゃらない?
「夕実……。ああ、冬樹さんのカミさんか。何だ、まだ離婚してなかったのか。あー、悪いけど、ちょっと席外してもらえる?」
湖困り顔で2人のやり取りを見つめていたスタッフに声をかける。すると、彼はその言葉で明らかにホッとした表情になり、深く頭を下げてそそくさと退室した。
夕実と名乗ったその女は何か勘違いしたのかくねくねと身をよじらせ、媚びたような視線で湖上を見つめる。
「何しに来たんだ」
相手が夕実となればどうしても愉快な話にはならないことぐらい容易に想像がつく。湖上はいかにも面倒くさげに足を組み、雑誌に視線を落としながらぶっきらぼうに言った。
「何しにってぇ、可愛い甥っ子がラジオに出るっていうから、わざわざ見に来たんですよぉ。いけませんかぁ?」
夕実は甘ったるく語尾を伸ばしながらしゃべる。
何勘違いしてんだ、この女。
「何度も言うがな、郁と晶は『アンタ』の甥っ子じゃねぇよ。抽選なのか当日券かは知らねぇが、来ちまったもんは仕方ねぇけど、ここで晶に会えると思うなよ」
「えぇ~? 良いじゃないですかぁ。ほら、お土産だって持って来たんですよぉ? ウチのオレンジ」
夕実は、ああ重い、と言って持参している紙袋の中身をちらりと見せてきた。
「重いなら置いて行け。オレンジに罪はないからありがたく受け取ってやるよ。俺はアンタが大嫌いなんでな。とっとと出てけ。だいたいここは関係者以外立ち入り禁止なんだよ」
さっきのスタッフはあの様子からして新人だろう。
まったく、とんでもねぇことしてくれやがって。
「ねぇ、そんなことおっしゃらないで。あの子達だってまだ若いんですもの、血の繋がった親戚は必要よぉ。それにね、晶はまだ良いとしても、郁の方はいま何をしてるの? こんな都会で人に使われるよりは、ウチの果樹園を継いだ方がよっぽど良いと思わない?」
……やっぱりそう来たか。
予想はしていたがやはり改心などしていないようである。
「それは、冬樹さんもそう言ってるのか?」
「もちろんよ。ウチもそろそろ跡継ぎのことを考えなくちゃならないし」
嘘だ。
目が泳いでいる。
「ほぉ。おかしいな。こないだ冬樹さんと話した時は、自分の代で閉めるみたいなことを言ってたがな」
夕実の目をしっかりと見つめたままニヤリと笑うと、彼女は明らかに狼狽しだした。
「ま……っ、まさか! ウチは県でも大手の果樹園なんですよ! それを閉めるだなんて、何を言ってるんですか!」
夕実は一生懸命平静を装って笑い飛ばして見せたが、その顔は引き攣っている。
「ま、あんたらの経営のことは俺知らねぇけどさ、郁は人に使われてなんかいねぇからな。経営者側だ。良かったなぁ、その辺は叔父に似なくてよ。お蔭さまで、繁盛してらぁ」
厳密には、晶に雇われている形だが、まぁ良いだろう。
郁の提案で始めたネットショップのお蔭で売り上げも好調だし、本当に冬樹に似なくて良かったと思う湖上である。
「とりあえず、出てけよ。警備員呼んでも良いけど、甥っ子の雄姿を見たかったら大人しく出てけ」
一段低い声でにらみながら言うと、夕実は「そ、それじゃ、また……」と言って紙袋を置き、そそくさと出て行った。
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