♪93 ため息の行き先
「はぁ……」
助手席に座った
「アキ、ため息つくと幸せが逃げていくんだぞ」
「そんなこと言われましても」
忠告したそばからまた小さく息が漏れる。
「あー、逃げていっちゃうなぁ。この分だと、もうあと2、3回で俺が逃げてっちゃうんじゃねぇのか?」
はははと笑ってちらりと隣を見る。晶はぷい、と窓の方に顔を向けた。
「いまは『男』ですから」
素直じゃねぇなぁ。
車内で2人きりって状況で、お前がそんなうまく切り替えられるわけねぇだろ。
案の定、
「……本当に逃げちゃいますか?」
顔を背けたまま、ぽつりと言う。
――ほらな。
「逃げねぇよ。心配だったらしっかり掴まえとけ」
ニヤリと笑ってそう言うと、晶は窓を見つめたまま手を伸ばし、章灯のシャツを掴んだ。こんなところ、ファンに見られたら大事である。赤信号で停まると、上着を脱いでその上に被せた。
彼の脅しが効いたのか、目的地に辿り着くまで、それ以降晶がため息をつくことはなかった。
「うっわ……結構いる……」
会場である『
まさかこれが全部観覧客ではないとは思うけど……。いや、まさかな。
今日は章灯のラジオ『It's SHOW time』の公開収録である。始まって早4ヶ月。何だかんだと評判は良いらしい。
晶は一言もしゃべらないものの、やはりいるのといないのとでは盛り上がりが違うだろうということで観覧客へのファンサービスのために同席することになっている。また、せっかく同席するのだから、と晶も参加出来るようなコーナーも設けることにした。
定員は300人。番組への応募で50人、それから当日先着250人で、番組内でも何度か告知はしたが、そんなに集まるかなぁ、と半信半疑だった。
だったのだが――。
人だかりを目の当たりにした晶が大きく息を吸った。無意識にため息をつこうとしたのだろう、肩の力を抜きかけたところでハッとした表情になり、慌てて口を押さえた。
「いまのはセーフ」
一部始終を見ていた章灯が笑うと、晶は気まずそうな顔で軽く頷いた。
「はぁ……」
控え室に入ると、一足先に会場入りしていた
「こっちのため息が治まったら今度はこっちか……」
独り言のようにそう呟く。
「――お、来たか。お疲れさん。定員埋まって良かったな」
湖上は2人を見てニヤリと笑った。その顔は何だかいつもより元気がないように見える。
「お疲れ様です。ほんと、ホッとしましたよ。やっぱりアキも同席するって言ったのが効きましたね」
そう言って晶を見ると、その場にしゃがんで早々とギターを取り出していた。
「ソッコー出したな」
「想定内でしたけど」
その鬼気迫った様子に湖上も章灯も苦笑する。
「……良いじゃないですか」
晶は俯いて口を尖らせた。
「良いけどさぁ。……なぁ、章灯、ちょっと小便行かね?」
「――え?」
1人で行けば良いじゃないですか、と言おうと湖上の顔を見ると、眉をしかめ何度も頷いている。
「……あー、俺もちょうど行きたかったんすよね。場所わかんないんで、教えてもらえます?」
晶がまだ下を向いているのを確認してからそう返す。
「アキ、1人にして悪いけど、ちょっとトイレ行ってくるわ」
そう言って湖上とそそくさと控え室を出た。
「……それで、何すか」
廊下に出て数m歩いたところで湖上に問いかける。どう考えても湖上が本当に連れションしたいとは思えない。
「悪いな。アキがいるところではちょっと」
「どうしたんすか」
湖上はさっきまでとはうってかわってやけに暗い表情である。
「……来てんだよ」
「何がですか?」
「……夕実が」
「夕実って誰ですか? もしかして……コガさんの……?」
彼女ですか、と続けたかったが、阿呆! と一喝されてしまう。
「アキの叔父の嫁さんだよ。こないだ俺が電話でぶちギレたやつ!」
「え? あ――……、あぁ! えっ、何で?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます