♪89 過去の女

「では、今回のシングルについてですけど……」


 真里はインタビューが始まると、がらりとその表情を変えた。

 最初の話題は来月発売するシングルについてである。質問内容については事前に聞かされているので、作曲者であるあきらの返答はあらかじめ用意してあるものを章灯しょうとが代わりにしゃべることになっている。


「頑なにしゃべらないって言うのは本当だったんですね」


 真里は感心したように呟いた。


 次の話題はファンサービスである私生活についてだ。これについては対話の中で質問していく形式のため、何が聞かれるかはわからない。ただ、もちろん晶については章灯が答えなければならないのだが。


 この手の質問がいちばん神経使うんだよなぁ……。

 何聞いてくるんだろ。知り合い元カノだからって際どいこと聞いてこなきゃ良いけど。


 そう思ってちらりと隣を見る。

 章灯のそんな気持ちを余所に、晶は淡々とギターを弾いている。


 本当にマイペースなやつだ。

 普段はギターを持っている場合でも構えているだけなのに、今日はずっと弾き続けている。

 やはり何か思うところがあるのだろうか。

 持ってるだけでは足りないような精神状態、というような。


 しかし、業界内では晶の奇行についてはある程度知れ渡っているらしく、真里は特に気に留める様子もなかった。


「えっと、お2人はルームシェアされてるんですよね?」


 これは会社からのOKが出て公表している情報である。

 何でも『ソッチBL方面』の受けというのも昨今は侮れないらしい。そんな理由なら正直嫌だと言ったが、下手に隠して暴かれた方が『リアル』だぞ、という社長の言葉で2人とも納得した形だった。


「料理はAKIさんの担当と言うことですけど、AKIさんの料理でいちばん好きなメニューって何ですか?」


 真里は屈託のない笑みを浮かべている。その質問に晶の手がぴたりと止まった。


「好きなメニューかぁ……。やっぱりヒレカツとか……」


 宙を見つめてそう答える。

 ヒレカツは彼の好物だが、やはり彼女が作ってくれると格別なのである。

 

 揚げたてってのもあるんだろうけど、衣がサックサクなんだよなぁ。


「あら、それは単に好物なだけでしょ? そういえば、昔はよくオムライスをリクエストしてたじゃない。もうブームは去ったの?」


 やだ、私情入れちゃった、と真里はくすくすと笑った。


 お前……余計なことを……。


「いや、それはブームっていうか、真里がそれしか作れないって言うから……!」


 赤い顔で反論すると、真里はけらけらと笑った。昔から良く笑う女なのである。


「そうだったっけ? でもいまはもう和食も洋食も色々作れるのよ? AKIさんには負けるけど」

「負ける! 絶対に! お前がアキに勝とうなんて100年早い!」

「も~手厳しいなぁ章灯ってば。昔は『真里の料理がいちばんだよ』なんて言ってくれたのに~」


 ムキになって否定すると、真里は口を尖らせた。


 マジで勘弁してくれ……。

 お前の目の前にいるの『現・彼女』なんだからな。


 横目で恐る恐る晶を見る。

 晶は俯いてギターの弦を見ているようで表情はわからない。


 怒ってるんだろうか、幻滅してたりするんだろうか……。


「安心して。元カノの件とか私情の部分はカットするから」


 真里はインタビューの締めでそう言った。「当たり前だ」と食って掛かったが、章灯の心は晴れない。ぐったりして椅子にもたれていると、真里がニヤニヤしながら顔を覗き込んでくる。


「しょ~ぉとっ、今夜ヒマ?」

「ヒマじゃねぇ」


 呆れた顔でそう返す。晶は黙々とギターをケースにしまっている。


「お、完全にオフの章灯ね、そのテンション」

「うるせぇな」


 俺はいま帰ってからアキに何て説明したら良いか必死に考えてんだよ。


「冷たいなぁ~。せっかくご飯でもって思ってたのに~」

「悪いな」

「やっぱりAKIさんのご飯が良いの?」

「当たり前だろ」

「……章灯、もしかしてソッチの趣味になったとか……?」


 真里は顔をしかめ声を潜めて言った。『ソッチ』の意味を理解した章灯は慌てて姿勢を正す。


「んなわけねぇだろ! お前と付き合ってただろうが!」


 思わず声を荒げてしまってから近くに晶がいることを思い出し、しまった、と思った。


「んー、結構カモフラージュで女性と付き合うってパターンもあるみたいだし、もしかしてAKIさんで目覚めたって可能性もねぇ……」


 真里は意地悪な笑みを浮かべている。

 この表情ということは、本気で言っている訳ではない。それはわかっている。


「真里、良い加減にしろよ。俺はノーマルだし、アキもノーマルだ。おかしなこと書いたらお前でもただじゃおかねぇ」


 冗談とわかっていても晶にまで飛び火するのは我慢出来なかった。


「こっわ~。何か章灯男らしくなったね。昔は結構甘えん坊さんだったのに~。まぁ、ソッチ疑惑が浮上したらさ、いつでも連絡してよ。身をもって潔白を証明してあげるから」


 高らかに笑って、真里は去っていった。


「何なんだよ、アイツ……」


 脱力して椅子にもたれかかり、両手で顔を覆う。


 ――そうだ、アキ!


「アキ!」


 名前を呼んで辺りを見回したが、既にその姿はなかった。



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