♭4 地下室の衝撃

 ユニットが結成されたその翌日、業務を終えた章灯しょうとさんが最低限の荷物を持って三軒茶屋の家へやって来た。

 オッさんはてきぱきとそれを手伝い、コガさんは家中をうろうろと歩き回っていた。そして自分は黙々とギターを弾いていた。

 本当は部屋で弾いていたかったのだが、少しは親睦を深めろ、というコガさんの指示である。


 やがて、荷物を運び終えた章灯さんがリビングに入って来た。

 コガさんは章灯さんにだらりともたれかかり何やら話をしていたようだったが、しばらくして彼から離れると張りのある声で自分達に集合をかけた。


 エレキを持ってこいという指示に従って、自分の部屋からエレキを取ってくる。どうやら地下で演奏するようだ。


 確かに、相棒となる人がどれだけのモノを持っているのかは興味がある。

 でも所詮「歌が上手い」というだけのアナウンサーなんだろう。どうせ企画モノのユニットだからあまり期待は出来ないが、果たして、『商品として出せるヴォーカリスト』としての力はあるのだろうか。


 曲は『BILLY THE COWBOY』の『BREAK OUT』をやることになった。どうやら、昨日2人はテープでこれを歌っているところを聞いたらしい。


 結構癖のある曲なんだけど、本当に大丈夫なんだろうか。


 そう思いながら弾き始める。

 ちらりと章灯さんを見ると、演奏に圧倒されているようだった。コピーバンドは経験しているとのことだったが、それと比べているのかもしれない。


 絶対に負けない。

 そのバンドがどれほどのものだったのかは知らないが、自分達以上であるわけがないのだから。

 

 確かに圧倒されていたはずなのに、彼は出だしを間違えることもなく、その演奏に食らいつくように歌った。

 

 驚いた。

 こんなに歌えるとは思っていなかった。

 完全に見くびっていた、この人を。

 この声なんだろうか、探していた声は。違うような、でも、そうかもしれないとも思う。

 もっと聞きたい。この声を。

 この曲が終わらなければ良いのに。

 

 しかし呆気なく、4分弱の曲は終わってしまった。

 ダメだ、これだけではまだ判断出来ない。勢いに任せただけ、というのも考えられるし、この手の曲に特化しているという可能性も捨てきれない。


「アキ、昨日とは別人みたいだったなぁ。びっくりしたよ」

「こりゃぁアキ、曲作りも燃えるな」


 声の聞こえ方からして、章灯さんもコガさんもおそらく自分を見ている。しかし、いまの自分はそれどころではない。

 この人にバラードを歌わせたらどうなるんだろうか。

 そう思うともう居ても立っても居られなかった。


「章灯さん、BILLYの『凪の声』は歌えますか?」


 食って掛かるようにそう尋ねた。歌えるという返事が聞けたところで、2人に『凪の声』を指示し、弾き始める。

 先ほどの激しいナンバーとは異なるスローテンポのバラードだ。これなら、もっとはっきりと声が聴ける。


 音の高低差が激しく難しい曲だが、彼はそれを難なく歌いこなした。途中、高音部ではファルセットを使ったりもしたものの、後半の同じ箇所では地声で歌っていた。


 音域も広く、ファルセットを効果的に使うテクニックも持っている。

 何なんだ、この人。

 

 演奏が終わった後も、耳から声が離れない。


 撤回する。

 この人は「歌が上手い」というだけのアナウンサーなんかじゃない。

 この人は、ヴォーカリストだ。それも、充分胸を張って『プロ』の肩書を掲げられるほどの。

 彼が自分の探していた理想の声の持ち主なのかはまだわからない。

 でも、いまはこの人の声がいちばんだ。ダントツで。

 早く、作らなきゃ。

 絶対に、企画モノの一発屋では終わらせない。

 この人の声をずっと聞き続けていたい。

 自分の曲を歌わせ続けたい。

 

 気付くと地下室を飛び出していた。


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