♭3 引っ越しと企画会議

 ユニットの話をされた日の夜、言い忘れたことがあると社長から電話がかかってきた。

 用件はごくごくシンプルな一言。「社宅を変えるぞ」と、ただそれだけである。


 それまで住んでいた社宅は家具付きだったから、自分の荷物など、そんなに多くはない。

 翌朝、引っ越し業者が押し寄せてあっという間に梱包を済ませ、新居に連れて行かれた。


 新居は世田谷区三軒茶屋の平屋の一戸建てである。


 1人で住むのに3LDK……? と圧倒されているうちに業者はまたしてもあっという間に荷解きまで済ませて帰ってしまった。


「電化製品はまだ使えるやつだから、好きにしろ。地下室は防音だから、エレキを使う時は地下でやれ。アンプもサービスだ」


 堂々と「冷やかしに来た」とやって来た社長はそう言って、すぐに帰った。一応、忙しい人なのだ。


 広い家に1人取り残されたが、特に寂しいなどとは思わなかった。

 むしろ、社宅と違って上下両隣に気を遣わなくて良いのでホッとしたくらいである。


 それからは毎日好きなだけギターを弾いて過ごした。

 料理は得意だったが、1人で食べるのにわざわざ手を込んだものを作る気にはなれず、ほとんど外食で済ませた。


「明日、ユニット関連の会議があるから、お前も来い」


 1週間後、社長から連絡が来た。

 指定された時間通りに向かうと「お前は重役出勤だから」と言われ、別室で待機させられた。

 しばらく待っていると、日の出テレビの社長だと名乗る年配の男性が入って来て、一緒に行こうと言われた。


「君は、『男』として接すれば良いんだよね」


 温和そうなその男性は会議室に向かう途中でぽつりと言った。「はい」と返事をすると、「出来る限りのことはさせてもらうよ」と言って、それきり黙ってしまった。


 ウチの社長もそうだが、彼もまた『社長』という肩書の割には威圧感のない人だった。しかし、隙はない。つい見くびってしまいそうになるが、本能のどこかで「この人には勝てない」と思わせるような不思議な力のある人である。


 連れていかれた会議室で自分の相棒となるアナウンサーを紹介された。

 その青年の名は『山海やまみ章灯しょうと』と言って、写真でも見た通りに真面目そうな青年である。一切染髪していない自分よりもほんの少し明るい程度の暗めの茶髪に、黒縁眼鏡、ぴんと伸びた背筋。

 成る程。確かに、こんな堅そうな青年が激しいロックを歌ったら面白いだろう。


 彼はどうやら事情を知らされていないかったようで、終始驚いた顔をしていた。やがて、彼の上司らしい男が説明を終えると、手を挙げて自分に関する注意事項について質問をしてきた。


 ・テレビ、ラジオ等のインタビューは禁止

 ・テレビ出演時は司会者、共演者との会話禁止

 ・ラジオ出演は公開録音のみ可だが、ファンサービスのみ

 ・雑誌のインタビューは事前アンケート形式のみ許可

 ・衣装指定有り


 無理もないだろう。自分でもおかしいと思う。

 榊という彼の上司は「コーラスに全力を注ぐために極力しゃべらないようにしているそうだ」とこれまた無理のある理由を話した。

 彼は明らかに納得していない様子だったが、上司がそう言うのだ、仕方ないと思ったのだろう、それ以上深く突っ込んではこなかった。


 自分の話題が終わったと思って、完全に気を抜いていた時、社長はとんでもない発言をした。


「明日から、お前らは一つ屋根の下で共同生活をしてもらう」


 一つ屋根の下……?

 つまり、そのための3LDKだったのである。 


 「お前が隠しきれるとは思えんがな」


 この言葉の意味は、きっとこれだったのだ。やられた。こんなの、時間の問題じゃないか。


 お偉いさん達が退室した後は、ユニットの方向性を話し合わなければならない。

 自分は昔からこの手の『話し合い』というのが苦手だ。

 いっそのこと、この人が「こういうのがやりたい」と言ってくれれば良いのに。

 第2の『SUPERNOVAスーパーノヴァ』等と言われても、自分に出来るのは曲を作ることと、ギターを弾くことくらいで、ユニットを1からプロデュースすることは出来ない。だから、こうしろと命じてくれた方が楽なのだ。


 交流を深めるために、と自己紹介が始まる。

 彼は、実際に見ても、コガさんやオッさんと比べると縦にも横にも小さかった。ただもちろん、自分より大きいのは確実だったが。

 アナウンサーという職業柄なのか、元々の性格なのか、人懐っこい印象で、自分とは正反対だな、と思った。


 彼は、自分が身に着けていたオレンジがモチーフの指輪を見て、ユニット名に『ORANGE』を入れようと言い出した。


 オレンジは自分がいちばん好きな果物だ。

 一度も行ったことがない母の実家である和歌山の果樹園から、毎年旬な時期にネーブルとバレンシアが届く。近況を尋ねるような手紙も何も入っていない。ただただ箱いっぱいのオレンジである。

「礼とかは、俺がしてるから、気にするな」

 和歌山から荷物が届く度、コガさんはそう言う。そういうのが苦手な自分にとっては、有難い話だった。


「アキの実家を入れるなら、章灯の実家から何かヒントないのか?」


 どうやら彼の実家は釣具店だったようで、コガさんが釣り具から連想した『ROD』と組み合わせて『ORANGE ROD』というユニット名になった。

 

 何でも良い、帰りたい。

 帰ってギターが弾きたい、と思った。



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