♪56 1段だけ

 引っ張られるままベッドにもぐりこむと、あきら章灯しょうとの手を握ったままごろりと寝返りを打った。そして、章灯の胸にすりすりと顔をこすりつける。


 犬か、お前は。


 実家で飼っているパグのグー太がよくこうやって顔をこすりつけてきたなぁ、と思い出す。


「アキ、起きてんのか、お前?」


 そう問いかけるも、返事はなく、ひたすら顔をこすりつけている。


「寝てんのか、酔ってんのか、コレ、どっちだ……?」


 さすがにデスクライトだけでは薄暗く、晶の表情は読み取れない。時折、胸筋の弾力を楽しんでいるかのように軽く頭突きをしたりもする。これもグー太が良くやる行為だ。


「コレは……、どっちも……かな」


 まぁ、どっちだとしても別に悪い気はしない。むしろ、こうやってくれるなら気が紛れて良いかもしれない。


 ほんと、犬みてぇだなと思い、はははと軽く笑う。

 頭を撫でたいが、左手は晶に握られているし、右手は自分の枕だ。

 さて、ここからどうすっかなぁ、と思っていると、ぴたりと頭突きが止まる。

 次は何をされるのだろう、と頭を凝視していると、晶はゆっくりと上を向き、視線を合わせてきた。


「うぉ……、起きてた……!」


 てっきり寝ていると思って安心していたところへ、上目遣いで見つめられ、どきりとする。

 しかし、晶はただ目を開けて見つめているというだけで、それ以外の動きがない。


「起きてんの……? それとも、目ェ開けたまま寝てんの……?」


 小さな声で問いかけてみる。寝てるならこれにも反応はしないだろう、と思いつつ。


「……起きてます」

「さすがに起きてるか……。どうした?」


 どうしてそんな目で俺を見るんだ。


「……何もしないんですか」

 

 いつもよりも数段小さな声ではあったが、無音の中でそれははっきりと聞こえた。


 いつもならこういう静かな時にはあまり話さないのに。


「しても良いのか?」


 そう聞くと、晶は頭を下げ、また章灯の胸に顔をうずめる。見方によっては『頷いた』とも取れる。しかし……。

 章灯はため息をついてから、少し笑った。


「――良いんだな? わかった」


 そう言って、晶に握られている左手をどうにか離し、そのままその手首をつかむ。つかんだ晶の手首を、痛めないようにゆっくりとベッドに押し付け、仰向けにして覆いかぶさった。

 晶はぎゅっと目を瞑って身体をこわばらせている。その様子を見て、苦笑した。

 右手でそぅっと額に触れると、怯えるように肩を震わせる。


「……するわけねぇじゃん」


 優しい声でそう囁くと、晶はゆっくりと目を開けた。瞬きをすると目の端に溜まっていた涙がぽろりと流れ落ちる。


「無理すんなって言ったろ。俺の自制心を見くびるなよ」


 余裕ぶって笑ってみせたが、晶は悲しそうな顔をしたままだ。


「でも」

「背伸びしなくて良いんだって、マジで。それがすべてじゃねぇだろ」


 そう言って、額にキスをする。


「でも」

「でも、か。まだ食い下がるか。よし、アキがどうしてもって言うんなら、階段を一段だけ上がらないこともない」

「え?」

「どうする」

「どう……しましょう」


 一段だけといっても晶にはそれが何なのかわからないのだろう、また少し怯えたような顔をした。


「無理強いはしない。あと、ちなみに痛いことじゃない」

「い……、痛くないなら……」


 やっぱりそうだよな。痛いのは怖いよな。女って大変だなぁ……。


「わかった。目ェ瞑れ」


 大人しく晶はそれに従ったが、痛いことじゃないという言葉が効いたのだろう、さっきよりも身体の力が抜けているようだ。


 章灯は晶の手首から左手を外し、そのまま右耳の辺りを包むように添えるとゆっくりと唇を重ねる。いつもは触れたらすぐに離す。でも今回は――、

 唇のわずかな隙間からそろりと侵入してきた舌の感触に驚き、晶の身体はびくんと跳ねた。思わず目を開ける。


「――なっ! い、いま何か……!」

「びっくりしたろ。たぶん見えてる方が恥ずかしいから瞑ってた方が良いぞ」


 まるでそれを予期していたかのようなタイミングで章灯も目を開け、少し口を離して言う。


「それとも、もう止めるか」


 その言葉に晶は目を伏せ、首を振った。その様子を見て、ニッと笑い、再開する。時折、晶は苦しそうに息継ぎをし、その度に短い悲鳴のような声を上げた。


 そんな声を聞かされて、何も感じないわけにはいかない。さすがに限界が来て、唇を離す。ふぅ、と一息ついて章灯はごろりと仰向けになった。


「……今日はここまで。さすがに俺がもう限界だから」


 晶は横目で章灯をちらりと見ると、俯き加減で寝返りを打った。


「限界です……。私も……」


 その言葉にどきりとして晶を見ると、彼女はそのまま目を閉じ、やがてすぅすぅと寝息を立て始めた。


 限界ってのは、眠気の方かよ!


 章灯は心の中でそう突っ込みながら苦笑いをする。

 本当に、色気も何もねぇなぁ。ぽつりとそう呟いて、晶が眠ったのであればもうお役御免だろう、と身体を起こす。しかし――、


「……っと。またか」


 晶はちゃっかり章灯の服をつかんだまま眠ったようだった。もちろん、それを解くことは出来る。決して難しいことでもない。でも、それを口実にして起こしかけていた身体を戻す。

 こちらを向いて眠っている晶の頭を軽く持ち上げ、枕を挟む。わずかに空いている首の隙間に自分の右手をすべり込ませてみると、案外悪くないようで上腕をふにふにと揉んでいる。


 楽しそうで何よりだ。くすぐったいんだけどな、俺の方では。


 晶は散々章灯の上腕を揉みしだいて満足したのか、今度はそのまま肩の方まですり寄ってくる。仰向けだった身体を晶の方へ向けて、優しく頭を撫でた。

 

 だんだんと睡魔が襲ってきて、そろそろ部屋に戻らないと、と思った。


 服をつかんでいた手は既に離れている。

 けれども。



 いや、今度は、ほら、俺、アキの枕だし……。

 仕方……ないじゃん……なぁ……。

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