♪55 unconscious lure
そういえば。
昼にこの部屋に来た時、俺、ホワイトデーの紙袋持ってたよな。あれ、どこにやったんだったか。
腰を抜かした時は、確かに手に持ってた。でも、リビングには持って行ってない。てことは、この部屋にあるのか?
そう思って、ぐるりと見回すが、リビングの灯りだけでは隅々までよく見えない。その上、何せ『アキの部屋』である。障害物の量が半端ない。
参ったな。
ため息をついて後ろを向き、
ちょっとだけ。そう思って晶の隣にごろりと寝転がってみる。寝ながら晶の顔を見ると、いつかこんな感じで一つのベッドで眠る日が来るのだろうかと想像し、何だかものすごく恥ずかしくなってしまう。
起きねぇかなぁ。
そう思って、晶の鼻の頭を突いてみる。何も反応がないので軽くつまんでみると、苦しいのだろう、嫌そうに顔を振る。ははは、面白れぇ、と声を殺して笑っていると、晶が
急に真正面に現れた晶の顔にどきりとする。左手で優しく頭を撫でると、一瞬晶が笑った様な気がした。
可愛い顔してんなぁ、やっぱり。
撫でる範囲を徐々に大きくして、その流れでそぅっと首筋に触れてみる。触れた瞬間、ぴくりと身体が震え、うっすらと目が開いた。
「――え? あ、ご、ごめん!」
慌てて身体を起こすと、晶は章灯の服をつかみ、自分の方へ、ぐい、と引っ張った。まるで、そうはさせじ、とでも言うかのように。
「え?」
引っ張られるままに距離を詰め、ほぼ密着状態になると、晶は満足したように章灯の胸に顔をうずめ再び目を閉じてしまった。
「これは……」
時折、顔をこすりつけるような動きをする。服をつかんでいた手は背中に回され、擦られたり、トントンと叩かれたりもされた。
「これは……俺を試しているんだろうか……」
おずおずと左手を晶の背中に回し、同じように擦ったり、優しく叩いたりしてみる。
寝てんだよな? きっと。
何だよこいつ、寝てる時は甘えられるんじゃねぇか。
でも、この体制はかなりまずい……。
なぁ、アキ、俺だってなぁ、別に枯れてるわけじゃないんだぜ?
理性が働いているうちにどうにかして抜け出さないとな、と背中に回した左手を外し、密着している上半身を少し後退させる。しかし、隙間が生まれると、またそれを埋めるように晶はすり寄ってくる。
マジかよ。
「ちょっと……、アキ……、やばいんだって、マジでさ……」
寝てると思いつつもそう言いながら、晶の肩を押さえ離れようと試みるが、今度は服を引っ張ってくる。
どうしたって行かせない気かよ。
こうなったらむしろ何とか起こした方が早いんじゃないのか? アキのことだから、起きさえすればこんなにべったりしてくることもないだろう。
「アキ、ちょっと起きろ。おい、アキ」
トントンと肩を叩きながら声をかける。晶はうっすらと目を開けるものの、またすぐに眠りに落ちてしまう。これを何度か繰り返すうちに何とか目の開いている時間がやや長くなってきた。
「アキ、悪いんだけど、ちょっとだけ起きてくれ、頼むから」
何となく焦点が合うようになってきたところで畳み掛けるように声をかけてみる。
「……章灯さん。……何してるんですか?」
何して、って……。まぁ、確かにその通りなんだけどさ。いまいち釈然としないのは何でなんだろう。
「何か言い訳っぽく聞こえるだろうけどな、あのな、半分はアキだからな」
そう言いながら、しっかりとつかまれている衣服を軽く引っ張ると、晶は、自分が章灯の服をつかんでいるというこの状況で『半分』という言葉は何とか理解出来たらしく、パッとその手を離した。
「すみません……。寝ぼけてたみたいで」
「まぁ、良いんだけどさ……。さすがにここに居続けるのはちょっとやばいから……」
そう言って身体を起こそうとすると、晶は、視線を落として一度離した服を再度引っ張った。
「アキ……?」
「……もう少しだけ」
「ここにいれば良いのか?」
「……もう少しだけ」
「わかったよ」
そう言って起こしかけていた身体を再び沈める。
「……並んで寝転がってるだけで良いのか?」
わずかに空いた隙間には章灯の服をつかむ晶の手がある。そして、章灯は自分の服が軽く引っ張られているのを感じている。求められている。だから、この質問は、晶へのちょっとした意地悪だった。
晶は答えない代わりに再度軽く服を引っ張った。
「……そこに手があったら邪魔なんだけどな」
その言葉で晶の手が緩んだ。そして、ゆっくりと手を離す。章灯はその手を取ると自分の脇腹に置いて晶の身体を抱き寄せ、開いていたそのわずかな距離を詰めた。
ぴったりと収まっている、華奢だけど、女にしては大きい身体。
俺、割と肩幅ある方で良かったな。あの2人にはそりゃ負けるけど。でも、アキを女として意識させられる程度のガタイがあって良かった。
「……そんなにくっついて苦しくないのか」
そう言うと、やはり少し息苦しかったのだろう、ほぉ、と言いながら一瞬顔を離し、また顔をうずめた。水中にでも潜るかのように。
「アキが寝るまでここにいるから、安心して寝ろ」
自分の右腕を枕にし、左手で晶の頭をゆっくり撫でた。心の中では、もうだいぶ限界だから早く寝てほしいと思う反面、いっそこのまま朝まで過ごしてしまいたい気持ちもある。
しかし、まだ片付けていないテーブルの上の食器類や、つけっぱなしのエアコンのことなども頭をかすめ、色気がないのは俺の方かもな、と思った。
そんな冷静な部分がありつつも、心臓はいつもの倍働いているのではないかと思わせるほど忙しなく強く脈打っている。さすがにそれは晶にも伝わっているだろう。
「……章灯さん、いま何を考えていますか」
明らかに正常ではない鼓動の速さに気付いたのだろうか。晶のくぐもった声が聞こえた。
「え? えーっと、リビング、片付けてないなぁ……とか……」
正直な胸の内を口に出せず、誤魔化してみるが、さすがにバレているだろう。
「……もし、片付け終わるまで、寝ないで待っていると言ったら、どうしますか」
晶のその発言で、さらに心臓はドクンと跳ねた。
「どう……します……って、お前……。そしたら……、片付けて、戻ってくるけど……?」
これって、どういう意味なんだろう。アキのことだから、単に寝心地が良いから、というのも充分にあり得る気がする。こっちがその気で挑んでしまって、傷付けたくはない。でも、いまのってどういう意味? と聞くのもさすがにデリカシーがないだろう。
期待すんな、俺。アキはたぶんまだ酔ってて、ちょっと添い寝がしたいだけなんだ。それに、片付けて戻ってくるころには眠っているかもしれないし。
そう自分に言い聞かせる。期待するな、期待するな、と。ひたすらに。
「じゃ……、ちょっと片付けてくるけど、無理して起きてなくても、眠かったら寝て良いんだからな。ほんとに。ほんとにマジで」
そう言い残してベッドから降り、晶の身体に毛布をかけた。立ち上がってぐるりと部屋を見渡すと、ドアの脇に紙袋が転がっているのを発見する。
「やっぱりこの部屋だったか」
拾い上げて中を確認し、再度ベッドに戻って晶の枕元に置く。「ごめん、ちょっとごたごたしてて忘れてたけど、『15日』の方のお返し」それだけ言って、晶の反応を見ることもなく部屋を出た。
リビングに戻ると、やけに生活感のある光景で現実に引き戻され、さっき体験したことはすべて夢だったんじゃないかという気持ちになる。トレイにテーブルの上の食器を乗せ、次々とシンクへ運ぶ。大皿の上の残ったカツやハンバーグは小さい皿に移し替えてラップをかけた。
リビングが片付いたところでエアコンのスイッチを切り、大量の洗い物に取り掛かった。
頭の片隅に陣取っていた『色気のない部分』がすべて解消されるのに費やした時間は約30分。
どうだろう、アキは起きているのだろうか。
アキのためにも、そして自分のためにも、出来れば眠っていてほしい。
でも、もう一度あの時間を味わいたい気持ちもある。
ただ、そのためには自分の理性っつーもんをフルに働かせなければならない。そろそろ『働かせすぎですよ』と現場の方からクレームが入りそうだが……。
部屋着に着替えてからおそるおそる晶の部屋のドアを開ける。
「……これは……起きてる……のか……?」
さっき部屋を出た時には点いてなかったデスクライトが点けられており、枕元に置いたはずの紙袋はデスクの上に置かれていた。
身体を捻って手探りでリビングの電気のスイッチを切り、デスクライトの灯りを頼りに足元に気を付けながらそろりそろりとベッドへ近づく。
ベッドの脇でしゃがみ、壁の方を向いている晶に小さな声で「おい」と声をかけてみる。これで反応がなかったら寝てるってことで、自室に引っ込むとしよう。そう思いながら。
やはり晶からの応答はなく、ホッとしながらもやや残念な気持ちで立ち上がると、毛布がもぞもぞと動き、右手がにょっきりと顔を出した。
「――お?」
充分に温まっているその手を取ると、ぎゅっと握られた。控えめにではあるものの、その意思がはっきりと伝わってくるほどの強さで引っ張ってくる。
起きてたか……。
もう一仕事、頼むぞ。
そう理性に言い聞かせてベッドに潜り込んだ。
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