♪51 あの喫茶店(3ヶ月振り 2回目)
「お前……、それはやっちゃったなぁ……」
以前も来たことがあるオセロという名の喫茶店で、目の前に座っている
避けられてるんじゃないだろうか。
もちろん、たまたまということもある。こんなことはこれまでも何度かあったのだ。何もしていないのに「もしかして避けられてる?」と思ってしまうような、絶妙なすれ違いは。
でも、今日は『もしかして』ではなく『確実に』なんてオプションをつけざるを得ない。何せあんなことがあった後である。
もそもそと朝食を口に運びながら携帯を開き、画面上部に表示された『2008/3/15 SAT』という文字に気付いた章灯は、コレはだいぶまずいんじゃないかと思い背中に嫌な汗をかいた。
4月7日のデビューまであと1ヶ月もない。
前日までに元の状態にまで戻れば良いというもんじゃないのはさすがの章灯にもわかる。
せめて、1週間前くらいには。そう考えると、あと何日あるだろう。
とりあえず、今夜来るであろう
まだ8時だけど、と祈るような思いで長田にSOSメールを送ると、意外にもすぐに電話がかかってきた。そしていつもの喫茶店を指定され、という経緯であった。
「でもなぁ、アキのその感じからすると、別にお前のことが嫌だとかそういうんじゃねぇと思うんだけどなぁ……」
長田はアイスコーヒーの氷をストローで突きながら言った。
「俺もそう思ったから……したんですけど……」
章灯は俯いたままだ。
「っつーかさぁ、結局のところ、やっぱりアキに惚れちまったんだな」
どきりとして顔を上げると、長田はしてやったり、と満面の笑みである。
「やっぱりって……、何すか」
口を尖らせ、ふてくされたように言う。
「――ん? 章灯はぜーったい落ちると思ったんだよな、アキが女だってバレた時にさ」
そう言うとアイスコーヒーを一口飲む。
「何でですか……」
「何でって、お前なぁ、あんっなイイ女と一つ屋根の下で暮らしててそうならない方がおかしいだろ」
「イイ『女』……すか……」
目の前のコーヒーカップに手を伸ばす。目を閉じると、昨日の晶の姿が浮かんでくる。確かに、それらしい恰好をすれば、晶はとびきり美人の良い女ではある。
「まぁ、片付けとか、その辺はアレだけどさ。美人だし、スタイルも良いし、飯も美味い。さらにギターがめちゃくちゃ上手い!」
「オッさんの『イイ女』って、ギターの要素も含まれるんですか」
「――え? 良くね? ギター弾ける女ってカッコ良いだろ?」
「それはギターが弾けるアキがカッコ良いんじゃないですか?」
「それは一理ある」
そう言って長田はニヤリと笑った。
「それはさておき……だ。問題は、デビューまで間もねぇっつーところだ」
「……おっしゃる通りでございます」
章灯は再び下を向く。
「こういうのはコガの方が得意なんだけど、アイツはまだ確実に寝てるよなぁ」
腕時計をちらりと確認する。時刻は10時になったばかりである。
「一応、メールだけでも打っておくか」
そう呟いてスマホを操作する。
「でもなぁ、俺はやっぱりアキは混乱してるだけだと思うけどな」
長田はスマホから目を離さずに言った。
「混乱……ですか?」
「だってお前、キスした後に好きとかそういうの言わなかったんだろ?」
「はい……」
「そしたらお前、アキからしたらよぉ、何か良い雰囲気になってキスされたと思ったら何か謝られて、だろ? 相手はアキだぜ? はっきり言わねぇとさ、お前単に『キスがしたかっただけの男』だと思われてるんじゃねぇの? あわよくばそのまま食っちまおう的なさ」
「そんなことは……あああ有り得る!」
章灯はそう言うと、勢いよく立ち上った。長田も慌てて立ち上がると、章灯の両肩をポンポンと叩いて再度座らせる。
「まぁ、ちょっと落ち着けよ、章灯。もしそうだとしたら、お前がはっきり言ってやりゃ解決する話だと思うぜ?」
「そう……ですよね……。はぁ~、何で昨日のうちに勢いで言わなかったんだ、俺ぇ~」
章灯はテーブルに肘をついて両手で顔を覆った。
「ま、そこが『ヘタレの章灯』たる所以だろうな。腹括ったら、ばしっと言って来いや。さすがに俺らもそんなギスギスしたところに行きたくねぇからさ」
長田は頬杖をついてアイスコーヒーの中の氷をストローで突く。グラスの中はかなり前に空になっている。
「無事、上手いこと収まったら、勢いでヤッちゃえよ。すっきりすんだろ、お互いに」
章灯は長田の発言に驚いて覆っていた両手を外した。
「な……っに言ってんすか! さすがにそこまではしませんよ!」
「なーんだよぉ、お前もしかして、結婚するまでは手を出さねぇとかいうタイプ?」
「そういうことじゃなくて!」
赤くなった顔をごまかすために勢いよく立ち上がると、財布から1,000円札を抜き取り、テーブルに叩きつけた。明らかに照れ隠しだとわかるその行動に長田はニヤニヤと笑っている。
「頑張れよ、章灯。荒れたコガは俺に任せろ」
「……夕飯までになだめておいてください。こっちも何とかそれまでに……頑張りますから」
そう言って、喫茶店を出る。
警察のご厄介にならない程度に車を飛ばし、家に着く。駐車スペースに停めると、一度大きく深呼吸をして後部座席に置いておいた『
車から降りて玄関の前に立つと、もう一度大きく深呼吸をした。
自分の家に入るだけなのになぜ緊張しているんだと思いつつ、それでももう一度だけ深呼吸をして勢いよくドアを開けた。
「――アキ!」
勢い余って玄関を開けてすぐに名前を呼んでしまう。いくら声を張り上げても、玄関からは晶の部屋にまで届かないだろう。第一、地下室にいればここで叫んだところでまったく聞こえるわけもない。
馬鹿だなぁ、俺。
そう呟いて靴を脱ごうと視線を落とした。
「――あれ?」
そこにあるはずの晶の靴が無い。
何だ、いないんじゃん。
なおさら、声を張り上げたことが恥ずかしく思えてくる。
しかし、どこに行ったんだろうか。
そう思いながらリビングに入り、キッチンへ向かう。もうじき11時半。いつもの晶なら昼食の準備をしてあるはずだ。
「無い……な。てことはすぐ帰ってくるのか……? 出て行ったとかじゃ……ないよな?」
まさかぁ、とわざと明るく言ってみてから、Uターンして晶の部屋に向かう。念のため、軽くノックをして、ごめん、と言ってからドアを開けた。
「そりゃ、そうだよな……」
目の前に広がるいつもと変わらぬ散らかり放題の部屋にホッとしてその場にへたり込んだ。これできちんと整頓されてたりすればもう確実に『出て行った』線が濃厚になる。とりあえずその点はなさそうだと安堵した。
何やってんだ、俺。
そう思って立ち上がろうとするが、なかなか上手くいかない、情けないことにホッとしすぎて腰を抜かしたらしい。
マジか……。俺、ヘタレ過ぎんだろ……。
「何してるんですか」
「――ぅわぁっ!?」
急に背後から晶の声がして、章灯は驚きの声を上げた。ゆっくりと振り向くと不思議そうな顔をした晶が立っている。
そりゃそうだ。自分の部屋の前で大の大人がへたり込んでいるんだから。
「ごめん……、訳はちゃんと話すんだけどさ、とりあえずちょっと手貸して」
情けなさで顔を真っ赤にし、左手を差し出すと、晶は「あまりの散らかりぶりにとうとう腰を抜かされちゃいましたか」と言いながらその手を取った。
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