♪50  return GIFTs

「ちょっとだけ開けるぞ。中には入らないから安心しろ」


 軽くノックした後でそう言って、ほんの少し開けたドアから紙袋を差し入れる。


「……これは?」

「ホワイトデーのお返し。嫌じゃなかったら、だけど。その、着てみて、っていうか」


 章灯しょうとはそれだけ言うとあきらの返事も待たずにドアを閉めた。立ち去ったことをアピールするためにわざと音を立てて歩き、洗面所に向かうとうがい手洗いを済ませる。その後で自分の部屋に行き、部屋着に着替えてから、違うな、と呟きロングTシャツとジーンズに履き替える。


 もうそろそろ良いだろうかとリビングへ戻るが、晶の姿はまだなかった。


 ソファに腰掛けてみるも何だか落ち着かず、キッチンに向かって夕飯は何だろうと調理台をチェックする。鍋の蓋を開けると、ビーフシチューだ。あとは、と冷蔵庫を開けるとサラダが入っている。と、その隣には、蓋つきの器が2つ。



 ここまでは洋食なのに、この茶碗蒸しは何だろうか……。と見せかけてプリン……なわけはないな。これはいつも茶わん蒸しで使ってるやつだ。



 冷蔵庫を閉め、シンクにたまっている調理器具類を洗い、そわそわしながら再度リビングに戻る。


 随分時間がかかるなぁ。そんなに時間がかかるような服だっただろうか。それとも、着ようかどうしようか悩んでるとか……? いや、そもそも着たくないのかもしれない。


 もし嫌だったのなら無理して着なくても良いと伝えに行こうと、晶の部屋の前に立ち、右手の拳を構える。すぅ、と大きく息を吸った時、ドアが開いた。


「――わぁっ、びっくりしたぁ」

「それはこっちの台詞ですよ。何をしてるんですか、こんなところで」

「いや、あまりに時間かかってたから」


 そう言いながらまじまじと晶の姿を見る。

 スクウェアネックのシンプルな白いブラウスにぴったりとした膝丈の黒いペンシルスカートだ。スカートには白い線で描かれた大輪の花が咲いている。白い鎖骨とほっそりとした足首にどきりとした。

 さすが、晶のスリーサイズと股下まで知り尽くしていると豪語しただけあって、サイズもぴったりである。


「に、似合うじゃん。――あれ? アキ、化粧してる?」


 服にばかり気を取られていたが、良く見ると、控えめに化粧もしている。


「それで時間がかかってしまいました」


 晶が化粧をしているのを見るのは2ヶ月ぶりだ。おそらく、プロにやってもらった時よりも荒い部分があるのだろうが、そんなことは章灯にはわからない。


「ええと、あの……、夕飯食べませんか」


 自分の姿を見たまま動かない章灯にしびれを切らした晶が口を開く。


「――お? おお、そうだな……」



 服に跳ねると困るので、と言って夕食中は赤いエプロンを装着していたが、ゆっくりと咀嚼する整った横顔に胸を高鳴らせながら、章灯は茶碗蒸しを食べた。やはり茶わん蒸しだったのだ。


「千尋と一緒に買ってきたんですよね」


 すっかり食べ終わった晶がお茶を飲みながら問いかける。


「おぅ。何かすっげぇ申し訳なさそうな顔でコガさんが連れてきたんだよなぁ」

「……これ、選んだのも千尋ですか」

「――え? ああ、いや、選んだのは俺。千尋君はサイズを見てくれたり……、まぁ、何度かダメ出しはされたけど」


 情けなさを笑って誤魔化す。「色の組み合わせがなってない!」「柄に柄を合わせる気ですか?!」「いま平成ですけど?!」と思い出せるだけでもこれくらいのことは言われたのだ。


「そうですか」


 晶はそう言うと立ち上がり、食器を下げにキッチンへ向かった。それを見て、章灯も自分の食器を持って立ち上がる。


「なぁ、アキは何であの2人にはあんなに素っ気ないんだ? 身内だからか? まぁ……千尋君は違うけど」


 そう言いながらシンクの中の洗い桶に入れる。既に水は張られていたが、あえて蛇口から水を流して腕をまくり、洗い物を始める。もしかしたらこうやって何かしらの音を立てていた方が晶も話しやすいのではないだろうか。ただ、晶の声だと聞こえないかもしれないというリスクを伴うのだが。


「苦手です、あの2人は」


 しばらくして、晶は水道から流れる水の音に紛れて話し始めた。章灯は全神経を集中させてその声に耳を傾ける。


「同じ顔なのに、かおるは女です」


 お前も充分女じゃねぇか。


 心の中でそう呟く。いま余計な口を挟んだら、きっと晶はもうしゃべらないだろう。


「千尋は男なのに、女の子みたいです」


 別にここにいることを強制しているわけではないのにその場から動かない晶を見て、きっと聞いてほしいのだろうと章灯は思う。でも、何かの音に紛れていないと話せないのだろう。


 2人分の食器は少なく、あっという間に片付けが終わってしまう。さっき調理器具類を洗ってしまったことも大きい。


 掛けられているタオルで手を拭くともう音を立てるものがなくなる。音がなくなると晶は目を伏せたまま無言を貫いている。


 でも、あれだけ聞けば充分だ。ただ、いま自分がかけたい言葉が果たして『アキの望む言葉』なのかがわからない。


 考えた末、章灯は晶を正面から見据え、問いかけた。


「アキは、女になりたいのか? それとも男になりたいのか?」


 その問いに晶は、一瞬目を見開いて驚いたような顔をした。しかしまたすぐに目を伏せる。キッチンには、時計の音くらいしか存在していない。言ってしまってから、この環境だときっとしゃべらねぇな、と思った。


 失敗したなと思っていると、晶はおもむろに赤いエプロンを外し、畳みながら口を開いた。


「出来るなら、女でいたいとは思いました。でも、出来ないから、こうしています」


 エプロンを畳むだけではやはり音は立たず、切なそうな晶の声ははっきりと章灯の耳に届いた。

 言い終わると、手持ち無沙汰なのか、下を向いて畳んだエプロンの紐を弄び始める。

 章灯はゆっくりと近づくと、エプロンを抱えるようにして持っている晶をぎゅっと抱きしめた。


「出来てんだろ、ちゃんと。アキはしっかり女じゃねぇか」

「章灯さん?」

「仕事の時は仕方ないかもしれねぇけど、お前が女でいたいなら、この家の中では無理すんなよ」

「でも、すぐには変われません」

「良いよ、アキのペースで。別に無理に変わらなくたって良いじゃねぇか。俺の……じゃないな、俺の前ではアキの好きなように振る舞えば良いだろ」

「でも」

「『でも』ばっかりだな、お前は。郁さんと千尋君の前ではあのままでも良いから」


 晶はその言葉には何も返さず、ただ小さく頷いた。そして、さっきためらわれた『言葉』を伝えてみる。


「あ――……、あとさ、郁さんとアキは似てるけど『同じ顔』じゃねぇよ。アキの方が優しい顔してるよ。コガさんもオッさんもそう言ってるし、俺もそう思う。それに――」


 章灯は大きく深呼吸をする。


「俺はアキの顔の方が好きだ」


 その言葉に晶の肩がぴくりと動いた。


「いっ、いやいや安心しろって! お前が『女』でも、俺は何もしないから!」


 そこまで言って、早速を破ってしまっているこの状況に気付く。


「いや……コレは……アレだ……。欧米の人がやるやつだから……その……」


 離れようかと少し手を緩めると、晶は首を横に振りささやくような声で「このまま」と言った。



 馬鹿野郎、そんなこと言われたらちょっと期待しちゃうだろ。



 そう言う代わりに腕に少しだけ力を込める。


「苦しくないか……?」


 そう聞くくらいなら、緩めたら良い。わかっている。でも。


 晶は小さく頷く。


「なぁ……、もしさぁ……」


 リビングの方へ視線を向け、そう言ってみたは良いものの、続けることが出来ない。


「……もし、私が――」


 迷っていると、晶がおずおずと話し始める。

 晶は何を話す気なのだろう。何だかいつもより心臓の音が騒がしい。幸い、晶の顔は章灯の肩の辺りにある。これならきっと、この心臓の音は伝わらないだろう。


「……女っぽくなったら……、章灯さんは、どうですか」


 この質問は、想定してなかったな。

 どうですかって、アキ、お前はどんな答えを望んでいるんだ。


「嬉しいけど……、ちょっと……困るというか……」


 もちろんそれは、自制が効かなくなったらどうしよう、というその一点において、だが。


 正直に口をついて出てしまった言葉にハッとする。この言い方では間違いなく誤解されるだろう。何せ相手は、あの晶なのだし。いや、晶じゃなくても、だろう。



「章灯さんが困るなら、やっぱり」


 案の定、晶は萎縮してしまったようだった。


「違う! 困るっつっても、そういう意味じゃなくて!」


 章灯は一度身体を離すと、晶の両肩をつかんで顔を覗き込みながら弁解した。晶はいきなり眼前に現れた章灯の顔に目を丸くして驚いている。


「俺がいろいろと我慢出来るかって話で……。その……」


 勢いで話し始めたは良いものの、具体的に言えることではない。


「共同生活なのに、章灯さんだけに我慢をさせるのは申し訳が」


 章灯に両肩をつかまれた状態で晶はすまなそうに目を伏せた。


「だから! そうじゃねぇんだって! あーもう、どうしたら伝わるんだ、コレ」


 晶の肩をつかんだままがっくりとうなだれる。


「えっと……。我慢しなきゃ……良いんじゃないでしょうか」


 脱力して俯いている章灯を心配するように首を傾げて見つめる。


「我慢しないと……、お前が困ることになるんだぞ」


 下を向いたまま、ぽつりと呟く。


「私が困るのは、構いませんけど」

「構えよ!」


 そう言うと章灯は顔を上げる。急な大声に晶の身体がびくりと震えた。


「……俺が我慢するやつっつーのはなぁ、お前が好きなヤツとしかしちゃいけねぇことなんだよ」


 章灯は顔を背け、絞り出すように言った。


 とうとう言っちまった。どうすんだ、ここから。


「……だったら、なおのことです。私は構いません」


 晶の言葉に驚いて顔を上げる。


 目の前には頬を赤く染め、目を伏せている晶の顔がある。

 章灯の視線は綺麗なカーブを描いている唇に注がれている。

 だいぶ時間も経っているし、夕食だって食べたのに、綺麗に紅を引かれたその唇は依然魅力を湛えたままだ。


 構わない、というのは、一体どういう意味だろう。


 わかるはずなのに、うまく頭が働かない。

 こういうことだろうか、と鈍い頭で出した結論を実行に移す。

 晶の両肩に手を乗せたまま、少しだけ身を屈めて触れる程度に唇を重ねた。

 

「ごめん……」


 唇を離し、顔を背けたが、手はまだ晶の肩に乗せたままだ。


「……謝るようなことをしたんですか?」


 いつもと変わらない、抑揚のない口調。


 お前は、こういう時でもそうなのかよ。


「いや、その……」


 そう言って前を向く。晶は瞳を潤ませ、頬を上気させていた。


「アキ、泣いてんじゃねぇか」

「泣いてません」

「いや、でも」

「泣いてません!」


 晶はそう叫ぶと肩の上に乗せられた章灯の手を振りほどき、走って自分の部屋にこもってしまった。

 

「やっぱり間違えたんだ、俺……。最悪だ……」


 しばらく晶の前で粘ってみたが、ノックをしても声をかけても応答はなく、章灯はその場で顔を覆ってしゃがみ込んだ。




「……あなたは毎年下着なのね」


 郁は千尋から手渡された紙袋の中をちらりと覗いて笑った。


「だってさぁ、郁ちゃんがそれ着けてるところ、見たいじゃん」

「何を着けたって中身は変わらないのに」


 郁はくすくすと笑いながら丁寧にラッピングをはがす。


「そりゃ変わらないけどさ」

「それに、どうせすぐ脱がせるんでしょ」

「脱がせるけどさ」


 千尋は口を尖らせてそっぽを向いた。


「綺麗に包装されたプレゼントの包みを開ける時ってわくわくするでしょ? あれと一緒だよ」


 明後日の方向を見たまま、ぼそぼそとそう言うと、郁は「でもその場合、プレゼントの中身は毎年同じものじゃないでしょう?」と意地悪く笑った。


「また可愛くないこと言ってぇ……」


 今日は男の恰好だというのに、女装している時と同じように頬を膨らませる。郁はその膨らんだ頬を両手で優しく挟み、「可愛くなくてごめんなさいね」と言って自分の唇に引き寄せた。

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