♪21 BAR SNOW SCENE
「――んじゃ、ライブお疲れ、アーンド、メリークリスマース!」
ビールジョッキを高々と上げた
「うるせぇな。じゃあ誰が仕切るんだよぉ」
湖上は口元に笑みを湛えてさらりとそう返す。
それを言われてしまうと
何せ、このバンドの仕切り担当であるリードギターの安田雄太がいないのだ。
「まさか直前でぶっ倒れるとはなぁ……」
ヴォーカルの
「ほんと、
そう言って、ジュースのグラスを持って乾杯の声がかかるのを待っている晶の方を向く。
「キョウ、そういうのは後々! まず乾杯しちゃおうぜ。早く飲みてぇんだから、俺。――ぅあぁい、かんぱーいっ!」
一度下げたビールを再度高く上げて、湖上が叫んだ。
ライブ後の打ち上げはこじんまりとしたバーを貸し切って行われた。どうやらthousand handsの都内のライブ後はいつもここで打ち上げをしているらしい。
そして、打ち上げ会場は、晶の店が入っているビルの2階にある『BAR SNOW SCENE』である。
乾杯が済んだところで、貴田は改めて晶に向き直り、頭を下げる。
「いや、マジで助かった。ありがとう晶君」
「いえ、貴田さんには良くお世話になりましたから」
晶は手に持っていたグラスをテーブルに置き、両手を振って謙遜する。
「いや、本当に助かったよ。むしろ安田より上手いし」
そう言いながらリズムギターの高橋直樹が晶の肩を抱いた。
「高橋さん、重いです……」
高橋は晶と身長が変わらないので、この大勢だと、ずしりと体重がかかってしまうのである。
「ただなぁ……、晶が入ると、女の子の視線がぜーんぶ流れてっちゃうからなぁ……」
高橋は目を細めて晶を恨めし気ににらむ。
「おーまーえーはー、何でステージだとあんなんになっちまうんだよぉ~」
酒に弱い高橋は最初の一杯でもう出来上がっているらしく、空になったジョッキを持った手をぐりぐりと晶の頬に押し付けた。
「直樹! 止めろって!」
慌てて貴田がそれを止めるが、晶はうんざりした顔でされるがままになっていた。
「おーおー、ウチの王子様はどこへやっても人気者だねぇ」
少し離れたテーブルで他人事のように
「まぁ、ファンの女の子がかなりアキに流れたのは事実だしな……」
へっへっへと笑いながら湖上はビールを呷った。
「――で、飲んでる?
ロングソファで1列に座り、隣にいる章灯を無視するように身を乗り出して明花のグラスを覗き込む。
「はい、いただいてます!」
明花はビールジョッキを顔の前で軽く振って見せた。既に半分がなくなっている。
「コガさん、俺には聞いてくれないんですね……」
「野郎はどうでも良いんだよ。なぁ、オッさん」
「だな。章灯の顔はもう嫌ってほど見てっから」
湖上と長田は肩を組みながら笑った。
「相変わらずひっでぇなぁ。ていうか、この打ち上げ、メンバーさんと俺らしかいないじゃないっすか!」
いくらこじんまりとしたバーといえども、たかだか7人のためだけに貸し切るのはどうなのか。
「スタッフさんとか、そういう人達も参加するんじゃないんですか?」
「このバンドはいっつもこうなんだよ。だから女の子呼べって言ったんだ俺は」
湖上はそう言うと、人差し指をびしっと章灯に向けた。
「――でかしたぞ! 可愛いじゃん!」
「いや、マジでお手柄だわ、章灯。見直したよ、お前を」
長田もコーラのグラスを片手にご機嫌である。
「……
明花の方を向いて自虐的にそう笑ってみせる。
「もー、先輩、元気出してくださいよ! せっかく良いライブだったんですから!」
明花はそう言って、thousand handsのメンバーのいるテーブルに視線を移した。
「明花ちゃん、サウハン好きなんだねぇ。いやー、誘って良かった」
湖上は立ち上がると、明花の前に移動し、しゃがみこむ。
「あ、湖上さん、そんなところで……。私、椅子持って来ますよ」
明花が腰を上げると、それを章灯が右手で制する。
「座ってなよ、俺が持ってくるから」
「ありがとうございます」
「あらー、章灯、やっさしーい!」
湖上が茶化す。わざと声をオクターブ上げ、夢見る乙女さながらに顔の前で両手を合わせている。
「……地べたに座ってもらいますよ?」
目を細めて軽くにらんでから、thousand handsのメンバーがいるテーブルから空いている椅子を運ぶ。それを湖上の前に置くと、彼は「サンキュ」と言って、それに腰掛けた。
「――で、何だっけ。ああ、そうそうサウハンの話だ」
「大好きですよ。私、結構ロックが好きで、去年はBILLYのカウントダウンも行ったんですよ! 今年はチケットが取れなかったんですけど……」
「へぇー、BILLYもねぇ……」
長田はもの言いたげな視線を章灯に向けた。
その目が言わんとしていることは何となくわかる。
『良かったな、章灯』
たぶんそう言っている目だ。
「でも、皆さん、演奏中と全然雰囲気違うんですねぇ」
「――お? そうか?」
湖上は空のジョッキを軽く振って章灯にアピールしながら言った。
「ライブ中は、なんかもうカッコ良すぎて近寄りがたい感じだったんですけど、すごく気さくですね……」
明花はそう言って、またちらりと晶の方に視線を向けた。
章灯は湖上の手から空のグラスを回収するとカウンターまで運び、誰のものかわからないカクテルを振っているマスターに「すみません、ギネスあります?」と尋ねた。
今日は客が7人しかいないからなのか、店員はこのマスター1人のようである。酒は各自が取りに行くスタイルになっており、その分料金も安くしてもらっているらしい。
「冷蔵庫に入っています。申し訳ありませんが、出していただけますか?」
見事な白髪の温和そうなそのマスターは申し訳なさそうな顔で言った。
「すみません、失礼します」
断って冷蔵庫を開け、ギネスを1本取り出す。ちらりと後ろを見て長田のグラスを確認すると、あっちももうすぐ空になるようだ。
「すみません、コーラも貰っていきますね」
マスターはやはり、にこりと笑って軽く頭を下げた。
「はい、コガさん。ギネス。オッさんもコーラお代わりどうぞ」
「お、やっぱり伝わってたな」
「さすが章灯。気が利くじゃん」
湖上と長田は嬉々としてそれを受け取る。
「明花ちゃん、局での章灯ってどんなやつなの? どうせ真面目真面目でつまんねぇやつなんだろ?」
湖上が章灯の方を見つめながらからかうように言う。
「ちょ、つまんないとか、本人の目の前で……」
章灯はジョッキを口につけたところで自分の分が空になっていることに気付いた。
「何だよ章灯、お前自分の空じゃんか!」
長田が指差して笑う。
「章灯は結構抜けてるんだよなぁ~」
がははと湖上も笑う。
「先輩、局だと絶対こういうことないんですよ。いっつも準備も完璧で、本番中もぜんっぜんミスしませんし、私なんかいつもいつも助けられっぱなしで……」
明花は空になった章灯のジョッキを指しながら言った。
「だから、今日は先輩の意外なところいっぱい見れて良かったです」
いや、俺としては、あんまり見せたくなかった部分だったけど。
と、少し背中を丸める。
「あと、デスク回りもきちんとしてて……」
「ほぉ」
「ふぅん」
「鞄の中も綺麗に整頓されてますし……」
「へぇ」
「はぁ」
自分から聞いた割に湖上も長田も気の抜けたような返事である。おそらく、家で見る章灯と何ら変わりなかったからであろう。
やばい、何だかすげぇ恥ずかしいぞ。よ、よし、何か飲み物持って来よう。
そう思い、ジョッキを持って立ち上がってカウンターへ向かう。
章灯がその場を去ったのを見送って、明花が両手で口を覆い、少し抑えた声で興奮気味に続けた。
「でも、こないだ飲み会でカラオケ行ったんですけど、歌がすっごく上手くてカッコ良かったんですよぉ~!」
「――ぶっふぅっ!」
湖上が大げさに吹き出す。長田は咄嗟に口を押さえて何とかこらえたようだ。
「きったねぇなぁ、コガ。明花ちゃん、かかってない? 大丈夫?」
「おいおい、待てって、明花ちゃんにかけるわけねぇだろ。……かけてないよね?」
「かかってませんよ、大丈夫です」
何だよ、章灯。やっぱりこの子お前に惚れてんじゃね?
テーブルの上にあるティッシュでテーブルを軽く拭きながら湖上は思った。
背後でそんなことが行われていることも知らず、章灯はカウンターで手の空いたマスターに話しかける。
「すみません。ラムバックお願いします」
いちいちテーブルに戻ることもないかと、そのままカウンターチェアに腰掛けた。
「飲んでますか」
すると晶が背後からそう声をかけてきて、章灯の隣に座った。
「マスター、カウボーイをお願いします」
「薄めで! あとチェイサーもお願いします」
慌てて章灯が付け加えると、マスターはかしこまりました、と笑った。
「すっげぇカッコ良かったな」
目の前に置かれたラムバックを一口飲んで、切り出す。
「どうも」
「いつものアキとは別人だな」
「そうですか」
晶の前にもカウボーイとチェイサーが置かれる。
乾杯すりゃ良かったかな、と思ったが、晶が口をつけたのを見て、まぁ良いかと思い直す。
「そりゃ女の方も放っとかねぇわ」
「何の話ですか」
そう言って、チェイサーも一口飲む。律儀に章灯の指示を守っているようだ。
「……乾燥機の中にな、忘れ物があったんだよ」
瞼を閉じると白いブラジャーが浮かぶ。繊細なレースがあしらわれた、高そうなやつだ。最近の俺はとんとご縁がねぇな、女の下着なんて、と口を尖らせる。
「忘れ物……ですか?」
晶はきょとんとした顔をしている。章灯の言っていることの意味が分からないのだろう。
「白いブラジャーだよ。お前、女連れ込むのは勝手だけどさぁ、ノーブラで帰してんじゃねぇよ」
店内はBGMが流れていたが、それでも声を潜めて言った。こんな会話を消してくれるほどのヴォリュームでもなければ、騒がしい類の音楽でもなかったからだ。
頬杖をついて、大げさに息を吐きだすと、わざと呆れた顔を作って晶を見つめる。
「――ぶっ……!?」
晶は目を見開いてそれだけ言うと、「ぶ」の口のまま固まってしまった。
おいおい、こいつがこんなに動揺するなんて初めて見たぞ。
章灯は微動だにしない晶の肩をつかんで軽く揺すった。
「おい、アキ? どうした?」
「いえ……、何でも……。本当にすみませんでした……」
「お前のベッドの上に置いといたから、ちゃんと返しとけよ。別にいちいち紹介しろとか言わないけどさ、とりあえず、ヤる時は俺がいない時にしてくれよ? なーんて。あっはっは」
晶は無言で頷いた。下を向き、両手でカウボーイのグラスを持ったまま動かない。
「そ、そんなにしょげるなよ。うっかりなんて誰にでもあることじゃねぇか。な?」
想定以上にダメージを受けている晶の姿に狼狽し、必死にフォローする。
なかなか戻ってこない章灯を不審に思った湖上が周囲を見回すと、カウンターで晶と並んで座っていることに気付いた。
「おい、章灯がアキを泣かせてるぞ」
「マジか? いや、アレは口説いてるんじゃねぇのか?」
章灯は俯いている晶の背中をとんとんと叩いたりさすったりしながら、何やら必死に語りかけているようである。
「罪なやつだな、アキ……。他バンドのファンの子のみならず章灯のハートまで射止めちゃうのかよ」
湖上はギネスを飲みながらしみじみと言った。
「えっ? あの、先輩と晶君って、もしかしてそういう……?」
身体を捻ってカウンターを凝視している2人の間に明花が割り込んでくる。
「うぉっ! 明花ちゃんがいるのすっかり忘れてた」
湖上がしまった、という顔で長田を見つめる。長田はやれやれ、といった表情だ。
「明花ちゃん、いまのはね、ちょっとした冗談よ。あいつらは兄弟っつーか、犬と飼い主っつーか、そんな感じだから」
ため息交じりに長田が言うと、湖上はポンと膝を叩いて「それだ!」と叫んだ。
「犬と飼い主って表現はぴったりだな。でも、どっちがどっちかってのはたまーに曖昧なんだよなぁ……。まぁ、どっちかっていったらいまは章灯が飼い主寄りかなぁ?」
「アキに酒の飲み方も教えたみたいだしな」
「――飲み方?」
湖上と明花が同時に言う。
「昨日な、酒と交互に水飲んでてさ、何やってんだって聞いたら章灯の指示だって言うからよ」
「成る程。それで昨日はつぶれなかったのか」
湖上は感心したように頷いた。
「あの……晶君って……一体……?」
明花はジョッキを抱えたまま首を傾げた。
「なぁ、アキ、元気出せって。おい」
背中を優しく叩いてみたり、さすってみたりしながら優しい言葉をかけ続けるが、晶は下を向いたまま動かない。
よほど知られたくなかったんだろうな。
普段の淡白キャラとは違う面だもんなぁ、そりゃ恥ずかしいよなぁ。
「弱ったなぁ……」
章灯は万策尽きた、と背中を軽くのけぞらせた。
彼の手が離れたのを待っていたと言わんばかりに、晶が席を立つ。
「ちょ、アキ?」
「……トイレです」
飲み物を移動させないところを見ると、また戻ってくる気らしい。
すたすたと姿勢良く歩く姿はいつもの晶だ。
見つけなきゃ良かった。
そう呟いてカウンターに突っ伏す。しかし、もうどうなるものでもない。
はぁ、とため息をついたところで背中を強く叩かれた。
「――いってぇ! ……って、オッさん……」
「お前ぇ~、何アキ泣かせてんだよぉ」
長田はコーラのグラスを持ったままへらへらと笑っている。
「泣かせてないっすよ! ていうか、あっち良いんすか?」
「良いの良いの、コガがいるから」
ちらりと後ろのテーブルを見ると、明花は湖上と楽しそうに話をしている。
「――で? アキに何したんだ?」
長田はニヤニヤと笑いながら、晶が座っていた席に着く。
「いや、その……。今日、ウチの乾燥機の中にブラジャーがあって……」
章灯がそう言うと、長田は「ぅぐぅっ!」という声を発して口を押さえた。
「大丈夫っすか?オッさん」
「ギリ……大丈夫……」
マスターは無言で箱ティッシュを長田の前に置いた。軽く会釈をして、数枚抜き取ると、手を拭う。ギリ大丈夫ではなかったらしい。
「アイツ、女連れ込んでたんですよ。で、ノーブラで帰したってことですよね。で、それを指摘したら、もうこの世の終わりみたいな顔して……」
「まぁ、アキのキャラ的にはだいぶ痛かっただろうな……」
コーラのグラスを持ったまま、長田はマスターの後ろに並んでいる酒の瓶を見つめた。
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