♪20 白の衝撃
「はい、お疲れさまです」
数回のコールの後、
「ああ、お疲れさま。お休みの日にごめん」
だから、こういう口調もなんだろうな、などと言ってしまってからそう思う。けれど、かといって急に直せるものでもなかった。
「いいえ、ちょうど退屈してたところで……。どうなさいました? もしかして、もう振られちゃいましたぁ?」
おどけた口調で明花が言う。
「いや、振られる前に
「――え?」
「ああ、いや、良いんだけど。あのさ、今日、夜空いてる? 知り合いのライブに誘われたんだけど、どうかな」
下手に言葉を区切ると、余計な詮索をされそうで、畳み掛けるように話した。
「ライブですか? 行きたいです! 私、大学の頃良くライブハウス行ってたんですよ! 何ていうバンドなんですか?」
嬉しそうな明花の声を聞いて安心する。よく考えたら、こういうのが苦手な子だっているのだ。その可能性を全く考えていなかったことに気付いて、少しだけ背中に汗をかいた。
しかし……。
「バンド名……、そう言えばまだ聞いてなかったな……」
「え? 知り合いなのにですか?」
「すっかり忘れてた……」
「先輩、プライベートでは意外とうっかりさんですね……」
まさか、こんな局面で自分の意外性を見せる結果になるとは……。カッコ悪いな、俺……。
「まぁ、でも楽しみです。何時にどこへ行けば良いですか? 私、車出しましょうか?」
「いや、汀さんさえ良ければ打ち上げにも参加してほしいから、電車で行こう。たぶん、帰りは酒飲めない人がいるから何とかなると思う」
……オッさん、アッシーにする気満々でごめん!
「えぇー! 打ち上げも良いんですかぁ? やったぁ! 楽しいクリスマスになりそうですね!」
「いや、良かった。ほんとに……」
これでコガさんにどやされることもないな。などと考えて胸を撫で下ろす。
「――え?」
「ああ、いやいやこっちのこと。ライブは5時からなんだけど、時間とかはまた後で連絡するよ」
「わかりました」
電話を切り、携帯を持ったままソファの背もたれに身を預ける。
俺は後輩への電話で何でこんなに緊張してんだ。電話なんて、業務連絡で嫌ってほどかけてんだろ。
そうは思うものの。しかし、これは業務連絡とは違う。完全な私用である。
「俺ってこんなヘタレ野郎だったか……?」
そうぽつりと呟く。
「さて、シャワー浴びて洗濯もしちまうかな」
膝を叩いて気合を入れる。いまの、ちょっとオッさんぽかったな、と苦笑した。
洗面所に向かい、洗濯機を開けると、昨日入れたはずの汚れものがない。
「アキがやっといてくれたのか」
片付けは苦手だと言うものの、洗濯はそうでもないらしく、いつも家にいる
「――うん?」
乾燥機の奥に何やら白いものが入っている。おそらく、取り忘れたのだろう。
「母さんも良くやるんだよなぁ……。まぁ、単純に背が低くて見えにくいってだけだろうけど……」
ドラム式の洗濯機が欲しいなぁ。でもこれまだ使えるし。いや、でもウチの母親ならまだしも、アキの身長ならさすがに奥まで見えると思うけどなぁ。
そう呟きながら、取り忘れたものを回収する。
「――おぉ?」
引っ張り出してみると、男2人の生活ではなかなかお目にかかれないものである。というか、出さなくても感触が既に男物のそれではない。
「……ブ……ラジャー……。Cカップ……」
――あの野郎……! 女連れ込んでやがる!
さては、調理器具を洗ったのもそいつだな?
章灯は手早くシャワーを済ませ着替えると、ブラジャーをつかんだまま晶の部屋をノックした。
「おい、アキ、いるか?」
しかし、返事はない。携帯で時間を確認すると、もう2時だ。もしかしたら自分がシャワーを浴びている間に家を出たのかもしれない。
そぅっとドアを開けると、部屋の中は相変わらずの乱雑ぶりである。
ため息をついてブラジャーをベッドの上に放り投げると、ドアを閉めた。
「やっぱりアイツは枯れてもいねぇし、お子ちゃまでもねぇわ」
リビングを通って自分の部屋に向かおうとすると、尻に振動を感じた。
これはメールか? 着信か?
「良い加減バイブを変えろ、俺」
そう言いながら携帯を取り出すと、振動はぴたりと止まった。どうやら今回はメールだったらしい。
サブディスプレイには『メール1件』と表示されている。
受信ボックスを開くと、晶からだった。おそらく、場所を知らせるメールだろう。
そうだ、バンド名も聞かなきゃな。
いや、聞きたいことや言いたいことはもっとあるけど!
もしかしたら代役で演奏するかもしれないのだ。下手に指摘してそっちに影響が出たらバンドの方に申し訳がない。
ブラジャーの件に関しては、後でじっくり問い詰めてやる。
そう心に誓った。
件名:ライブの場所
本文:場所は『赤坂bEAt box』です。コガさんとオッさんがサポートしているバンドは『
赤坂bEAt boxといえば約800人が収容出来る大きさのライブハウスだ。有名なところなので場所はわかる。しかし、晶からのメールにはご丁寧に地図まで添付されていた。
「こういうのはマメだな、アイツ」
こちらから尋ねなくてもバンド名までしっかりと記載されている。
はいはい、thousand handsか……。
――は?
thousand handsって、オイ!
曲はあんまり知らないけど、結構有名だぞ?
この時期に、この規模……。
もしかして、ファンクラブの限定ライブだったり……?
「先輩ってそういう恰好もするんですね」
赤坂駅の改札前で、いつもよりもカジュアルな恰好をして立っていた明花は、章灯が声をかけると目を丸くして驚いた。
派手めなプリントの白いロングTシャツにダメージジーンズ。その上にはモッズコートを羽織り、足元はごつめのブーツという出で立ちだ。胸元には晶の店で買ったシルバーの釣り針とクニマスが揺れている。
それでもやはり局の人の前で派手な恰好をすることに抵抗があり、彼としてはまだおとなしめのコーディネートなのだが。
俺はよっぽど真面目な男に見られているらしい。
「汀さんこそ、今日は随分カジュアルだね」
明花はショート丈の黒いダウンジャケットにタイトなデニムのミニスカート姿だ。黒いタイツにエンジニアブーツを履いている。
「私、ライブの時はこういう感じなんです。でもまさか先輩がサウハンのメンバーさんとお知り合いだったなんて~! もぉ~!」
明花は満面の笑みで激しく足踏みしながら章灯の腕を叩いた。かなり興奮しているようである。
「メンバーって言っても、サポートメンバーだけどね」
「サポートでも何でも良いんですよ! 先輩、やるじゃないですかぁ!」
やるじゃないですか、と言われて嬉しい気もするが、それも結局は俺の力じゃないんだよな。
俺ってほんと、あの3人に助けられっぱなしっていうか、何て言うか……。
「……先輩?」
情けなさで肩を落としている章灯の顔を、明花が覗き込む。
「あ、あぁ何でもないよ。行こう」
bEAt boxに着き、晶に電話をかけると、いつものテンションで素っ気なく、裏口に回ってくださいという指示を出された。
それに従って建物をぐるりと回ると、裏口のドアから上半身だけを出した晶が手を招いている。周囲を気にしながら、中へと入った。
「おー、ばしっと決まってるな、アキ」
晶は白いシャツに黒いレザーのベストとレザーのパンツ姿だ。
シャツは第2ボタンまで開けられ、首には太めのチョーカーが巻かれている。チョーカーには風車のようなトップがつけられていた。間違いなく、晶の店のものだろう。褒めたことは正しく伝わったらしく、「どうも」と軽く頭を下げられた。
「アキ、それは風車か……?」
見慣れないデザインを近くで見てみようと一歩踏み出すと、晶はぶっきらぼうに「手裏剣です」と返した。
「手裏剣かよ。お前のセンスどうなってんだ」
章灯が感心していると、半歩後ろにいた明花が一歩前に出る。
「あのー、先輩、私を紹介してくださったりとか、そういうのはないんですか……?」
「あぁ、ごめんごめん。アキ、後輩の汀明花さん。お前『WAKE!』って見て……ないよな……? とにかく、後輩」
晶を含むあの3人に『WAKE!』を見ているか聞くのは最早愚問中の愚問である。見ているわけがないのだ。
何たって朝5時からの番組なんだから。
「見てますよ。水曜日のアシスタントの方ですよね」
意外にも晶はさらりとそう言うと、にこりと笑った。章灯も久しぶりに見るような優しい笑みである。おそらく、『余所行きの顔』というやつだろう。
――てめぇ! このジゴロ!
お前そんな顔出来んのかよ! 女の前では早速別人か!
驚きと怒りの混じった目で見つめると、晶はその視線に気付いたようで、不思議そうな顔を向けた。
「どうしたんですか、章灯さん? 『俺の雄姿を見ろ』って言ったの、章灯さんじゃないですか」
呆れたように言うと、明花の方を向き直り、「初めまして。飯田晶です」と言って丁寧に頭を下げた。
「あれ? 先輩。もしかして、この人が『晶君』ですか?」
「えっ? あー……そうそう。この人が『晶君』」
初対面の相手から自分の名が出たことに晶は怪訝そうな顔をして、章灯をにらんだ。何か余計なことを言ってませんか? とでも言いたげな表情である。
「章灯さん……?」
「おい、そんな目で見るなよ。料理が上手いやつって話しただけだって。変なこと吹き込んだりしてねぇよ」
慌てて説明すると、晶はまだ目を細めて疑うような視線を向けていたが、あまり時間もないのだろう、追究をあきらめたようだった。
「とりあえず、席に案内しますから」
そう言って、くるりと背中を向ける。
「なぁ、アキは出るのか?」
まっすぐ伸びた背中に問いかけると、首だけを章灯に向けて言う。
「結局、出ることになっちゃいました。やっぱりダメだったみたいです」
動画じゃなくて、生でアキのパフォーマンスが見れる……!
期待に胸が膨らむと同時に、明花を持って行かれたらどうしよう、という不安が襲ってくる。
まぁ、別に俺のもんでもないし、狙ってるとかそういうんじゃねぇけど。
でも、俺の可愛い後輩に手ェ出すんじゃねぇぞ、このジゴロ!
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