♪19 クリスマスのお誘い
「
「章灯さん、風邪引きますよ。起きてください」
何度も呼びかけてみるが、ぐぅぐぅといびきまでかいて熟睡している。
「どうしてこんな体勢で……」
このまま放置するわけにはいかないが、自分よりも身体の大きい章灯を抱えてベッドまで運べるとも思えない。
「……ちょっと試してみようかな」
そう呟くと、晶は一度自分の部屋に戻ってアンプ内蔵ギターを持ってきた。色はもちろん赤である。
床に胡座をかき、つまみを回して電源を入れる。一軒家とはいえ夜中なので、ヴォリュームはさすがに小さめに調節したが。
深呼吸をひとつし、いつもよりも一段低い声を出した。
「CM空けまーす。10秒前ー。……4、3、2……」
そう言った後で『ホットニュース!』のテーマを弾く。内蔵のアンプなので同じ音は出せないが、仕方がない。
よく、こういう職業の人って条件反射で身体が反応するって言うけど、本当なんだろうか。
それが本当なら、もうあと数秒でしゃべりだすはずだ。果たしてどうか。
そんなことを考えて。
「――おはようございます! 今日の朝刊から、ホットなニュースをお届けします!」
章灯は完璧なタイミングで顔を上げ、寝起きの声ではあったが、本番さながらにハキハキといつもの台詞を言い切った。
言い切った後で、ここがいつものスタジオではなく自分の家のリビングであることに気付く。
そして、目の前にはカメラではなく、目を丸くして固まっている晶がいた。
「あれ……? いま……」
「おはようございます」
「おはようございます。いや、そうじゃなくて」
「どうしても起きないので。すみませんでした」
「いや……良いけど……。なんで俺こんなとこで寝てるんだ? コガさんとオッさんは?」
章灯が完全に覚醒したところで、プチ、と音を立ててギターの電源を切る。
「たぶん、帰ったと思います。何時に帰ったかまではわかりませんが」
「いま何時……? うわ、2時か。お前、何で起きてんの?」
「何でと言われましても。目が覚めちゃったんです。で、水でも飲もうと思ったら、ここに章灯さんが」
足を伸ばし、大きく伸びをする。何だか身体がバリバリに固まっている気がする。まぁ、こんな姿勢で寝ていたら無理もないだろう。
「いや、でも助かったよ。ありがとうな。そんなに飲んでないのに、疲れてんのかなぁ」
ゴキゴキと首を鳴らす。その様子を晶はじっと見つめていた。
「章灯さん、今日はお休みなんですか」
「今日? あぁ、もう今日か。今日は休みだよ。だから、今日が俺のクリスマスだなぁ。ケーキ買ってパーティーでもするか? 野郎だけで」
そう言うと、晶はいかにも嫌そうに顔をしかめた。やっぱりこいつもクリスマスに野郎だけは嫌なのかと思い、苦笑する。
「もし、何も予定がないなら、ライブに行きませんか」
「ライブ?」
「コガさんとオッさんがサポートで入ってるバンドが、今日の夕方にクリスマスライブやるんですよ」
「マジか……。俺そんなの聞いてねぇぞ。何で教えてくれなかったんだ」
「さぁ。何ででしょうね」
晶はさらりと言った。
さほど興味がないのだろう、抑揚もなく。
「でも、今日いきなり行ってチケットとか大丈夫なのか?」
「関係者席があります」
「関係者って……。アキ、呼ばれてんのか?」
「補欠として待機してくれって言われて」
「補欠? そんなのあるのか?」
「正規メンバーが病み上がりらしくて、もしもの時のためにって。滅多にないことですけど」
「でも、俺行って言いのか?」
「充分関係ある人ですよ」
そう言うと、電源の入っていないギターを弾き始める。どこかで聞いたことがある曲だった。
「良い曲だな、それもアキが作ったのか?」
「いえ、これは、今日のバンドの曲です」
章灯には目もくれず、黙々とギターを鳴らす。
「そっか、補欠っていっても練習はしないとな。――行くよ、ライブ。是非」
「じゃ、後で場所をメールします」
「連れてってくれないのか?」
「リハがあるんで、だいぶ早いですよ。章灯さんは少し休んだ方が良いんじゃないですか」
「まぁ……そうだよな」
そう言って立ち上がる。テーブルの上は
のろのろと歩いて自分の部屋のドアに手をかけた時、ギターの音が止まり、晶が声をかけた。
「もしどなたか誘いたい人がいれば、もう1人くらいは大丈夫ですから」
振り向いて晶の方を見ると、一瞬目が合ったが、すぐに逸らされ、控えめな音のギターが始まる。
「誘いたい人って、お前なぁ……」
そんなやつ、いねぇよ。
そう言いかけた時、章灯の声に被せるように晶が言う。
「昨日のご飯の子。誘ったらいかがですか。野郎だけのクリスマスより良いんじゃないですか」
「昨日の……って……。まぁ……、あっちが暇ならな……」
そう濁したが、別れ際の感じからすると、
でも、俺、女とは言ってないはずなんだけど。
「やっぱりジゴロか……」
晶に聞こえないように呟くと、「とりあえず、寝るわ」とだけ言ってノブを回す。
「5時からなんで、ゆっくり休んでください。朝ご飯は昨日のが冷蔵庫に入ってますし、昼の分も何か作っておきますから」
晶の声を背中に受け、ドアを閉めきる前に手だけを出して振った。
ベッドに倒れこみ、布団をかけると、睡魔はすぐに襲ってくる。
意識が遠退く前に、ふと、疑問が湧く。
前にオッさんは、アキのことを『枯れてる』と言った。それを『お子ちゃま』と訂正したのはコガさんだ。
でも、さっきの話だと矛盾してるよな。だって、彼女でもない女の子とヤっちゃうんだろ?
全然枯れてもいないし、お子ちゃまでもない。
どういうことなんだ……?
アキって……一体……何なんだ……?
そこで章灯の意識は途切れた。
まどろみながら寝返りを打つ。
うつ伏せから仰向けになったところで、尻ポケットに入れっぱなしになっていた携帯が振動していることに気づいた。
どうせまたメールだろ。あぁ結局バイブ変えてねぇなぁ。
なんて思い、無視をするが、バイブレーションはなかなか止まらない。
もしかして、着信か?
着信と気づいてしまった以上、無視を決め込むわけにもいかず、携帯を取り出した。やはり着信のようで、サブディスプレイには『湖上勇助』の文字が表示されている。
「よりによってコガさんかよ……」
ため息をつきながら通話ボタンを押す。
「もしもし……」
明らかに寝起きとわかるようなテンションで話し始める。これで気を利かせてかけ直してくれれば良いのだが、おそらくそれは期待出来ないだろう。
「おー、やっと起きたな章灯!」
能天気な湖上の声が響く。
「やっとって……」
覚醒しきっていない身体をのそのそと起こし、壁に掛けてある時計を見る。
ぼやけた焦点がゆっくりと定まると、時計の針が12時を示しているのが見えた。
「12時ぃっ?」上半身を完全に起こし、思わず声を上げる。
「うぉっ、急にでかい声出すんじゃねぇよ」
「あぁ、すみません。ちょっとびっくりしちゃって……。うわー……寝すぎたなぁ……」
「起こしてやろうと思って、さっきから何回もかけてたんだけどさぁ」
「何か、すみません……。で、えーっと、何のご用でしょうか」
「お前、今日暇だろ? どうせ」
どうせ、というフレーズが、いかにも小馬鹿にしている感を漂わせている。
その通り暇なのだが、そのまま答えるのも何か癪で、少し反抗してみる。
「暇じゃないっす」
「マジ? 女か?」
「……女は、これからですけど」
「ふぅん。まぁ良いけどさ。今日ライブやるからさ、見に来いよ。昨日言おうと思ったんだけど、お前寝ちゃったからさぁ。その子も連れて来いや」
「……言われなくてもそのつもりです」
「――は?」
「アキから誘われたんですよ」
「なーんだ、アキ、誘ってくれてたのかよ」
「それに、女の子誘えって言ったのも、アイツの差し金です」
章灯が拗ねたような口調で言うと、湖上は愉快愉快と声を上げて笑った。
「はーっはっはっは。お前まーだ昨日のこと引きずってんのか」
「もー、良いじゃないすか! とりあえず行きますから、今日。女の子は来るかどうかわかんないっすけど」
「何でだよ。どうにかして呼べよ。打ち上げもあるし、野郎ばっかりのクリスマスなんて嫌なんだよ、俺は」
「俺に期待しないでくださいよ。スタッフとか、ファンの子とか、コガさんならどうにか出来るでしょうに!」
「そりゃーどうにか出来るけどさぁ~。良いじゃん、頑張れって、章灯。場所は後でアキにメールさせっから、絶対来いよ!」
「……わかりましたよ」
電話は一方的に切られた。
画面を見ると『不在着信5件』の文字。
「コガさん、結構かけてくれてたんだな……。ありがた迷惑……でもないか」
章灯は携帯をパタンと畳むと、左手で目をこすった。
「ていうか、女の子ウケするバンドなんだろうか……。どんなやつなのか聞くの忘れてたな……」
アキに聞いてみるか、と思いながら立ち上がる。
のろのろと冷えた自分の部屋から出ると、リビングはほのかに暖かく、人の気配を感じさせた。
「アキ? いるか?」
声をかけながらキッチンに入るが、晶の姿はない。
コンロの上には汁物用の鍋が置いてある。蓋を開けるとふわっと湯気が上がり、うまそうな匂いが漂ってくる。豚汁だ。
「てことは自分の部屋か」
別にわざわざ部屋に行かなくても、出発前に聞けば良いかと思い、とりあえずリビングを片付けて食事をすることにした。
「料理に関して、アイツは本当に気が利くな」
食べ損ねた昨夜のメニューはブリの照り焼きとほうれん草と焼きしいたけのみそ和え、そして冷奴。
昼用には豚汁しか作っていないところを見ると、章灯が寝過ごすことを見越していたのだろう。
シンクに置いてある洗い桶には晶の分の食器が水につけられている。
「最近は言わなくてもちゃんと食べるようになったな」
大人なら当たり前に出来そうなものだが、あの晶だ。これは大した進歩だろう。
2人分の食器と包丁、まな板を洗いながら、何か少ないな、と思う。
いつもなら晶が調理した時のまな板や包丁、ザルやボウルなどもシンクに置きっぱなしなのだ。
なのに、昨夜の分の調理器具が無い。晶に限って、まさかブリを切った包丁やまな板を使い回すわけがない。
当初、晶はさすがにそこまでは、と自分で洗おうとしていたのだが、さすが片付けが苦手と公言するだけあって、洗い物が終わった後の水回りは悲惨なことになっていた。
毎回こうなるのでは逆に負担が増えるだけだということで、半ば懇願するような形で調理器具も章灯が洗うことになったのである。
しかし、今日は、水回りも綺麗なものだ。
アキもやれば出来るんじゃねぇか。
そう呟き、洗い終えたものを丁寧に布巾で拭いて棚にしまう。
「さて、と……」
リビングに戻り、尻ポケットから携帯を取り出してソファに座る。
電話帳のマ行から『
『もし、その女の子に振られたら、声かけてくださいよ。野郎4人でも溶け込んで見せますから!』
昨夜、明花はそう言っていた。
ということは、おそらく、予定は入れていないのだ。
予定がないのだったら、別に、俺が誘っても良いよな? 1人で味気ないクリスマスを迎えるよりは、ライブでも行った方が有意義ってもんだろ。まぁ、クリスマスって言っても、23日だけどさ。
心の中で何度も自問自答する。
携帯のバックライトが消える度に、適当なキーを押して『汀明花』の文字を光らせた。
うじうじと考えている自分が嫌になる。
『あーあーもう、先輩は意外性がないんですよねぇ~』
そういえば、こうも言われた。
自分で言うのも何だが、俺はテレビでは爽やか好青年だ。そして局内でも人当たりの良い社員であると思う。
まったくその通りだよ。
汀さんに見せている俺は、意外なところなんてきっと1つもない。
局の人と会う時は、例えプライベートでもそれなりの恰好をする。
だから、彼女に意外なところを見せられるのは、デビューの時か、もしくは、今日だ。
ふぅ、と大きく息を吐き『発信』のキーを押した。
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