♪15 turn off the love

あきらさん、お疲れさまです」


 『turn off the love』という名の店に入ると、愛想の良い女性店員が晶の姿を見て、丁寧に頭を下げた。条件反射で「いらっしゃいませ」などと言うこともない。晶の車が店の前に停まったのを確認していたのだろう。

 その女性店員は、章灯が見たところ、20代半ばくらいのように思えた。ウェーブのかかった茶色い髪をゆるくポニーテールにしている、優しい印象の女性だ。


「紗世さん、お疲れさまです。デザイン画、持ってきました」

「いつもご足労いただいて、申し訳ありません。そちらの方は?」


 紗世と呼ばれた女性は首を傾げて、晶の背後にいる章灯しょうとと視線を合わせる。


「えっ……と、知り合いです。その、仕事関係の……」


 そう、まだユニットのことは秘密にしておかないといけないのだ。


「ども、山海やまみです……」


 章灯もまた、それだけ言うと、軽く会釈する。


 まぁ、こんな恰好だし、俺が『WAKE!』のアナウンサーだなんて気付かないだろう。『ヤマミ』なんて名字もさほど珍しくもないし。


 案の定、爽やかな朝の顔といまの章灯を結びつけることは出来なかったようで、紗世も深く追究することはせず軽く頭を下げるのみだった。


「今日、店長は……」

「バックにいますよ。お呼びしましょうか?」

「いえ、直接行きます。山海さんは……どうしますか」


 紗世の前でいつものように章灯さん、と言わなかったのは一応バレないようにとの気遣いのつもりだろう。『ヤマミ』はありふれていても『ヤマミショウト』という組み合わせならば話は違って来る。


「アキが邪魔じゃなければ、行っても良いか? せっかくだから挨拶くらいは」

「構いません」


 ぶっきらぼうにそう言って、すたすたとレジカウンターの奥にあるドアへと向かった。


 こいつ、店の人に対してもこのまんまなのか。まぁ、デザイナーってのは多少偉そうにしてるのがデフォみたいなもんだけど。接客業は無理だろうな。


 晶は「入るぞ」とだけ言ってノックもせずにドアを開けた。そこは6畳くらいの小さな部屋で、スチールデスクのセットが2つ置いてあり、その1つで髪の長い女性が何やら作業をしているようだった。その女性は、晶の声でなのか、はたまたドアが開いた音でこちらに気付いたのか、特に驚く様子もなく、ゆっくりとこちらを振り向いた。


「――あれ? アキ?」


 女性の顔を見た章灯が思わず声を上げる。


 黒いハイネックのワンピースに身を包んだその女性は晶に瓜二つだったのである。


 章灯は半歩前にいる晶の顔を一度覗き込み、それから視線を戻して、もう一度目の前の女性を見る。

 その女性も晶の方でも、連れのそんな奇行には慣れているのか、特に動じる様子もない。


「デザイン、持ってきた」

「ありがとう」


 不思議そうに顔を見比べる章灯には目もくれず、2人は淡々とやり取りをしている。


「ちょ、ちょっと……。確かに俺は部外者だけどさぁ……」


 説明くらいあったって良くないか?


 そんな空気に耐え切れず、章灯が晶に向かってぽつりと漏らす。

 その情けない声に女性がくすくすと笑いながら、やっと章灯に視線を合わせた。


「晶、こちらの方は……?」

「音楽の方の知り合い」


 晶は章灯を見ることもなく、鞄から書類の束を取り出し、やや乱暴に女性のデスクの上に置く。置く、というよりは心なしかようにも見えた。


「ああ、本業の方のね。びっくりされましたか? 同じ顔ですもんね」


 女性はデスクの上の書類を手に取ると、一度パラパラとめくり、それから章灯の顔をじっと見つめた。

 見つめた、というより、章灯に改めて自分の顔を見せた、と言った方が正しいかもしれない。


「びっくりしました……。えっと、双子……ですか?」


 女性の丁寧な話し方に、つい章灯も敬語になる。晶と双子だとしたら、自分よりも6つも年下のはずなのに。


「はい。双子の姉です。かおると申します」

「お姉さん……ですか。あ、えっと、俺は山海と……言います」


 噛みしめるようにそう言うと、郁はにっこりと笑った。


「山海さん、姉と言っても、晶と同い年なんですから、敬語じゃなくて良いんですよ? 晶がお世話になっております」


 双子でもこうもキャラが違うとは……。ていうか男女の双子でもこんなに似てるって、すげぇなぁ。


「いえ、むしろ俺の方が世話になっているというか……」

 

 飯を食わせてもらっていうというか……。


「晶の手料理、食べました?」

「――え? ああ、はい……」


 心の声が聞こえたのかと思い、どきりとする。


「胃袋、つかまれちゃいましたね?」

「そりゃあもう……」


 苦笑しながら話す章灯の様子を見て、郁はくすくすと笑った。


「これでもう少し愛想が良ければ可愛げもあるんですけどね」

「良いだろ、別に」


 2人の会話を遮るように素っ気なくそう言うと、晶はさっさと部屋を出て行ってしまった。


「――え? おい、アキ!」

「良いんですよ、いつものことなんです。山海さん、扱いにくい子ですけど、見捨てないでやってくださいね」


 郁は少し寂しそうな顔で言った。


「それはもちろん。じゃ、あの、失礼します!」

 やっぱり最後まで敬語は抜けず、ぺこりと頭を下げて部屋を出る。



 晶はレジカウンターに置いてある折り畳み椅子に憮然とした表情で座っていた。それも何だか様になっているのがまた悔しい。


「何かごめんな。お姉さんと変な空気になっちゃって」


 章灯がそう言うと、立てかけてあった折り畳み椅子を広げて勧めてきた。


「章灯さんのせいじゃないです。郁とはいつもああですから」


 晶の隣に座って店内を見渡す。さほど広い店ではないが、ゆったりとしたアコースティックギターのインストゥルメンタルが流れており、落ち着いた雰囲気だ。

 客はカップルが2組。そのうちの1組は紗世が接客をしている。


「それと、騙されない方が良いですよ、アレはではありません」

「え? どういうこと? 妹さんなのか?」

「違います。アレは、です」

「あっ……兄ぃ? ――って、おわぁっ!」


 晶は涼しい顔をして淡々と話したが、章灯にとっては椅子から転げ落ちるほどの衝撃であった。

 ガタン、という大きな音で店内の人間の注目を集めてしまい、痛さよりも恥ずかしさが勝る。


「ああ、すみません、どうも……はは……」


 章灯は慌てて立ち上がると、四方に頭を下げてから、椅子に座り直した。


「大丈夫ですか? そんなに驚かなくても……」

「驚くよ!」


 さすがに声のトーンを落とす。それくらいの理性は残っているのだ。


「だって、見るからに女っていうか……。む、胸だってあったし……」

「そんなのどうにでも出来るじゃないですか。第一、男女の双子は二卵性ですから、ここまで似ません」

「まぁ、それは確かに……」

「でも、外では女で通してるので、そのように接してやってください」


 そう言うと晶は少し笑って席を立った。椅子を畳んで壁に立てかける。


「――見ますか? 店内」

「おう、そうだな」章灯も立ち上がって椅子を畳んだ。



「――お、これ良いな」


 章灯は釣り針と魚がセットになっている大振りのペンダントトップを手に取った。


「やっぱり釣具店の息子さんですね。その魚、何かわかりますか?」


 晶に言われ、顔を近付けてじっくりと観察する。どこかで見たような気はするものの、『魚』という情報以外にはさっぱりである。


「随分細かいところまで作ってんなぁ……。でも、ぜんっぜんわかんねぇ。ていうか、そっちに詳しかったらいまごろ実家継いでるって」


 そう言って顔を上げて苦笑する。


「それもそうですね。一応、それクニマスのつもりで作ったんです。御存知ですか? クニマス」

「それ……俺を秋田出身と知ってて聞いてんのか? 愚問すぎるだろ。北海道のやつに鮭知ってますかって聞くようなもんだぞ」


 章灯が片頬を上げてニヤリと笑うと、晶もつられて笑った。


「そうですね。愚問すぎました。でも、一応言っておきますけど、これ、去年からあるデザインですからね」


 去年からある、と付け加えたのは、章灯が釣具店のせがれ且つ秋田出身だと知ってから作ったわけではないと言いたいのだろう。


「わかってるって。でも、そういうの抜きにしても、コレ良いわ。買ってく。――って、この値段って本当にこれで合ってるのか?」


 添えられた値札を確認しながら晶を見ると、不思議そうな顔をして首を傾げてきた。


「高すぎましたか? チェーンも別売りですしね」

「逆だよ! 安すぎだろ! これで3,000円ってどういうことだよ」

「どういうことって言われましても……」


 晶は不思議そうな顔のままである。


「この店、経営は大丈夫なんだろうな……?」

「そこそこ」

「お前、紗世さんにちゃんと給料払ってんのか?」

「それなりに」

「お前の分の稼ぎはあるのか?」

「アレが売れた分だけ」


 そう言って晶はスピーカーを指差した。


「スピーカー? スピーカーも売ってんのか?」

「いえ、BGMの方です」

「もしかして、いま流れてんの、お前の曲?」

「そうです」

「……売れてんの?」

「ぼちぼち」

「デザイン料とかは……?」

「趣味でやってるようなもんですから。出来上がったサンプルをデザイン料ってことでもらってます」

「それで良いの? お前」

「良いんです。いまのところ、アレで食べていけてるんで」


 そう言うと晶はスピーカーに視線を向けた。


「お前……。まぁ、良いか。とりあえず、コレ買ってくよ」

「お買い上げありがとうございます。紗世さん、レジお願い出来ますか」

「お前、レジも打てねぇのかよ」


 紗世はカップルに断ってこちらへ駆け寄ってくる。


「何かすみません、接客中に」

「良いんですよ、仕事ですから」

「アキにもレジ教えた方が良いんじゃないですかね」


 財布から万札を取り出し、ペンダントトップと共に紗世に手渡す。


「いえいえ、晶さんは滅多に顔を出しませんし、それに、いつもはすぐお帰りになられるんですよ」


 そう言いながら代金と商品を受け取る。


「贈り物ですか? 包みますか?」

「あ、自分用だから、もう適当で」 

「かしこまりました」


 紗世は手早く金額を入力して、先に釣りを手渡すと、小さな紙袋に商品を入れ、店のロゴが入ったシールで口を留めた。


「ありがとうございました。またいらしてくださいね。だいたい毎月新作が出ますんで」


 にこりと笑って商品を手渡し、紗世は丁寧に頭を下げた。


「また来ます」


 それを受け取ってちらりと隣を見ると、晶も慌てて頭を下げる。


「……お前も少し接客を学んだら?」


 意地悪な表情で笑うと、晶はばつの悪そうな顔をして頭を掻いた。




 来た時と同じように晶の車に乗り込む。


「どこか寄りたいところはありますか?」


 シートベルトを装着しながら、晶は章灯に問いかけた。


「いや、俺は特にないな。アキはどこか寄るところないのか?」

「スーパーですね。食材を補充しないと。今晩は何が食べたいですか?」

「そうだなぁ……。そういやアキの好物って何なんだ?」

「そうですねぇ……」


 晶はエンジンをかけると、ゆっくりと発車させた。ハンドルを握れば性格が変わる、などということもない、穏やかな運転である。


「……ハンバーグ……ですかね……」


 晶は少しためらった後に、いつもより小さな声でそう答える。


「……お子さま……」


 章灯が笑いをかみ殺しながら言うと、晶は口を尖らせて拗ねたような口調で言った。


「絶対そう言うと思いました」

「ごめんって。でも、実は俺も好き。じゃあさ、ハンバーグ作ってくれよ」

「わかりました」


 大型スーパーに着くと、晶は手に取った食材を様々な角度から吟味してカートへ入れていく。

 章灯には何をしているのかさっぱりだったが、何しろこっちの分野は晶に丸投げなのだ。黙ってその後ろをついて行く。

 今晩のハンバーグの材料以外にも買うものは結構あったようで、レジへ向かう頃にはカートがいっぱいになっていた。

 会計後、手慣れた様子で袋に詰め、それをまたカートに載せる。章灯もせめて袋詰めくらいは、と申し出てみたのだが、やはり何かしら遵守するべきルールがあるらしく、丁重にお断りされてしまう。


「結構重いので、このまま車に持って行きます」

「それぐらい持つって」


 そう言って2つのビニール袋を右手で持ちあげる。大きさの割には、持てない重さでもない。おそらく手を痛めないように、重いものは持たないようにしているのだろう。何せギタリストの手だ。


「え? じゃあ……」


 晶も慌ててその1つを章灯から奪おうとするが、それを空いている左手で制した。


「良いって、お前の手は商売道具だろ。アキはカートを戻す役な」


 そう言って、右手から袋を1つ左手へ移動させる。


「すみません……」


 ガラガラと音を立てて、空のカートを押しながら出入り口へと向かう。

 晶はカートを戻すと、小走りで車へ向かい、トランクを開けて章灯の到着を待っている。

 その姿を見て、章灯は苦笑した。


「面白れぇな、アイツ。犬みてぇ」

 

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