♪14 『Tender Tune』

「はぁ~……」


 いや、わかってたよ。わかってた。

 コーラスに全力を注ぐって局長も言ってたもんな。

 そんなやつが下手なわけないんだって。わかってたっつーの。

 だいたい、相棒が下手でありますようにって、俺、どんだけ器小せぇんだよ!


「アキ、お前、もう1人でも充分やれんじゃね? これでコーラスだけなんてもったいなさすぎだろ……」


 ベッドを背もたれにして床に座ったまま、章灯しょうとは降参とばかりに天井を見上げた。


「俺、何にもアイツに勝てるとこねぇじゃん」


 そのままベッドに頭を乗せ、力なく笑う。

 尻ポケットから携帯を取り出し、電話帳から『長田おさだ健次郎』を探し出した。壁時計を見るともう10時である。さすがに起きているだろう。



「――で、すっかり自信を無くしたと」

「はい……」


 意外と穴場だから、という長田の勧めで入った喫茶店で、章灯は背中を丸めて小さくなっていた。


「お前、そんな恰好の割に打たれ弱いんだな」

「恰好は……関係ないと思いますが」

 

 そんな恰好――細身のダメージジーンズに真っ赤なロングTシャツ、その上に黒のライダースジャケットを羽織った姿の章灯は、不服そうに口を尖らせた。


「つうか、お前意外とそういう恰好するんだな。てっきりプライベートももうちょいカチっとしてるもんだと思ったわ」


 注文したコーヒーを啜りながら長田は笑った。


「元々こういうのが好きなのと、アナウンサーの時と同じ感じにするとすぐにばれて面倒なんですよ」

「たしかに、眼鏡も外してるし、パッと見は別人だわな」


 章灯もコーヒーを一口飲んだ。


「しかし、今回はアキもペースが早いなぁ。コガもひぃひぃ言ってるぞ」

「コガさんが? 何でですか?」

「そりゃー俺らだってそれに合わせていろいろと肉付けしてかなきゃなんねぇからな」

「ああ、そっか……」

「だから、アキのペースが早いってことは、その分お前の歌詞しごとも溜まってくっつーことだわな」


 長田のその言葉で章灯はまた俯く。


 俺の存在意義って、もう歌詞だけなんじゃねぇのかな……。


「おい、しっかりしろって、章灯」

「いや、何かもう……、何なんすかね、アキって。何で俺なんだろうって思いますよ、マジで」


 吐き出すようにそう言うと、大きくため息をついて頬杖をついた。


「まぁ、たしかにアキはな……。俺だって勝てねぇなって思うよ」

「でも、オッさんにはドラムがあるじゃないですか。俺も、歌ならって思ってましたけど、アイツの歌聞いたら……」


 テープから流れてきたアキの歌声は、音程やリズムが正確だとか、そんなものは当たり前すぎてどうでも良くなる程に完成されていた。

 何よりも、声が良い。やや高めだが、透き通るような美声である。


「うーん、たしかにアキの声は良いよなぁ……。でも、あの声ってコーラスもすげぇ映えるんだぜ。お前の声と合わせればとんでもないことになると思うんだけどな」

「もったいないっすよ、俺なんかの声かぶせたら……」

「お前、これでもかってぐらい落ち込んでるな。だっはっはっは」


 長田が耐え消えずに噴き出す。


「ちょ、何で笑うんすか!」

「だぁーって、面白くてさ。皆必ずこうなるんだよ、アキに関わったやつらはさ」

「皆って……」

「コガも」

「コガさんも?」

「アイツなんてお前以上に沈んじゃってさ。目も当てられなかったよ、俺。はーっはっはっは」

「いや、オッさん、それにしたって笑いすぎですって。俺、マジで悩んでるんですから」


 章灯が恨めしそうな顔でにらむと、長田は右手の拳をテーブルの上に乗せ、必死に笑いをこらえるように身をかがめた。


「いやいや悪い悪い。でもなぁ、一歩引いて見たらアキはあれで結構抜けてるところもあるし、俺はお前も充分すげぇやつだと思ってるけどな」

「そぅっすかね……」

「地下室でBILLYやった時、アキから『凪の声』リクエストされたろ。あんなんよっぽど気に入ったやつにしかやらねぇよ」


『章灯さん、BILLYの『凪の声』は歌えますか?』


 ぼそぼそとしかしゃべらなかったあきらが、食って掛かるような勢いで迫ってきたのを思い出す。それまでは目も大して合わせようとしなかったのに、真っすぐ自分を見つめて。


「マジすか……」

「ちょっとマジにしゃべるぞ。お前は自覚ねぇのかもしんねぇけどな、その声、かなりの武器だぞ。お前は自分を低く見過ぎだ。コガだってお前の声を認めてる。俺も認めてる。そんで確実にアキはお前の声に惚れ込んでる」

「アキが?」

「じゃなきゃこんなペースでポンポン出来上がんねぇって。アイツはそういうので左右されちまうんだよ。気に入らねぇと平気で締切破ったりするからな。そういう点ではプロとしてはダメなやつなんだよなぁ。いや、ほんと、お前で良かったわ」


 長田はそう言うと、両手で頬杖をついてわざとらしくウィンクしてみせた。


「……オッさん、気持ち悪いです。……でも、ちょっと、自信、出て来ました……」

「そうか、そいつぁ良かった」


 長田は安堵したように笑って腕時計を見、「もう昼だぞ、アキに飯食わせろ」と言った。


 そうだ、曲を作り終えた後だから、たぶん結構消耗してるはずだ。無理やりでも起こして何か食わせないとな。

 っつっても、俺は何も作れないわけだけど……。


「食わせたいのはやまやまですけど、俺、料理ってからっきしなんですよね」


 立ち上がって、ポケットから財布を取り出す。


「良い、良い。コーヒー代ぐらい俺に出させろ。先輩なんだから。それと、食わせるってのは、別に『作れ』ってことじゃねぇぞ。作るのはアキで良いんだ。好きでやってるんだから。3って意味だ」

「そういうことなら。じゃ、すみません、ごちそうさまです。あと……ありがとうございました」


 ぺこりと頭を下げ、喫茶店を出る。


 アキ、寝てるかな。寝てるよな……。でも、どっちにしろ起こすんだし、一緒か。


 そう思って、携帯を取り出すと、晶に電話をかけた。


「――はい」


 電話は拍子抜けするほどあっさりとつながった。


「あれ? アキ、起きてたのか?」

「起きてますよ。昼食を作ってます。章灯さん、食べられそうですか?」

「食べれる……けど」

「では、お待ちしています」

「お、おぅ……わかった」


 案外今日は調子が良さそうだと、電話を切って車に乗り込む。




 10分程車を走らせて家に戻る。

 玄関を開けると美味そうな匂いが鼻腔をくすぐってきた。


「ただいま」と言いながらリビングのドアを開けると、赤いエプロン姿の晶がソファに座っていた。


「お帰りなさい」

「飯、食ったか?」

「いえ、章灯さんを待ってました」


 そう言って立ち上がり、キッチンへと向かう。


「運ぶの手伝うか?」


 後を追いながら声をかけると、晶は振り向いて少し笑い、「まずはうがいと手洗いです」と洗面所のドアを指差した。


 食事を終え、部屋に戻ると、スクリーンセーバーが作動しているパソコンを見て、少し笑った。


「俺、よっぽどギリギリだったんだな……」 


 出かけるまで2時間半。もう1回アキの歌声を聞いてみるか。


 テープを巻き戻して、再生する。

 今度は何だかすんなりと聞くことが出来た。


 これは……、そうだな。当たり前だけど優しい曲だ。

 優しいけれどもどこか切ない。

 恐らく、とても大切にしている女の子がいる、繊細な男の曲だ。

 月のきれいな夜にその子のことを思い出したり。

 雨の夜には雨粒が葉を揺らすのを見て心を痛めたり。

 けれど、太陽みたいに笑うそのの表面だけを掠め取って、浅く傷付けるだけでは、彼女の心にあと一歩届かない。

 傷付ける勇気も傷付く勇気もない臆病な男が、この曲を背にほんの少しだけ前に進む、というか。

 ポジティブな曲ばかりが背中を押すわけじゃない。

 世の中はただただ明るくて声のデカいやつばかりが動かしているわけでもない。

 水面の波紋のように静かに染み渡っていくような、温かいスープのようなじんわりした穏やかな曲に気持ちを動かされるのも悪くないだろう。


 そんなことを感じ取りながら、ぽつぽつと書き続けた。

 やがて約束の時間が近付くと、彼は仮題のつもりで『Tender Tune(仮)』と書いた。

 そうしてからしばらくその紙を見つめ、ううん、と唸ってから(仮)を消して立ち上がった。

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