♪13 料理の人・掃除の人

「あれ、皆は……? ……いってぇ……」


 滅多にない二日酔いの頭痛を抱えて、章灯しょうとはゆっくりと身体を起こした。

 いつの間にかかけられていた毛布をはがし、ソファから降りる。ローテーブルに視線を向けると、昨夜の宴の跡がしっかりと残されていた。


 まぁ、そうだろうな。


 そう思い、散乱したギネスの瓶を持てるだけ持ってキッチンへ向かう。


「――うぉっ! びっくりしたぁ! いたのかよ、アキ……。いてて……」


 キッチンでは赤いエプロン姿のあきらがコンロの前で立っていた。


「おはようございます」

「おぅ、おはよ……」


 瓶と缶で分けられているゴミ箱を開けて、ギネスの空き瓶を入れる。


「だいぶ飲んだみたいですね」

「今日休みだからって飲みすぎたなぁ。あんまりこうはならないんだけど、いつもは」


 そう言って章灯は顔をしかめた。


「向こうで座っててください。ご飯は食べられそうですか?」

「んーどうだろ。それ、何?」


 晶がコンロの上に乗っている鍋の蓋を開けると、ふわりと湯気が上がり、味噌汁の良い匂いが漂ってきた。


「味噌汁です。しじみの。二日酔いに効きますよ」

「じゃ、それをいただくよ。とりあえず、それだけで」


 そう言って洗面所へ向かい、歯を磨いて軽く顔も洗う。


 髭は……後で良いか。

 どうせアキだしな。


 少しざらざらする顎をさすりながらリビングに戻った。

 向こうで座ってて、と言われてもまだまだローテーブルの上には『先客』がいるのだ。


 こいつらを片付けないと、アキも落ち着かないだろう。


 そう思ってグラスと残りの瓶を持って再度キッチンへ向かう。グラスはシンクへ、瓶はゴミ箱に入れると、入れ違いに味噌汁と赤いカップををトレイに載せた晶がリビングへ向かった。

 その後を追いかけて、晶がローテーブルに着く前に残っているつまみの残骸を片付けた。


「はぁ、沁みる――……」


 アツアツのしじみの味噌汁をゆっくりと啜る。二日酔いにしじみが効くというのはCMで見たことがあるが、実は半信半疑だった。でも、この味噌汁は本当に効く気がしてくる。


「食欲が出てきたら、お昼はしっかり食べてくださいね」

「お前、お母さんみたいだな」


 そう言いながら壁にかかっている時計を見ると、まだ8時である。


 オフの日でもどうして昼まで寝られないんだろうな、俺は。


「アキはいつも日中って何してんだ?」

「いまは曲作りが中心ですが、合間にアクセのデザインをして、ある程度溜まったら店に持って行きます。いまは特に急ぎの注文が無いので」


 ほぉ、と相槌を打ちつつ、空になったお椀を持って立ち上がりながら「お代わり、ある?」と晶に問いかける。


「あります。持って来ますから、座っててください」


 晶は章灯からお椀を取り上げ、立ち上がった。


「ありがと」


 おとなしく従い、座り直した。

 キッチンで味噌汁を注ぎ、リビングへ戻ってくる晶を目で追って、座ったタイミングで口を開いた。


「今日の予定は?」

「今日は……、溜まったデザインを持って行く日です」


 晶は自分用の赤いカップでコーヒーを飲んでいる。ちらりと中を見ると、色の感じからして、どうやらブラックではないらしい。何だか意外だと思った。


「なぁ、俺もついてって良い? アキの店、見てみたいんだけど」

「――え?」

「すげぇ恰好良かったからさ。自分用に買うかな、って」

「構いませんけど……」

「よし、予定が埋まったら元気出て来た。何時に行くんだ?」

「時間は特に決まってません。いつもはだいたい3時くらいに行きます」

「じゃ、3時な。俺はそれまでにいろいろ準備するわ」


 2杯目の味噌汁を飲み終え、洗い物を済ませると、自分の部屋に戻った。


 さて、3時までは何をしようか。まず、シャワーを浴びて、軽く掃除機でもかけるか。


「決まったら即行動、行動!」


 まだ少し重い頭を抱えたまま、タンスから着替えを取り出して、風呂場へ向かう。

 途中、リビングを通ったが、すでに晶の姿はない。おそらく、自室にこもって創作活動をしているのだろう。

 他人との共同生活はもっと息がつまるものかと思ったが、案外そうでもないな、と思った。


 きっと、同性だからだろうな。アキの性格もあるかもしれないが。


 章灯も他人との同棲経験はあるものの、それは異性――つまり彼女とである。もちろん相手の性格などもあるのだろうが、トイレの便座がどうだこうだとか、つまらないことでしょっちゅう言い合いになっていたのだった。


 一緒に住む利点といえば、手料理が食えることと、交通費とホテル代が浮くってことぐらいか。

 まぁ、飯っていう点で言うと、歴代の彼女達よりも群を抜いてアキの料理のが美味いんだけど。

 でも実際、料理が美味すぎる男って、女の方から見たらどうなんだろう。思い切ってまったく出来ないくらいじゃないと上手くいかないような気がする。ていうかそもそも、アイツ、彼女とかいたことあんのかなぁ……。


 そこまで考えて、昨夜見た動画を思い出す。


 いや、あの感じだったら、それこそファンの女の子を持ち帰っててもおかしくないよな。いや、反則、マジで。あんなの女の方が放っとかねぇわ。


『アイツ、サポートで入ってもヴォーカル差し置いて女性ファンかっさらっていったりするからな……』


 昨日の湖上こがみの言葉が蘇る。


 サポートでもヴォーカルより人気出ちゃうとか、有りなのかよ。だいたい、バンドなんてヴォーカルが一番人気と相場が決まってるだろうが。


 ――ん?


 自分の言葉が引っかかる。


 ……ヴォーカルが、一番人気?

 ヴォーカルって、俺じゃん?

 俺って、人気出るのか?

 いや、俺、いまの段階でも完全にアキに負けてる気がする。

 何ならコガさんとオッさんにも持っていかれる気がするんだけど……。

 別にそんな、そんなちやほやされたいとかそういう気があるわけじゃないけど! ないけど!


 でも、やっぱり負けたくねぇよなぁ……。


 シャワーの蛇口を締めて、章灯は大きなため息をついた。


 バスタオルで身体を拭き、用意した下着を身につける。いくら男同士とはいえ、ほいほいと全裸で歩き回っても良いというわけではないだろう。少なくとも、晶はそういうのを嫌がりそうではある。

 そんなことを考えながら、洗面所の鏡で自分の上半身をまじまじと見つめる。

 見られる仕事ということもあって、社会人にしてはまぁ、引き締まっている方だと思う。

 学生時代にずっと陸上をやっていたことも影響しているのだろうが。

 ふとサポートメンバー2人を思い出した。


 あの2人って、あの年齢であの体型なんだよなぁ……。


「鍛えるか、もう少し……」


 もう一度ため息をついて、章灯は洗面所を出た。


 リビングを通って自分の部屋に向かう途中で、片付けたはずのローテーブルの上に白い紙とカセットテープが置かれていることに気付いた。


「まったく、片付けたそばから……」


 晶が置きっぱなしにしているのだろう、と近付いて見てみるときちんと折り畳まれた紙には『章灯さんへ』という一文があった。


「――俺宛て?」


 テーブルの上の紙とカセットテープを拾い上げ、書かれている内容を読む。 


『章灯さんへ

 2曲目です。

 コガさんから譜面が読めないと聞いたので、歌を吹き込んであります。

 感じた通りに歌詞を付けてください。

                             飯田晶』


「アイツ、こんなハイペースでポンポン作っちゃうのかよ」


 晶の部屋の方を向いて、声をかけようかと思ったが、もしかしたらもう休んでるかもしれないと思い直し、礼は後で良いか、と自分の部屋に向かった。


 しかし……、達筆だな、アキ。

 頼むからこれ以上すげえところ見せつけてくれるなよな。


 ラジカセから湖上が歌ったテープを取り出し、新しいものを入れる。

 再生ボタンを押す前に、当初の予定であった掃除機をかけることにした。


「綺麗な部屋で神聖な気持ちで書かないとな」


 そんな独り言を呟きつつ。


 ガーガーと音を立てて掃除機をかけながら、晶と部屋を離して正解だったなと思う。今後もこういうことが多いだろうということが容易に想像出来たからだ。

 部屋が綺麗になると、キッチンへ行き、コーヒーを淹れた。さすがにこれくらいは彼にも出来る。


 淹れたてのコーヒーを持って部屋に入り、折り畳みテーブルの上にノートパソコンを開いて起動させた。

 一度深呼吸をして、ラジカセの再生ボタンに手を伸ばす。


 何となく、「歌があんまり上手くありませんように」と祈りながらボタンを押した。


 アカペラで歌った湖上とは違って、さすがに伴奏があるらしい。

 ゆったりと落ち着いたギターの音がしばらく続き、一瞬間が空いて、すぅ、と息を吸う音が聞こえた。


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