♪16 酒の飲み方

「さっすが、アキ! めちゃくちゃ美味そう!」


 テーブルの上にはほかほかと湯気を立てているハンバーグが鎮座している。付け合わせはシンプルに塩コショウで味付けした粉ふきいもと人参のグラッセ。それとキャベツとベーコンが入ったコンソメスープ。


「そんで、こんないかにもってメニューなのに箸ってのが、もう……」

「ナイフとフォークの方が良かったですか?」

「いや、むしろこっちのが。苦手なんだよなぁ、ナイフとフォーク。かしこまってて。ちょっと良いとこで食おうと思ったらだいたいそれだろ? だからついついファミレス入っちゃうんだよなぁ」


 そう言いながら、ハンバーグを箸で一口大に切って、口の中へ運ぶ。


「そして、もう当たり前に美味いっていうね……」

章灯しょうとさんは本当美味しそうに食べてくれますね」

「いや、だって、美味いしさ。これ食ってまずい顔出来るやつがいたら逆に見てみたいって」

「ありがたいです。作り甲斐があります」


 あきらはにこりと笑って粉ふきいもを口に入れる。


「なぁ、そういえばさ、あの店って、アキの店なのか? それとも……かおるさんの?」


 姉ちゃんとも兄ちゃんとも言い難く、とりあえず郁さんと呼んでみることにする。何だかんだ言っても何となく呼び捨てづらい。そんな雰囲気が郁にはあったのだ。


「郁は店長です。店を任せられる人が見つからなくて。そしたらやってくれると言ったので」

「っつーことは、アキの店なのか?」

「一応」

「んじゃ、店名もアキがつけたのか?」

「そうです」

「あれ、何て意味なんだ? えーと何つったっけ」

「turn off the love」

「あ、そうそう。それ」

「そのままです。『愛を消せ』」

「消しちゃうのか……。何でまた」

「何となくです」


 素っ気なくそう言うと、人参を口へ放り込む。


「なぁ、ずっと気になってんだけどさ」


 章灯も人参を口へ入れる。噛むとハチミツの甘さとバターの風味が口の中に広がった。


「お前、いままで彼女とか、いた?」

「……いません」


 晶は顎を引き、目を泳がせた。


「よっしゃ! 勝った!」


 箸を置き、テーブルの下でガッツポーズをする。


「……何の話ですか!」


 晶は珍しく声を荒らげて顔を上げた。少し頬が赤くなっている。この手の話は苦手なのだろう。


「……一応、確認なんだけど、の趣味はないよな?」


 もしやと思い、おそるおそる問いかけてみる。


「どっちの趣味ですか。ノーマルですよ」


 晶は呆れ顔でため息交じりにそう言った。


「良かった。いろいろ安心したわ」


 安堵して、食事の続きに戻る。


「何なんですか、まったく……」


 晶も止まっていた手をまた動かし始めた。


「いや、お前がスーパーマンすぎるから、ちょっと弱いとこ探ってやろうと思ってさ」

「全然スーパーマンじゃないです。欠陥だらけですよ」

「そう言うなって、俺今日お前に散々打ちのめされてたんだからな。あー美味かったぁ、御馳走さまでした! ビールビールっと」

「打ちのめされてって……何のことですか?」


 晶の問いかけをわざと聞こえないふりで流すと、章灯は自分の食器を重ねてシンクに運んだ。それらを水を張った洗い桶の中へ入れ、冷蔵庫から缶ビールを取り出す。歩きながらプルタブに爪を引っ掻け、着席と共にそれを開けた。


「はー、よいしょっと」


 わざとそんなことを言ってからビールに口をつける。


「ちょっと、章灯さん。無視しないで下さいよ」

「――ぷはぁ。ちょっと飲ませろって。良い加減、俺がアルコールの力を借りないと続きをしゃべれないことに気付けよ」


 缶から口を離して苦笑すると、晶は一瞬驚いた顔をした。


「すみません……」


 そう言って、食べ終えた食器をシンクへ運ぶと、グラスに牛乳を入れ、ウィスキーの瓶を抱えて戻ってきた。


「アキも飲むのか」

「章灯さんの話の内容によっては必要かと思いまして」


 そう言って、ウィスキーの蓋に手をかける。


「待て、それは俺が注ぐ。それから、冷蔵庫にミネラルウォーターあったろ。それもこれと同じぐらいグラスに入れて持って来い」


 そう指示すると、晶は不思議そうな顔をしていたが、おとなしく冷蔵庫へ向かった。そして、指示通りにミネラルウォーターの入ったグラスを持ってリビングに戻ってくる。


「良いか、これからは、酒のグラスと同じ量の水も必ず飲め」

「わかりました」

「何であの2人はこういうことを教えなかったんだ……」


 そう言って、缶ビールを顔の前に持ちあげると、乾杯だと気付いた晶がグラスを持とうとするも、水の方か酒の方か一体どっちを持ったら良いのかと悩んでいる。


「お前、ほんっとに面白れぇなぁ。たぶんお偉いさんとかの前なら酒なんだろうけど、俺の前なんだから好きな方取れよ」


 章灯が笑いをかみ殺しながらそう言うと、晶は照れくさそうにカウボーイのグラスを持った。


「んじゃ、乾杯。まだお前21なんだもんな。知らなくても無理ねぇよな」


 ぐい、とビールを呷る。晶も少し控えめにカウボーイを口に含んだ。


「あの、章灯さん、さっきの……」

「――ん? ああ、そうだな。えーっと、まず、2曲目ありがとうな。何て言うか、すごい胸に刺さった」

「いえ、そんな……」

「で、テープ聞いた時にさ、お前の歌聞いて自信なくしちゃったんだよなぁ。正直に言うと」


 さすがにアルコールの力を借りても晶の目を見て話すことが出来ず、視線は何となく部屋の隅のゴミ箱に向けられた。


「んで、オッさんに助け求めてさ」


 晶は相槌も打たずに黙っている。


「なぁ、単刀直入に聞いちゃうけどさ、俺って必要なのか? 俺で大丈夫なのか?」

 

 いや、本当はこんなことまで言うはずじゃなかったんだけどなぁ……。

 酒って怖いな。

 どうすんだよ、俺。

 これでアキから「別に必要ありません」なんていつもの調子でさらっと言われたら。


 そんな風に身構えつつ晶からの返答を待つ。晶は少しだけ眉根を寄せて首を傾げていたが、やがて、穏やかな波のようだった眉間の丘陵がぱきりと割れた。即ち、完全な皺となった形である。


 稲妻みたいだ。

 

 そんなことをのん気に考えていた時、晶の身体が一度小刻みに震えた。そして――、


「必要じゃない人のために曲は作りません!」


 いつもより大きな声で言うとカウボーイを飲み、すぐにミネラルウォーターのグラスに手を伸ばして、それもごくりと飲んだ。


「ちょ、アキ?」


 確かに同じ量を飲めとは言ったけど、そういう意味じゃ……。

 第一、そんな飲み方で、美味いのか?


「気に入らない声の人には、どんなに時間をかけても作れないんです!」


 またカウボーイを飲んで、水を飲む。


「プロなのに、自分の好みで仕事にムラがありすぎるんです!」


 一言しゃべるたびにカウボーイと水を交互に飲んでいる。


 そろそろ指摘しようか、どうしようか……。

 でもせっかくアキが頑張ってしゃべってくれてるわけだしなぁ……。

 

「――それに! 打ちのめされたのは章灯さんだけだとでも思ってるんですか?」


 水のグラスを、たん、とテーブルに置いて、晶が章灯をにらみつけた。


「へ?」

「地下で演奏した時です。あんな歌声聞かされて、正気でいられたように見えましたか?」

「それは……確かにちょっと……」

「打ちのめされたのはこっちが先です!」

「いや、先とか、後とか……なくね?」


 ていうか、何で俺、アキに説教されてんの……? えっ、何これ。正座とかした方が良い感じ?


「良いですか! スーパーマンは章灯さんの方です! 章灯さんの声です! 少しは自覚してくださいよ!」


 一際大きな声でそう言うと、一気に残りのカウボーイを飲み、同様に水のグラスも空にした。


「ちょっと、アキ、大丈夫か? お前、俺の指示を忠実に守りすぎ……ていうか、俺そんな風に言ったっけ?」


 空になったグラスを持ったまま下を向いてぴくりとも動かない晶の顔を覗き込むと、ほんのり赤くなった顔で口を尖らせていた。


「なぁ、おい、何かわかんねぇけど、悪かったって。とりあえず、おあいこってことで良いんだよな?」


 なだめるように肩をトントンと叩きながら言うと、晶はゆっくり頷いた。


「んじゃ、ほれ、握手」


 右手を差し出すと、下を向いたまま、晶も控えめに右手を伸ばす。

 あまり強く握って痛めたら大変なので、軽く握るに止める。


「ほい、改めて、ORANGE ROD、これからもよろしく!」


 そう言って笑うと、おそるおそる顔を上げた晶も少し眉をしかめて笑った。


「よろしくお願いします……」

「ていうかさ、お前、でけぇ声出せるんじゃん」


 立ち上がって冷蔵庫に向かいながら、床に胡座をかいている晶に向かって言う。


「もう出しません」


 飲むものがなくなった晶は少し手持ち無沙汰のようだった。


「喉が弱いなんて嘘だろ。お前ココだと案外としゃべるしさ」


 冷蔵庫から100%のオレンジジュースを取りだし、新しいグラスに注ぐ。


「他に何か理由があるんじゃねぇの?」


 ジュースの入ったグラスと冷えたビールを持ってリビングに戻る。


「ほら、飲め。お前の今日の酒は終了だ。俺がジュースを出したら終了の合図だからな」


 そう言いながら晶の目の前に置くと、無言で頷き、そのグラスを手に取った。一口飲んだのを見届けて、章灯もビールを飲む。


「別に話したくないなら良いけどさ」


 独り言のように呟くと、晶はぽつりと「声が」と言った。

 囁くような声だったが、聞き返したりしたら止めてしまうような気がして、ぐっとこらえる。


「……嫌いなんですよ、この声。でもコーラスなら誰かと重ねられるから」


 まだ続きがあるのだろうかと、口を固く結んで待つ。

 しかし、晶の言葉はそれで終いだったようで、重い沈黙が流れた。


「あんな綺麗な声なのにか?」


 耐えきれず、章灯が口を開く。


「普段の声だって、ちょっと小さいけど、良い声じゃねぇか」


 責めるようにではなく、小さい子をあやすような優しい声で言う。


「章灯さんみたいな良い声の人にはわかりませんよ」


 諦めたような声でぽつりと呟く。


「良い声って言ってくれるのは嬉しいけど、俺、一応アナウンサーだからな。一朝一夕で手に入れた訳じゃないからな」

「でも、素質があります」

「そうかもしれねぇけど……」

「とにかく、この設定を変える気はありません」

「おまっ、自分で設定って言っちゃうのかよ」


 納得はいかないものの、喉が弱いわけではないと聞いて、少しは安心した。つまり、人前じゃなければ普通にしゃべらせても良いということだ。


 しかし、たかだか『嫌い』というだけで『だったらしゃべらなくてOK』というのはどうなのか。かなりの特別待遇である。


 まだ、いろいろ隠してそうだな、こいつ……。


 ため息をつきながら晶に視線を向けると、晶も大きくため息をついた。


「今日はこれでおしまいです。お休みなさい」


 ジュースのグラスを持って立ち上がると、自分の部屋へ向かう。


「お休み。こぼすなよ、絶対。そんで、必ず朝片付けろ。じゃないと勝手に入って回収するからな」

「……努力します」


 振り向いて少し笑うと、すたすたと歩いて部屋に入ってしまった。



 まぁ、長い付き合いになるんだろうから、少しずつ打ち解けていけば良いか。


 そう思って、ビールに口をつけた。

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