♪7 trap the cowboy

 リビングに戻ると、案の定あきらの姿はなかった。

 湖上こがみはベースをケースにしまうと、そのまま床に胡坐をかく。


「さて、ぼちぼち飯のこと考えないとな。もう8時だし。ピザで良いよな? っつーか、ピザが良いよなぁ? んで、どうせ時間かかるから、それまでに買い出し行こうぜ」


 そう言うと、章灯しょうと長田おさだの返事を待たずにピザ屋に電話をかける。


「じゃあ、俺買い出し行きますよ。オッさんは、酒飲めないんですよね? ソフトドリンクは何が良いですか?」

「俺はダイエットコーラかな~。一応、体型には気を遣ってんのよ」


 長田は親指を立てて、ニッと笑った。遣うも何もバッキバキのムッキムキじゃないですか、という言葉は一応飲み込んでおいた。


「コガさんは……。あれ? コガさんも車で来たんですよね。そしたら、酒はまずいっすよね」

「いや? あいつは俺が乗っけてきた」

「え? じゃ、外の車、もう1台は……」

「黒のワゴンが俺の。あの真っ赤なレンジローバーはアキのだよ」

「アイツ……あんなひょろい癖にごっついの乗るなぁ」

「章灯の車は可愛いもんなぁ」


 長田は尻ポケットに刺していたドラムスティックを取り出すと、ソファの背もたれで軽くリズムを取る。


「……夢だったんすよ、ミニクーパー。本当は前の型のが良かったんですけどね」

「え? 何々? 章灯の車がどしたって?」


 ピザの注文を終えた湖上がニヤニヤと笑いながら加わってくる。


「いや、オットコ前なアキの車に比べて、章灯の車が可愛いって話よ」

「へぇ~。何乗ってんだよ」

「もー、何だって良いじゃないですか! それより、コガさんは何飲みます? 俺、買い出し行って来ますから」

「そうだな~。ピザだし、そりゃビールにだろうな。何でも良いぞ、国産のでも」

「わかりました。あと、ウィスキーも買ってきますけど、飲みます?」

「俺に飲めねぇ酒はねぇよ」

「……じゃ。ちょっと行ってきます」


「――章灯!」


 リビングのドアに手をかけたところで、長田の声で呼び止められる。何事かと振り向くと、長田はにっこりと笑って「甘いものもよろしく! 大袋に一口チョコいっぱい入ってるやつ!」と言った。


 服の上からでもはっきりとわかる鍛え上げられた腕を目一杯振って、長田は笑顔を振りまいている。


 体型に気を遣ってるんじゃなかったんですか、という言葉をぐっと飲みこむ。

 何なんだ、この可愛い『おっさん』は。


「わかりました。コガさんは、つまみのリクエスト無いですか?」

「俺、つまみはなくても大丈夫! でも、章灯がどうしてもって言うなら、国産の他にギネスも2、3本買ってきてくれ。俺、あれが一番好きなんだよなぁ。瓶のやつな!」

「瓶のギネスですね……。んじゃ、今度こそ行って来ます」


 これ以上増える前に、といそいそとリビングを出る。

 確か来る途中にでかい酒屋があったはずだ。あそこなら酒だけじゃなく、菓子も売っているだろう。

 愛車に乗り込む前に、隣に停まっている赤いSUVをちらりと見る。



 アキ、ギターも赤いの持ってたけど、車も赤かよ。着てる服は昨日も今日も黒っぽかったけど、意外と赤が好きなのか。



 そんなことを思いながらふと車内を見る。

 外灯の灯りだけではあまり見えなかったが、ダッシュボードの上に洒落た芳香剤と小さな白くまのぬいぐるみが1つ置いてあった。


 ぬいぐるみを置くなんて、案外可愛い趣味をしているじゃないか。

 ――もしかして女からのプレゼントだったり?

 とも思ったが、さすがにまだそこまで踏み込めるような間柄ではないかと思い直し、愛車に乗り込んで、エンジンをかけた。



 酒屋で買い物を済ませて戻ると、タイミング良くピザも到着したばかりのようだった。

 湖上が晶の部屋のドアをノックし、耳を近付けている。おそらく、返事を待っているのだろう。


 彼の性格からして有無を言わさずに開けてしまいそうだが、案外その辺はきっちりしているらしい。


 どうやら許可が下りたらしく、彼はドアを開けて室内へ入っていった。程なくして湖上に先導され、のそりと晶が出てきた。


「創作中に悪いな。せっかくだから引っ越し&結成祝いやろうぜ」


 グラスに注いだダイエットコーラを掲げて、長田が笑う。

 晶は少し青い顔をしていたが、軽く顔をしかめて笑うと、ピザとアルコールが並べられたローテーブルに着いた。


「アキ、顔色悪いな。まだ時間あるんだから、そんなに急くなよ」


 湖上は鞄の中からドリンク剤を取り出し、晶に勧める。晶はありがとうございますと小さく呟くとそれを一気に飲んだ。


「アキ、具合悪いなら酒は控えた方が良いんじゃないか?」


 章灯が声をかけると、晶は空になったドリンク剤の瓶を端に避けて首を横に振った。


「軽い貧血なんで大丈夫です。せっかくですし、お腹膨れたら少しだけ飲ませてください」

「こいつ、曲作りのスイッチ入ると飲まず食わずで没頭しちゃうんだよな。だから、章灯気を付けてやってくれよ。さすがに俺らは毎日ここにいらんねぇし」


 湖上は晶の頭を軽く小突きながら笑った。晶は気まずそうな顔をしている。


「ま、とりあえず乾杯しようぜ。ピザも冷めちまうし」


 長田が晶のグラスにコーラを注ぐ。


「腹が膨れるまでは、俺としようぜ、アキ」

「オッさん、ダイエットコーラを飲んだって、ダイエットは出来ないんですよ」


 晶が笑ったのを見て湖上も長田も安心した表情になった。


 んー、オホン、とわざとらしく湖上が咳払いをして章灯を見つめ、顎をしゃくって乾杯を促す。

 俺が音頭とるんすか? と章灯が自分を指差すと、湖上も長田も満足気に大きく頷いた。


「え――……っと。では、僭越ながら、わたくし、山海やまみ章灯が乾杯の音頭を……」


 わざと固い表現で話し始めると、湖上と長田は明らかにうんざりとした顔になる。

 それを見届けてから、ニヤリと笑い、大きく息を吸った。


「――ORANGE ROD! けっっっせいっっ! かんぱぁぁぁいっ!」


 声を張り上げて手に持ったギネスを高く揚げる。

 それに合わせて3人の乾杯の声が重なった。


 そこかしこでグラスと瓶を合わせる音が聞こえる。章灯も負けじと割り込んでいった。


 案の定ピザは少し冷めてしまっていたが、空腹時には些末なことである。

 晶も一口食べると食欲が沸いてきたようで、口の周りをソースまみれにしながら食べている。食べているうちに頬にも赤みが差していく。もう大丈夫だろう。


「アキ、いまはどんな曲作ってるんだ?」


 ピザに飽きたらしい長田がチョコレートを口に運びながら問いかける。


「メインのインストはだいたい出来たので、いまは激しいやつを」


 晶はまだピザを食べている。ちゃんと食べているのかと心配になるほどの細さだが、一度食べ始めると案外食べれるらしい。


「激しいやつかぁ。日野さんも真面目なアナウンサーが激しいロックを歌ったら面白そうって言ってたしな」


 湖上はすでにギネスを2本空け、国産ビールのロング缶を手にしている。


「章灯、お前普段はお堅いニュースなんか読んだりしてんの?」

「そりゃ、それが本職ですから。いまは『WAKE!』のニュース担当です」


 『WAKE!』は平日の早朝5時から放送している情報番組である。

 章灯は3月末での降板が確定しているが、3年前にレギュラーが決定してからこれまでずっと話題のニュースを紹介するミニコーナー、『ホットニュース』を担当しているのだった。


「ほほぉ。やっぱりびしっとスーツで?」


 長田が身を乗り出す。


「オッさん、見てくれてないんですね……。俺、今日も頑張ったんですけど……」

「だって、朝5時だろ? 寝てる寝てる」

「俺も寝てる!」


 まったく、このおっさん共は……。


「まぁ、カチッとしたスーツですし、髪だってさわやか好青年な感じでセットしたり、あと、伊達眼鏡もしてますね」

「伊達眼鏡ぇ?」

「いや、メインMCの菅嵜すがさきさんが、そうしろって……」


 菅嵜かの子は『WAKE!』のメインMCを務めるベテランアナウンサーだ。40を軽く過ぎているのだが、人懐っこい笑顔が好評で、報道からバラエティーまで幅広くこなせる看板アナである。


「菅嵜さんがそう言うんなら、仕方ねぇなぁ……」


 湖上は喉を鳴らしてビールを飲みながら笑う。


「俺、好きなんだよなぁ、菅嵜さん」

「コガさんより確実に年上っすよ」


 章灯も負けじと2本目のギネスを呷った。


「えっ? マジ? あー、でも関係ねぇな。年上のお姉さまに甘えるのも悪くねぇっつーかさ、むしろ大好き」


 湖上がへらへらと笑うと、長田が真剣な目で「気を付けろ、こいつ、ストライクゾーンかなり広いからな」と言った。


「まぁ……、下手に局の人紹介しないようにしますわ」

「一応、お前もな。もしかしたら、男にも手を出すかもしれねぇぞ」


 目を細めてそう言い、湖上をちらりと見る。


「――まっ、まさか!」


 章灯もおそるおそる湖上を見ると、2人の視線に気付いた湖上がわざとらしくウィンクをして投げキッスを放ってくる。


「まっ、マジすか……?」

「んなわけねぇだろ! そっちの趣味はねぇよ」


 ガハハと笑うと、章灯の頭をスパンと叩いた。


「いってぇ……」


 湖上に叩かれたところをさすりながら晶をちらりと見ると、もう腹が膨れたのか、ウィスキーに手を伸ばしている。


「アキ、手酌かよ。俺が注いでやるって。そうだ、牛乳も買ってきたからさ。カウボーイ作ってやるよ。にな」


 章灯は晶の手からウィスキーの瓶を取り上げると、それを持って立ち上がった。


「すみません……」

「アキ、敬語じゃなくても良いんだぞ。俺なんて年食ってるだけで、音楽ではお前の方がずーっと先輩だろ?」


 と言ってから、自分より『年を食っている』2人の存在を思い出す。


「あ、す、すみません。お2人共……」

だってよ……。なぁオッさん聞いたか? 何だか胸にちくちく来るなぁ……」

「コガはまだ良いじゃねぇか。俺なんて、40だぜ? 初老よ、初老」


 2人は肩を組んで恨めしそうに章灯を見つめている。


「すみませんってば! 俺の言い方が悪かったですって!」


 冷蔵庫から牛乳を取り出し、新しいグラスに2人分のカウボーイを作る。


「良いんだ、章灯。俺らは所詮……」

「うう……」


 2人はわざとらしく涙を拭う振りまでしている。


「もぉ~っ! っつーか、どう見たって俺の周りにいるアラサーより若いくせに!」


 両手にカウボーイを持ってローテーブルまで歩く。


「……そうか?」


 若い、というフレーズに、まず湖上が顔を上げた。


「若いっすよ。テレビに出てるタレントさんだって、30過ぎたあたりから腹もたるみ始めるし、私服も気にしなくなってくるし……。結構メイクさんとかスタイリストさんに助けられてるんですから」


 軽く口を尖らせ拗ねた口調で話すと、次は長田が顔を上げた。いつの間にか2人が顔を上げて自分に注目していることに気付いて少し驚く。


「少なくとも、コガさんもオッさんも、年相応の外見じゃないっすよ。って方で」


 そう締めると、2人はすっかり気を良くしたらしい。肩を組んだまま左右に揺れ始めた。


 良かった。機嫌直ったみたいだな。

 まぁ、もちろん嘘を言ったわけじゃない。

 ミュージシャンってやっぱり違うよな、何か。シュッとしてるっていうか……。


 ホッとしたところで、右手に持っていたグラスを晶の前へ置いた。


「せっかくだから、もっかい乾杯しようぜ」


 章灯がグラスを顔の前に持ち上げると、晶もそれに倣ってグラスを上げた。

 カッと小さな音を立てて、グラスが重なる。

 一口飲んで章灯は顔をしかめた。


 ――あれ? こっち薄くね……?


「ちょ、待て! アキ! 逆だ! お前の! こっち!」


 慌てて口を離したが、喉が乾いていたのか、晶は一気に半分ほど飲んでしまっていた。


「――あ?」


 割と濃いめに作っていたはずだが、晶の表情は変わらない。


 あれ、意外とイケるのかな……?


「え? あ、いや大丈夫なら良いんだけど……」


 とりあえず、晶用に作った薄いカウボーイをごくりと飲んだ。




「ちょっと俺、トイレ……」


 誰ともなしにそう呟くと立ち上がってリビングを出る。用を足して洗面所で手を洗い、かけられてあるタオルで手を拭いた。


 リビングからは湖上と長田の騒がしい声がする。


 何かあったのだろうかと思いながらリビングのドアを開けると、章灯の存在に気付いた長田が駆け足で近付いてくる。


「章灯、お前、アキに何飲ませた」

「何って……カウボーイですけど……。間違えて濃い方渡しちゃったみたいで……。どうしたんですか?」


 視界を遮る長田を避けて部屋の中を見ると、そこには湖上に背負われた晶の姿があった。


「……何でおんぶしてるんですか?」

「おーう、章灯。やってくれたなコノヤロウ」


 湖上が身体を一定のリズムで揺らしながら恨めし気に章灯を見つめる。その姿はまるで赤子をあやすお母さんだ。


「コガさん、何でそんなことになってるんですか?」

「アキは酔うとおんぶをせがむんだよ。いくら華奢っつっても大の大人だからそれなりに重いんだけどな」


 そりゃそうだろう。細身の体型ではあるものの、見たところ、170くらいはありそうだし、それなりの重さはあるはずだ。


「俺のせいですよね。代わりましょうか」

「いや、ここまで来たらもうがっつり寝かせてベッドへGOだ」


 晶はふごふごと軽くいびきをかいて眠っているようだった。


「アキ、もう寝てますよ」


 そぅっと近づいて軽く晶の鼻を突く。


「マジ? 今日は早かったな。よし、オッさん、アキの部屋開けろ」

「俺も何か手伝いますか?」

「章灯は……。テーブル片付けといてくれ。まだ飲むから」


 湖上はそう言うと長田を伴って晶の部屋へと向かった。

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