♪6 BREAK OUT

 章灯しょうとが新居に着いたのはそれから40分後のことだった。3台は停められそうな駐車スペースにはすでに2台の車が停まっている。


「よりによって、どっちもでけぇやつかよ」


 章灯はSUVとワゴンの間に愛車の青いミニクーパーを停めた。

 車から降りて、3台並んだ車をまじまじと見つめ、彼は――、


 俺の車って子どもみたいだな、と思った。



 モニター付きのインターフォンを鳴らすと、上機嫌な湖上こがみの声が聞こえてくる。


「おー、早かったな。鍵開いてるから入れ」


 ドアノブに手をかけると、湖上の言う通り、鍵は開いていた。

 中へ入ると、出迎えてくれたのは長田おさだである。


「お疲れさん。運ぶの手伝うか?」

「ありがとうございます。助かります」


 そんなに量は無いものの、布団など大きいものもあるので、1人だと大変だと思っていたところだったのだ。


 男が2人もいれば、たかだかミニに収まるだけの章灯の荷入れはあっという間に終了した。


 新居はさすが社長の自宅だっただけあって、かなり広い。彼は「小さい」などと言っていたが。

 玄関を開け、廊下をまっすぐ進むとリビングがあり、それを中心に右側に1部屋、左側に2部屋ある。風呂もトイレも綺麗だった。


 右側の部屋が先住人であるあきらの部屋。左側が章灯の部屋。そして、残る1部屋はサポートメンバーの宿泊用として使うことになっているのだという。


 本当にこんなに良い部屋をただで借りて良いのだろうか。

 まぁ『ただ』かどうかはデビューシングルの売り上げにかかっているわけだけれども。


 そう考えながら、ソファに座ってギターを弾いている晶に視線を向ける。

 晶はそんな彼の視線にも気付かず、アコースティックギターをかき鳴らしていた。


 良くわかんねぇけど、何かすげぇ。

 とりあえず、上手い。当たり前か、プロなんだから。


 自分には到底出来ないことを涼しい顔してやってのける晶の姿を、章灯は呆然と見つめていた。


「おいおい、見とれてんじゃねぇぞ」


 背後から湖上が章灯の肩をつかんで寄りかかってくる。


「いや、やっぱり上手いなって思って。俺、楽器なんてリコーダー止まりですから」

 止まり、と言ったものの、正直なところ、そのリコーダーすら怪しいレベルなのだが。


「生でこういうの見たことねぇのか?」

「むかーしコンサートには行ったことありますけど、プロの人がこうやって弾いてるのを間近でってのは……無い……っすね」

「じゃ、アキの速弾き見たら漏らすな」

「漏っ……! まさか!」

「まぁ、遅かれ早かれ見れるだろうよ。アイツ、自分の見せ場はしっかり作るから」


 湖上と話しながらも、晶から目を離すことは出来なかった。



 プロってすげぇ。何で指があんなに自由自在に動くんだろう。

 そういえば、いま自分の肩にだらしなくもたれかかってへらへらと笑っているこの人もプロなんだっけ。なーんか信じらんねぇ。


 そんなことを思って。


「コガさん」


 真剣な表情でギターを鳴らす晶を見ていると、何だか背中がぞくぞくとしてきて、もっともっと演奏が聞きたくなる。欲を言えば、やはり生で。


「――んだぁ?」


 相変わらずだらりと肩にもたれたままの湖上が、のんきな声で気の抜けた返事をする。


「コガさんが弾いてるところも見てみたいです。オッさんが叩いているところも」


 章灯のその言葉で「んんー」と、湖上はわざと一度体重をかけてから、突き飛ばす反動で離れた。


「――ぃよっと!」

「――いってぇ!」

「ぐはは。悪い悪い。社長のことだから、地下にドラムセット置いてあるだろ。――おい、アキ! オッさん! 集合っ!」


 腰に手を当てて2人に集合をかける。

 さっきまでの気の抜けた声ではなく、ぴんと張ったよく通る声だった。


「何だよ、コガ」

「どうしたんですか」

「地下行こうぜ。アキはエレキ持って来い」

「何かやるのか?」

「アキが弾いてる姿見てムラムラきちゃったみたいで、章灯が」

「はぁ~ん、成る程」

「せっかくだから章灯が歌えるやつにしようぜ。あんなカラオケの音じゃアキもそそられねぇだろ」


 そう言いながら、ソファの影からベースの入ったケースを取り出す。準備してあるということは、こういう事態を想定していたのだろう。



 真っ赤なエレキギターを担いだ晶がそろったところで、地下室へと移動する。


「やっぱりな。あると思った」


 8畳ほどの空間に、ドラムセットやアンプが所狭しと並んでいる。

 湖上と晶は手慣れた様子で各自の楽器をアンプに繋ぐ。章灯は何をしたら良いのかわからず、ただそれを眺めていた。


「さて、何やるかな。アキ、オッさん、こないだやったBILLY THE COWBOYの曲覚えてるか?」


 BILLY THE COWBOYは章灯が小学生のころにデビューし、いまだに第一線で活躍している3人組のロックバンドだ。メンバーはもう50近いはずだが、ヒット曲も多数あり――というか、出す曲はほぼすべてヒットし、ファン層も幅広い。


「章灯、昨日のテープに入ってたカラオケの曲は歌えるよな? 歌詞自信ねぇとこはハミングで誤魔化せ」

「あ、はい……。歌えます」

「じゃ『BREAK OUT』やるぞ。オッさん、カウント頼むわ」


 カッカッカッカッ、と規則的にドラムスティックが打ち鳴らされ、力強いギターサウンドが鳴り響く。


 これまでに経験したコピーバンドとは桁はずれの迫力だ。やはりプロは違う。当たり前だけど。

 音圧で吹っ飛ばされそうになり、ぐっと足を踏ん張る。そうでもしないとしっかり立っていられないのだ。


 平時との落差が悔しい。


 晶はいつも自信なさげにうつむいていて、話す声も小さく、全体的に覇気がない。

 湖上は湖上で、常に締まりのない顔でへらへらとだらけている。

 長田などは、見た目に反して落ち着きすぎていると思う。


 しかし、だ。

 いまの彼らはまるで別人である。



 何だよ! 皆プロかよ! プロだわ!

 そりゃ俺だって、プロだ。

 プロだけど、俺だけ畑違いじゃねぇか!

 俺、アナウンサーだぞ? ボイストレーニングだって受けたことねぇし!


 心の中でそう毒づく。

 さらには、3人の演奏に気を取られ、危うく出だしから間違えそうになる。


 何だよ! 負けるかよ!

 今日から俺だってこっちのプロになるんだ!


 歌い始めは3人への対抗心だったが、歌い続けるうちにそんなものは薄れていく。

 残ったのは純粋に『楽しい』という感情だった。


 好きだから上手くなったのか、上手く歌えるから好きになったのか、それは定かではないが、章灯は歌が好きだ。

 カラオケでも、アカペラでも、何でも。

 オリジナルの楽曲じゃないのは残念だが、もしこれが彼のための演奏であるならば、こんなに贅沢なことはない。何せ、プロの演奏をバックに歌えるのだから。楽しくないわけがないのだ。


「……どうだった?」


 曲が終わり、額に汗を浮かべた湖上が章灯に問いかける。


「……さ、最高っす!」

「上手いだろ? 俺達」


 ドラムスティックをくるくると回しながら、長田が笑う。


「オッさん、カッコ良かったっす!」

「漏らしてねぇか?」


 湖上が章灯の股間を覗き込みながら、意地悪な笑みを浮かべる。


「漏らしてないっすよ! でも、アキ、昨日とは別人みたいだったなぁ。びっくりしたよ」

「章灯さんも、BILLYの曲をここまで歌いこなせるとは思いませんでした」


 晶も額にうっすらと汗をかいている。


「正直、俺もびっくりしたわ。お前、昨日のカラオケより良いじゃん。こりゃぁアキ、曲作りも燃えるな」


 プロに褒められると、悪い気はしない。というか、ものすごく嬉しい。


「そうですね……。3曲中、1曲はメインテーマでインストにするから……。章灯さんの声ならまず、激しめのやつと……」


 晶は拳を顎に当てて俯き何やらぶつぶつ言っている。


「――ん? アキ?」


 章灯が首を傾げながら声をかけるが、どうやら聞こえていないらしい。

 少しの間が空いて、晶が顔を上げた。


「章灯さん、BILLYの『凪の声』は歌えますか?」


 昨日までとはまるで別人の食って掛かるような勢いである。


「う、歌える……けど」


 章灯はすっかりその勢いに圧倒されてしまう。


「――スイッチ入ったな」「だな」


 2人のそんなやり取りを湖上と長田はニヤニヤしながら見つめている。


「コガさん、オッさん、『凪の声』やります」

「あいよぉー」

「アキのギターからな」


 さっきとは真逆の繊細なギターの旋律が流れてくる。

 いつ加わったのかわからない音量から徐々に存在感を増していくシンバルの音。

 それに重なるメロディックなベース。


 『凪の声』は離れ離れになった恋人への思いを歌うバラードだ。

 カラオケではただゆったり歌うだけだったこの曲も、このメンバーの伴奏で歌うとなると、自然と気持ちが入る。

 瞼を閉じると、大学の時に別れた彼女の姿が浮かんだ。あいつ、いまどこで何してるのかな。



「お前……、バラードもイケる口だな……」


 演奏を終えた湖上が意外そうに言う。


「コガさん、何でそんなに意外そうな顔で言うんすか」

「意外だからに決まってんだろ! さっきとんでもねぇ声でシャウトしてたくせによ!」

「後ろで聞いててもぐっときちゃったよ、俺」


 振り向くと長田がわざとらしく涙を拭う振りをしている。


「何か……照れますね。あんまり褒められると……」

「くっそぉ、これだから才能あるやつは嫌なんだよなぁ。こっちは努力努力でここまで来たってのによ!」


 言葉とは裏腹に湖上の顔は晴れやかだ。


「アキも何か言えよ……って、ああ、『考え中』か」


 湖上は、章灯を挟んで向こう側に立っている晶に話しかけようと身体を傾けたが、再度拳を顎に当てて俯いている姿を見て、諦めた。


「考え中……なのか?」


 章灯も振り向いて晶を見つめる。

 晶は顎に拳を当てたままぴくりとも動かない。


「コガさん、アキって考えるとこうなるんですか?」

「んー? まぁ、考えるっつっても、こいつの場合、内容なんて曲かアクセのデザインか献立くらいなんだけどな。今回は十中八九、曲だろうな」


 ニヤニヤと笑いながら湖上が言う。


「案外早く出来るかもな、オリジナル」


 長田もニヤニヤと笑っている。


「そうなんですか?」

「見てろ、たぶんもうちょいしたら、ギター持って出て行くぞ」

「出て行くって……、どこに行くんですか?」

「自分の部屋に決まってんだろ。アキが作曲モードになったら、今日の飯はピザでも取った方が良いかもな」


 湖上が言い終わったタイミングで、晶は顔を上げると、ギターを抱えたまま駆け足で部屋から出ていった。


「――な? コガの言うとおりだったろ?」

「本当だ……。コガさんってアキのこと良く知ってますね」

「俺はアキの親代わりだからな」


 湖上は晶が去った後のアンプを見つめながらそう言った。

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