2-1
こうして、俺と都市伝説であるメリーとの、奇妙な共同生活が始まった。
「五十嵐」
「何だよ」
「プリンがないわ」
「作ってないからな」
「作りなさい」
「断る」
どこぞの貴族のお嬢様みたく、メリーはやたらとわがままだった。そして何より食い物に対して意地汚い。とりわけプリンが好きらしく、事あるごとにプリンをせがんだ。
青い猫型ロボットならいざ知らず、ただ飯喰らいの言う事を聞く道理はない。無視をしていると着信が鳴る。見ると三十六桁のゼロ。
「もしもし」
「私メリーさん、今あなたの15cmくらい後ろにいるの」
「だからなんだ」
ささやかな抗議のつもりらしい。
プリンではなく、試しにレトルトのカレーを作ってやると「辛っ、うわ辛ぁ! これ!」と背後から声がした。どうやら相当の甘党らしい。
この様な押し問答が数日続き、いつしか我が家は、冷蔵庫を開くと常にプリンが常備されるようになった。作っておかないと一日二十回はごねられる。とにかくうるさいのだ。
「今日のはカラメルがいまいちね」
そして作ってもうるさかった。いちいち寸評してくるのが苛立たしい。
メリーは、外出時にも俺について回った。どうやら常に俺の15cm背後に居たいらしく、出かける時も、彼女は必ず付いてきた。
大学でも、バイト先でも、何をしていても彼女は常に俺の背後に居た。椅子に座ったり、壁にもたれたり、眠っている時でも、だ。
物理干渉をしないのかと思ったが、プリンはしっかりと食っている。どういう仕組みとルールで動いているのか、その辺りは全く分からない。
ただ、幸いなことに、メリーの存在は普通の人には見えないようだった。俺も視認した事はない。一度鏡に映ったメリーを見ようとしたが、俺の背後には誰の姿もなかったのだ。
「崇高な私の存在は、凡人には見えないのよ」
「じゃあ、外でお前と話している俺はどうなるんだ」
「独り言を言っている」
「それは、まずいな」
「問題ないわ」問題しかない。
そんな感じで、二週間が経った。意外にも、メリーの存在と言うのはすぐに俺に馴染んだ。都市伝説なんて不可解な存在だから、何言っても問題ない。そんな認識が、俺の中から遠慮を消した。
「五十嵐、ちょっと聞きたいんだけれど」
ある日、人があまり居ない大教室で昼食を取っていたら、不意にメリーが話しかけてきた。
「何だよ、改まって」目立たないよう、小声で答える。
「こう言うことは聞いて良い物か、随分迷ったわ。ええ、実に判断に困ったの。それだけは信じて」
「はよ言え」
「あなたって、いつも一人なのね」
何だ、そんなことか。
「友達はいないのかしら」
「いないな」
「そう……」メリーの声は、どこか寂しげだった。「じゃあ、便所飯でもした方が良いんじゃない」
「何が“じゃあ”だよ
「だって、寂しいじゃない。こんな大教室でぼっち飯なんて。死んだほうがマシよ」無茶苦茶言いやがる。
「はぁ、分かってないな、お前は。見てみろよ」
俺が目の前の光景を顎で指すと、肩越しにメリーが前方へ視界を向けるのがわかった。
今いるのはこの大学で一番高い場所に位置する、西棟最上階の大教室だ。
光が差し込み、白いカーテンが揺らめく光景。外からは暖かい日差しが射し込み、気持ちが良い。緩やかな風が教室を抜け、時折頬を撫でていく。
とても静かな室内には、昼の放送が緩やかに入り込んでくる。
ここにいるのは、俺みたいな余り者ばかりだ。
ここはそういう場所だった。一人で、静かに時を過ごせる場所。
「気持ちよくないか」
「気持ち、良い……?」何故か困惑した声で返される。
「ここにはうるさく騒ぐ奴も叫ぶ奴もいない。一人の奴らが、互いが互いの存在を認めつつ、決して干渉しないよう距離を開けて飯を食ってるんだ。それが暗黙のルールなんだよ。だからこそ、何のプレッシャーも、居心地の悪さもない。人には必要な距離感がある。ここの奴らはみんな、その距離感を無視したりしない。この空間を、俺は大切にしているんだよ」
俺が言うと、メリーは「そう……」と悲しげな声を出した。
「脳が壊死してるのね。可哀想に……」
「……」
今日はプリン無しだな。
※
その日の講義は社会倫理学だった。
出席をするだけで単位がもらえる講義だから、割と学生からの人気は高い。
だが、俺がこの講義を取ったのは、単純に興味のある分野だったからだ。単位はもう取りきっているし、講義を受けるのも、趣味の延長みたいなところがある。
「今日もつまらない講義が始まるのね。時間の浪費が」
背後でぶつくさ言うメリーを無視して、席に座っていると「いがちゃん」と声を掛けられた。見ると、茶髪のチャラそうな奴が一人、ヘラヘラと笑みを浮かべて立っている。よく見知った顔だった。名前は覚えていない。
「ごめっ、今日も頼むわ」
そう言って紙を数枚渡される。「ああ」と受け取ると「サンキュー」と相手は去っていった。
「……何? 今の」
「昔所属してたサークルの同回生だよ。講義の出席票出しとけって、たまに渡されるんだ」
「何であんたが出すの? 自分で出すものでしょ? これって」
「……さぁ。何でだろうな」
「嫌だったら、ちゃんと断ったらいいのよ」
「良いんだよ、別に」
俺が答えると、それ以上メリーは何も言わなかった。
「分かったわ」
講義を終えて、帰宅する道中だった。夕暮れ時の、街が茜色で染まる時間帯。
俺達は自転車に乗りながら信号を待っていて、幸いにも周囲には誰もいなかった。
「あなたから、生気がしない理由が」
「言ってみろよ」
「生きることに諦めてる。多分、誰にも、何にも期待してない。他人にも、自分にも、人生にも」
俺は黙ってメリーの言葉を聞く。
「別に虐められている訳じゃない。まぁ、良いように利用されているようだけど、自分でそれを望んでるところがあるわね」
「かもな」
「死にたがっているようには見えなかったけれど、生きることを望んでいるようには到底見えない」
「そんな半端な奴、この世界にいくらでもいるだろ。特別な事じゃない」
信号が青になった。俺は、再び自転車を漕ぎ出す。
「どういう気分なのかしら」
「何が」
「集団の中に居ながら、一人で生きる気分よ」
淡々と、メリーは続ける。
「人間は集団で生きる生き物でしょ。規模はどうあれ、友達や家族や恋人を作って、コミュニティを形成して生活するじゃない。なのに、あなたは誰からも目を向けられていない。全身に染み渡るまで、孤独が巣食ってる。そういう人生を送ってきた感想が聞きたいの」
「悪趣味な質問だな」
「都市伝説だもの。趣味が良い訳ないじゃない」
「それもそうか」
道路を抜けると、大きな川がある。夕陽の光を反射してきらめいていた。その川の流れが、この世界が平和である事を実感させてくれ、その事実が妙に胸に突き刺さる。
どういう気分なのか……か。
辛いとか、寂しいとか、そういう言葉はふさわしくない気がしていた。俺は生まれた時から何も得ていないからだ。何も無いのが当たり前の状態だった。今まで、誰からも興味を持たれたことはなかった。多分、期待されてなかったんだろう。だから、ずっと一人だ。
それは、苦しくないと言えば、嘘になる。
だけど。
「今はお前がいるから、少し楽かな」
「へっ?」
「なんでもない。早く帰ろうぜ」
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