私メリーさん。今、あなたのすぐそばにいるの
坂
1-1
最初は携帯の故障かと思った。
大学の新学期が始まった四月半ば。
同回生が就職活動で忙しい中、進路も決めていない俺は今日も一人アルバイトに勤しんでいた。
その日も深夜二時までバイトだった。
居酒屋の夜勤は客層が悪い。好んでシフトを入れる奴なんて、俺くらいのものだ。「いっそここに就職したら」なんて、店長から悪趣味な冗談を言われるのにも慣れた。
バイトを終えアパートへの帰宅途中、普段鳴らない携帯電話が突如として鳴り響いた。取り出した携帯の液晶画面には、こんな着信番号が映し出されていた。
『0000000000 0000000000 0000000000 000000』
三十六桁のゼロ。
それが表示された番号だった。
薄暗い路地に差し掛かっていて、この時間だから当然人の気配も無い。無機質に鳴り響く携帯電話の音だけが、妙に不気味だった。
普通の電話ではない。
お化けだろうか、なんて馬鹿げた発想をして、すぐに首を振る。ひょっとしたら、電話会社からの重大な通告かもしれない。
恐る恐る電話に出ると、しばらく無音が続いた後、声が聞こえた。
「私メリーさん、今公園にいるの」
俺は電話を切った。
聞いたことがある。メリーさんと言う有名な都市伝説。
メリーと名乗る女性から電話が掛かって来る。彼女は自分の現在地を伝えながら、どんどんと近付いてくる。
そして、最後は自分の背後へとやってくる。
その後どうなるのかは、定かではない。
公園と言うと、バイト先の近所にある公園の事だろうか。だとすれば、俺が居るのもちょうど、その公園の入り口だ。
不気味さを覚え、目を向ける。いたずらと分かってはいても、呼吸が浅くなるのが分かった。緊張しているのだ。
その場に居るのが嫌で、何となく小走りで家へと向かった。運動不足だからか、すぐに息が荒れる。コンビニの前を抜け、ゴミ捨て場を通り過ぎた。
もういいだろうと足を止めた時、再び携帯が鳴り響き、飛び上がりそうになった。
着信番号は、また、三十六桁のゼロ。
震える手で通話ボタンを押す。
「私メリーさん、今ゴミ捨て場にいるの」
「性質の悪いイタズラはやめろ!」
思い切り叫んで、電話を切った。
昔から、人に好かれるタイプではなかった。ただ、こう言うあからさまな嫌がらせをされる程、恨みを買うようなことをしただろうか。
そこで、ふと、疑問を覚えた。
本当にイタズラなんだろうか。
そもそも、三十六桁もある番号なんて、どうやって用意するんだ。そんな方法聞いた事もない。
いよいよ恐怖感が膨れ上がり、俺は急いで家へと帰った。帰宅すると同時に、玄関に鍵をかける。
と、そこで、再び着信があった。
「今あなたの家の前に居るの」
俺は戸棚から急いで包丁を出すと、壁を背にして構えた。
ネットで読んだことがある。メリーさんは背後に回るから、こうしときゃ大丈夫なのだ。
玄関のドアを睨みながら、壁を背にする。すると、ゆっくり、本当にゆっくりと、鍵の内鍵が回転して行くのがわかった。思わず息を呑む。
震える手で包丁を握りなおすと同時にガチャンと音が鳴り、鍵が開いた。
軋みながら、ドアが開いていく。
しかし、ドアの向こうには誰も居なかった。
呆然として玄関を見つめていると、着信もないのにスピーカーから音声が流れた。
「私メリーさん、今あなたの後ろにいるの」
「はっ?」
そんなはずない。後ろは壁だ。
慌てて振り返ったが、やはり誰も居ない。
ほっと息を吐き出すと同時に、それが罠だったと気がついた。
慌てて振り返ったと同時に、俺の意識は飛んだ。
※
気がつくと朝だった。俺は自室のベッドに横になっていて、しっかりと部屋着に着替えていた。妙に頭がガンガンする。全身に鉛を入れたような、独特の重みが漂っていた。
「変な夢だったな」
痛む頭を押さえながら、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してコップに入れた。
すると、作り置きしていたプリンがなくなっていることに気がついた。俺はお菓子作りが趣味で、とりわけプリンはよく作る。楽しみに取っていたはずなのだが。
首をかしげていると、背後からぐっちゃぐっちゃと汚らしい咀嚼音が鳴り響いた。
「ようやく起きたのね」
バッと振り返る。誰も居ない。
その声には聞き覚えがあった。夢で聞いたあの声だ。
「無駄よ、あなたに私は見えない」
「何だと!」
叫びながらもう一度振り返る。やはり誰も居ない。
「どこだ!」
更に振り返る。誰も居ない。
「ちょっと! プリン! プリン飛び散るから!」
どうやら俺の動きに合わせて背後に回りこんでいるらしい。
「お前は誰だ!」
「あら、昨日ちゃんと挨拶したじゃない」
ぐっちゃぐっちゃと、汚らしい音を立てながら声の主は言った。
「私メリーさん。今あなたの15cmくらい後ろに居るの」
口に物を入れて喋るな。
都市伝説のメリーさんは実在した。どうやら俺は、そのことを信じなければいけないらしい。
昨夜体験したのは、確かに夢ではなかったのだ。
「お前は俺を殺しに来たんじゃないのか」
「……もちろん」ぐっちゃ「最初は」ぐっちゃぐっちゃ「殺」「食いながら喋るな」
「もちろん最初は殺すつもりだったわ。だって私はそういう存在だから」
「じゃあ何で俺は生きてんだ」
「興が削がれたから」
「あっ?」
「あなた、死にたがってたでしょ。何の生気も感じなかった。だから、やる気なくしたの」
ドキッとした。
メリーの言う事は、当たっていたと思う。
俺の住んでいるアパート。ここだけが、俺にとって、居場所と呼べる場所だったからだ。
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