お祭り編 :翼

 先輩と一緒に出店を回っていると、なんだか、いつもよりも人の目線を感じた。僕は少しだけ恥ずかしく感じたが、先輩は周りの状況を気にする素振りも見せずに、金魚すくいや射的に興じていた。一緒に出店を回っている間、時に先輩は真剣な顔を見せ、時にとても自然な笑顔で僕のことを見ることもあった。そんな先輩と一緒にいるうちに、次第に、僕も周りの目線を気にせずに先輩と一緒に祭りを楽しむようになっていた。いつもは先輩の後ろを歩いていた僕だったけど、なぜかその日は先輩の隣を歩いていた。もちろん、先輩は浴衣だったから普段のように歩けないことが理由だと思う。


 最初のうち、僕たちの距離は15センチくらいあったのだが人ごみに押されたこともあり、今では先輩との距離はほとんどなかった。先輩は立ち寄りたい店を見つけると、僕の洋服の腕の部分を引っ張った。ある種、犬のリードのようなものなのかもしれない。この瞬間は、先輩が飼い主で僕は飼い犬なのかもしれない。それでも、飼い主がそれで喜んでくれるなら、飼い犬としては本望というものだった。そんな想像をしていると、先輩が僕の袖を引っ張って、綿あめを食べたいと言った。そこで、僕たちは近くにあった綿あめ屋に向かった。


 そいつと出会ったのはちょうど先輩が綿あめを買い終わった時だった。そいつは、さも、自分がここにいるのは当然であると言わんばかりの堂々たる足つきで夏祭りで賑わう境内を歩いていた。黒い羽のような模様とくるりと丸まった茶色の尻尾。事前にネットで発見した迷い犬の幽霊の画像と同じだった。


 迷い犬の幽霊は人の足の間をするすると通り抜けて移動をしていた。僕はこの好機を逃すと、二度と、迷い犬の幽霊に出会うことはないように感じた。僕は先輩の方を振り返り、迷い犬の幽霊を探してきますと伝えた。突然、迷い犬の幽霊の話をされた先輩がどんな表情をしたのかを確認するよりはやく、僕は迷い犬の幽霊を追いかけて人ごみの中に入っていった。後方で先輩が何かを言っていた気がするけど、周りの話し声にかき消されてなにを言われたのかはわからなかった。


 その日は、なぜだか、人ごみの中をうまく移動することができた。いつもならすでに、10人近くぶつかっているはずだが未だに誰にもぶつかっていなかった。当然、迷い犬の幽霊も人の足の間をするすると移動する。僕はなんとか迷い犬の幽霊を見失わないようにするので精一杯だった。迷い犬の幽霊は石段の前で少しだけ立ち止まった。僕はチャンスだと思って足を速めたが、人ごみの間ではそれほど速度を上げることは叶わなかった。


 なんとか、僕が石段の前に辿りつく直前に、迷い犬の幽霊はこちらをちらりと見た。僕と迷い犬の幽霊と目線があう。迷い犬は石段に目をやると駆け上がった。僕も石段を登る。さすがに、犬だけあって素早かった。見失うかと思ったが、迷い犬は石段の途中で山へと向かった。僕も人ごみからぬけだして、迷い犬の幽霊の後を追う。


 山中は木々に覆われていて、たまに入る月明かりだけが足元を照らしていた。足元には枝と落ち葉が積み重なっており、僕が一歩進むたびに乾いた音がした。薄暗闇の中で、迷い犬の幽霊を追いかけるのは難しかった。迷い犬は、時折、木々の影に溶けていき、しばらくしてから、月明かりの元に現れた。体感では、迷い犬の幽霊を追いかけて数十分は経っているように感じられる。山を登り続けるに従って、僕は今、自分がどこにいるのかがわからなくなっていた。迷い犬の幽霊は今も僕の眼前を走り続けている。どこに向かっているのかもわからずに、ただ、ひたすらに追い続けた。


 この光景を僕は以前、どこかで見たことがあった。あれは確か小学2年生の時のことだ。当時、僕には、いつも、一緒に持ち歩いていた白い熊の人形があった。理由は思い出せないのだが僕はその人形を野良犬に奪われて、今のように延々と追いかけ続けた。見ず知らずの山道を延々と追いかけまわしてたのだが人形を取り返すことはできなかった。


 次の瞬間、僕は迷い犬の幽霊に向かって思い切り跳んだ。目の前を走っているものを両手で力の限り握り締める。浮遊感と両手に確かな感触を得るのとほぼ同時に、僕は地面にぶつかった。地面にぶつかる直前に瞼を閉じる事で眼球を保護する。直後、肋骨が地面にぶつかり、痛みが脳内に突き刺さる。その後、すぐに、顔や腕など洋服のガードがない部分に地面に散らばった落ち葉や枝がぶつかり、再び痛みで脳内を刺激する。僕は思い切り瞼を閉じて、歯を食いしばって痛みに耐えた。痛みに耐えている間、僕の耳には物音一つ入ってこなかった。それが、地面に衝突したことが原因なのか、それとも、別の理由なのかを判断する事はできなかった。

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