喫茶店編 :仮面

 学校から駅までは、15分も歩けば到着する。新宿とか渋谷のような大きな駅ではないけれど、地方都市の主要ターミナルとして機能しているので、平日の通勤と帰宅時間や休日の昼間は混雑する。

 

 僕は人混みがあまり得意ではない。理由はよくわからないけど、人を避けるのがとても下手なのだ。いつだって、僕は相手との衝突を避けようと体を動かすのだが、結局、毎回ぶつかってしまう。一方の先輩は自分の好きなように海を泳ぐイルカのように、するりと人混みをかわして進んで行くことができる人間だった。僕たちが駅に到着したのは13時ごろだったにも関わらず、多くの人が集まっていた。人混みを歩くのが苦手な僕にとって、先輩の移動速度についていくのは、ある種の苦痛だった。僕は駅前に着いて10分もしないうちに、両手で数えきれないほどの人に謝罪の言葉を口にしていた。


「歩くのが速すぎたかい?」


 人混みの中で立ち止まった先輩が、後ろを振り返る。先輩は申し訳なさそうな表情をしていた。僕が息を整えている間に、先輩が話の先を続けた。


「すまなかったね、近くに、私がよく行く喫茶店があるんだ。どうせ、例の時間まではまだまだある。そこで、一休みしよう」


 炎天下の中で人混みに揉まれる状況は、居心地の良い物ではなかったので、僕は頷いた。


 喫茶店に向かう道中、先輩は歩く速さを落としてくれた。それでも、十分に速く感じたが、なんとか、人にはぶつからない程度にはなった。先輩の後についていきながら、少しだけ余裕ができたので、人混みの間から駅前を観察した。駅前は本当に人が多いように感じられた。だけど、それは、僕が普段、人の少ない場所を好んで生活をしていることも原因かもしれない。これから先、もしも東京の大学に行くことになったら、人間で作られた砂漠のような駅前を毎日、毎日、歩み続けることになるのだろうか。きっと、東京は駅前だけでなく街中も同じような状況なのだろう。そんな場所に僕が安全に安める場所なんて存在するのだろうかと思った。想像するだけで、頭が痛くなった。


 哀しい想像を打ち切るために、再び、人混みの観察をする。人と人の隙間から、駅前にある掲示板や、駅ビルを支える柱が見える。柱には企業の広告や、犯罪撲滅のポスター、この街で行われる夏祭りのポスターなどが貼ってあるのがわかった。去年は先輩に誘われて夏祭りに行ったと記憶している。今年は、どうなるのだろうかと考えた。僕から先輩を誘った方がいいのかなという気もしたけど、それは、なんだか失礼な気もした。先輩には、先輩の間合いというものがあるだろうし、その間合いに土足で踏み込むのは躊躇われた。


 僕が人混みの間をかき分けながら、駅前を観察していると、先行している先輩が立ち止まった。僕も慌てて、立ち止まる。


「ここだよ」


 先輩が駅前のビルの間にある、二階建ての民家のような建物を指差す。自己アピール過多のビルが立ち並ぶ駅前の徒歩10分圏内に、こんな落ち着いた場所があることを僕は知らなかった。だが、果たして、この建物を喫茶店だと認識できる人がどれくらい、いるのだろうかと僕は思った。喫茶店の前にはこの建物が喫茶店だと示すものはほとんどなかった。辛うじて、ドアの上に手触りの良さそうな小さな木の看板が吊り下げてあるだけだった。小さな看板には喫茶・"ジュ・トゥ・ヴー"と、書かれていた。

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