精霊の本質
桜緋の霊気が結界全体に広がっていく。そして、霊気の具現である桜の花弁が無数に舞い散る美しい空間が現れた。
血まみれの空間を花弁が上書きしていく。
不思議なことに、桜緋の花弁に触れた璃桜と千尋は体に力が入らなくなった。
「なっ……」
「クソッ」
膝から崩れ落ち、為す術もなく、その場に倒れこむ。花弁の絨毯に顔を埋める形となった璃桜が悔しげに呟く。
「なんで……姉さんの力だけじゃ俺を抑えるなんて、できないはずなのに」
一方の千尋は仰向けに倒れていた。どうして自分までこのような状態になっているのか、理解できなかった。けれど、この花弁の絨毯は、ほんのり温かく、横になっていると気持ち良い。人肌に触れているような優しい温もりだ。
千尋はどうにか首だけ動かし、桜緋の方を見た。
「桜緋、どうして……」
桜緋は跳躍して宙に浮いた。ボロボロだった衣装を霊力で復元し、花吹雪の中、優雅な舞を踊り始める。その舞にすら自らの霊力を放出する意図が込められていた。
舞いながら、桜緋は二人の問いに答える。
「終わらせる。それだけさ」
その言葉は到底問いの返答にはなっていなかった。しかし、桜緋の身に変化が現れ始め、二人は自身が投げかけた問いなど気にならなくなった。
まず、血でパサパサに固まっていた桜緋の髪が頭頂部から毛先まで美しく元通りになった。そして、元々肩までしかなかった髪の長さが腰辺りまで一気に伸びる。衣装の装飾も普段のものよりも華美に。天女がいるとすれば、あのような姿をしているのだろう。桜緋は空間だけでなく、霊気で自らの姿すら変化させていく。
桜緋は自らの霊気を先の大太刀による一撃でほぼ使い切っていたはずだった。その霊気はこのような短時間で回復するものではない。たとえ、千尋の処置で状態が改善していたとしても、このような大規模な霊力の行使は不可能だ。霊気が全快するには、最低でも数年が必要だった。消耗していた桜緋が霊力を無尽蔵に放出できている理由。それは、この桜舞う結界の外にあった。
***
斬っても、祓っても、邪気は尽きることを知らず。異空間は地獄の門のように、こちらを死へと
邪気が活性化しているうえに、この量としぶとさとは、かなり応える。
太刀を地面に突き立て、柄に縋りながら和葉は両膝をついた。
「和葉!」
楓雅が肩で息をしている和葉の元に駆け寄り、邪気から守るための結界を張って寄り添う。
和葉は顔面汗まみれのまま、それを拭うこともなく隣に来た楓雅を見上げた。
「私は平気……楓雅は奴らの処理を」
「馬鹿言え。お前の霊力が限界なのは見ればわかる。この結界は簡単には破られない。少し休め」
「自分の身くらい、自分で守るわ……楓雅は戻って」
「和葉!」
頑固な相棒に楓雅は声を荒げる。
弱っているとみて集まってきた邪気が結界に攻撃を加えているが、今のところ突破される危険はなさそうだ。和葉はその様を眺めながら、自嘲するように笑った。
「いつになったら終わるのかしら、これ」
「桜緋達が終わらせない限り、俺達も終わることはできないだろうな」
「……そうね」
和葉はようやく掌で、べたべたの顔を雑に拭った。すると、見かねた楓雅が自分の衣装に付いている飾り布を力任せに切った。
「ちゃんと布で拭けよ。そんなんじゃ肌荒れるぞ」
「それだって奴らの返り血まみれなんだから変わらないでしょうに」
まだまだ口は達者だが、体を動かす気力はないようだ。楓雅にされるがまま、布で顔を拭かれている。
和葉の顔を拭いてやりながら、楓雅は呟いた。
「絶望的な顔してるわりに、ちゃんと信じてるんだろ。お前」
顔を拭かれている和葉は内心を見透かされていると気づいて苦笑した。相棒には本音が見抜かれている。いつものことだ。
こことはまた別の場所で戦っているであろう仲間達。彼らの奮闘なくして、こちらにも平穏と勝利は訪れない。
「……私達は信じて、目の前の敵と戦うしかない。こうやって疲労に倒れそうになっても、信じることだけは止めない。止めてはいけない」
「それが彼奴らにとっても、力になるだろうからな」
「よし」
頬に少し血が付いているものの、顔が若干マシになった和葉は立ち上がった。
「休憩は終わりよ。続き、片づけましょう」
「へばったのは、お前だろう?」
「うっさい」
軽口を叩きながら二人は立ち上がり、楓雅が大剣を顕現させて一閃する。一瞬で結界が解除され、集まってきていた邪気が一気に襲いかかってきた。
少し緩んでいた和葉の表情が自然と引き締まり、地面から太刀を引き抜いて振り上げる。目前に迫っていた
楓雅も凄絶な笑みを浮かべて大剣を振るいながら悠々と異空間を闊歩する。小さな邪気も多いが、楓雅の描く太刀筋はそういった小物も逃がすことなく確実に斬り伏せていく。
疲労は、かなり蓄積している。耐えきれずに膝をつくこともある。けれど、仲間を信じているからこそ、前を向いて得物を振るっていた。
***
桜緋達のいる結界が築かれた公園では、璃桜の存在に引き寄せられてくる百鬼夜行が好き勝手暴れ回っていた。それらを富士宮家の術師が総出で祓っている。
ダウンジャケットは擦り切れて、とうに脱ぎ捨てた。スキニーパンツとシャツも血で斑に染まり、穴が開いている。服装の乱れなど気に留めず、拳と脚部に霊力を集中させて邪気や悪鬼を粉砕していた。
「美里、実戦は久しいだろう。あまり無理をすると昏倒するぞ」
美里が仕留めきれない分は小柄な石哉が代わって叩く。石哉は自身の機動力を活かして、縦横無尽に魑魅魍魎の中を動き回っていた。
「私は大丈夫よ、石哉。私より、荘司はどうなの?」
「荘司は
「兄さんと美月は」
「この程度で悠司が窮地に陥ることはない。それは美里の方がよくわかっているだろう」
「そうね」
拳を邪気に叩き込み、回し蹴りで悪鬼を砕いて、美里は桜緋達が戦っている結界の方を見た。外から中の様子を詳しく見ることはできないが、漏れ出てくる荒々しい霊気から激しい戦闘になっていることはわかる。
「……信じるしかないわね」
「ああ」
中で何が起ころうとも、外部から干渉することはできない。外部にいる者達にできることは、璃桜の存在に影響されて現れる無数の魑魅魍魎の相手をし、決戦の邪魔をさせないことくらいだ。
すると、疲労が顕著になってきている美里の腕に悪鬼が噛みついた。思わず呻き、もう片方の腕で引き離そうとする。しかし、精力を吸われて力が入らない。
石哉が対応しようにも、別の邪気に絡みつかれていて、それどころではない。粘着質のある触手に足をとられた。体格が小柄なため、すぐに全身が触手に捕らわれてしまう。石哉は苛立ちを露に舌打ちして声を張り上げた。
「悠司! 少し手を貸してくれ!」
刹那、閃光が目の前を真っ白に染めた。
視界が元に戻る頃には、周囲に浮遊していた全ての魑魅魍魎がいなくなっている。
悠司の圧倒的な霊力は溜めに時間がかかるものの、放った時の破壊力は凄まじい。しかも、射程範囲まで広大で、まさに切り札だ。
悠司は溜めの時間を少しでも短縮するために、生まれつき莫大な霊力をその身に宿している妹を傍に置き、霊力の補給源としている。しかし、妹はまだ術が使えない。溜めの時間を短くする代償として、大切な妹を危険に晒し、自身の手で守らねばならない。
「っ」
腰にしがみついている美月が邪気を目にして悲鳴を上げれば、悠司はそちらに向けて霊力を放つ。美月も修行すれば、いずれ優秀な術師になるだろう。しかし、まだ幼い。少しずつ勉学に励んでいるようだが、このような修羅場においては何もできなかった。
「ごめんなさい、お兄ちゃん」
「何がだ」
悠司は普段から愛想がないため、どんなに硬い口調で返されても美月は動じない。次々に霊力や浄化の術を放つ兄を見上げて、申し訳なさそうに眉をハの字にする。
「私、まだ戦えないから足手纏いになってて……」
「そんなことはない」
悠司は邪気の一軍に目をつけ、そこに霊力の鉾を叩き込む。絶え間なく術を行使しながら、妹を諭す。
「俺は美月がいなければ、短時間のうちに術を何度も行使できない。美月は立派な戦力だ。自分を誇れ、美月」
「……勝ちたいな。お兄ちゃんもお姉ちゃんも皆、頑張ってるから」
「なら、そう信じろ」
「え?」
悠司は印を組んでいない左手で、きょとんとしている美月の頭を撫でた。
「美月なら、もう勉強しただろう? 精霊は人間の心や願い、祈りに強く影響されると」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます