霊気反応

「その程度で……そのザマで……人間風情が、俺を止められると本気で思ってんのかッ!?」


 千景の霊圧で動きを封じられた璃桜の姿が大きく膨らんだように見えた。


「っ、まずい!」


 桜緋が血相を変えて手に持った大太刀を一旦消して、大きく腕を横に振った。

 咄嗟の判断で張られた結界。それを打ち破ろうとする璃桜の霊力。簡易的なものとはいえ、結界は見事に攻撃を防いだ。


「グハッ……!」

「千景、もう少しでいい。すぐに、片をつける。だから、耐えてくれ!」


 璃桜を拘束する結界を築いていた千景は、抗う圧倒的な力をその身に直接受けて呻く。文字通り血反吐を吐きながら、桜緋の懇願通り、結界を破られないように耐えていた。

 梅妃と水黎の築いた結界。その純白の地面の上に、千景の吐き散らした血液が無数の紅い花を咲かせている。

 千尋は、先程の負傷で未だ動けなかった。璃桜の暴力に打ちのめされた身体。立つどころか、その意識すら戻っていない。

 もう、戦いの全ては桜緋に委ねられたも同然である。


「チッ……」


 千景による拘束は長く保たないだろう。早めに殺らねばならない。

 桜緋は改めて自らの霊気で大太刀を生成した。自らの身長を上回る大きさの得物は、桜緋の覚悟を象徴している。

 同胞殺し。その罪は、永遠とわにこの身と心を縛り、さいなむことだろう。

 だが、これは成すべきこと。罪であろうと、この手で成さねばならぬこと。

 自身の瞳と同じ緋色の柄を強く握り締め、桜緋は迷いなく跳躍した。

 心が定まっていたとしても、肉体は本能的に同胞を手にかけることを拒む。荒れ狂う霊気は乱流を生み、飛び上がった桜緋の身体を激しく叩く。


「クッ……」


 刃物のように鋭い霊気が露出している肌を切り裂く。身体の至るところに赤い線が刻まれても、桜緋は顔色を変えなかった。


「喰らえッ!」


 千景の衰弱で璃桜への拘束が緩み始めている。けれど、まだ動くことまではできないはず。


「あ、あ……あ、姉……上ェッ!!」


 璃桜が身動ぎしても逃げられないと悟り、呪いのような呻き声を上げた。

 姉上。

 その呼び方は遥か太古の昔に、二人仲睦まじく生きていた頃のもの。精霊から堕ちたとしても、記憶は残っている。無意識に、殺される寸前の璃桜は桜緋をそう呼んだのだ。

 しかし、その程度で揺らぐほど桜緋の覚悟は甘くない。

 顔色一つ変えずに大太刀を振り下ろし、その太い刀身が璃桜の脳天に直撃するのを桜緋はしっかりと見た。

 カッと閃光が迸り、衝撃波が起こる。

 役目を終えた大太刀は瓦解し霊気となって散り、爆風に桜緋は吹き飛ばされた。同じく、璃桜を結界で拘束していた千景も力尽きて昏倒し、意識を失ったままの千尋諸共、爆風であらぬ方向に飛んでいく。

 そんな衝撃の拍子に、千尋が微かに意識を取り戻した。爆風と霊圧とでぐちゃぐちゃな視界に顔を歪める。


「……」


 胸元が奇妙に熱い。炎を抱いているような熱量。しかし、火傷を恐れて手放そうとは思えない。だが、解き放ちたいとは思う。不思議なもどかしさだった。それを思いつつ、再び意識を手放した。肉体が、魂が、まだ休息を欲していた。どんな状況であれ、もう少し眠りたいと告げていた。

 爆心地である璃桜を中心に爆発と爆風が荒れ狂う。桜緋と璃桜、二人の霊力が絶えず反応し合い、いくつもの爆発を起こしていた。そして、白い戦場が軋んでいる。戦場を築く結界が爆発に煽られてギシギシと音を立てている。辛うじて崩れていないのは外部に残ったメンツの必死な努力のおかげだろう。

 桜緋、千景、千尋の三名は力尽き、爆風に乗って、それぞれバラバラに結界の彼方へ飛ばされていった。

 結界外部では璃桜の存在に影響されて断続的に現れる悪鬼や邪気を富士宮一派が掃討していた。

 ある者は霊力を最大まで解き放ち、ある者は普段は見せない体術で迫る敵を粉砕した。そして、ある者は圧倒的な火力で周辺一帯の浄化を行っている。

 オフシーズンゆえに誰もいない公園で壮絶な戦闘が繰り広げられている。

 浄化を行う術師の腰にしがみついて、術師に力の供給を行う少女が不意に顔を上げた。


「お兄ちゃん、あれ」


 服を引っ張られた悠司が美月の指さす方へ視線を向ける。そこには、徐々に膨らみつつある結界があった。制御しているはずの二人の精霊は苦悶の表情で、結界と向き合っている。結界は巨大化していた。内部で何らかの異常事態が発生していることは明らかだ。


「荘司!」


 もっともフットワークの軽い弟に鋭く指示を飛ばす。


「はい! ……こんな切羽詰まってる時でも使いっ走りにされるんだなぁ、俺」

「美里の援護は僕がやる。荘司はひめと水黎を」

「わかってる。頼んだよ、石哉」


 荘司は魑魅魍魎が渦巻く主戦線を抜け、行く手を塞ぐしつこい悪鬼を蹴散らし、満身創痍で結界を維持している二人の下へ降り立つ。


「どうしたんだ、二人とも」


 二人の肩を抱いて揺すると、ほとんど意識がなかったのか目覚めたような様子で荘司を見上げた。


「そ……じ」


 水黎の半開きだった口から、か細い声が漏れる。梅妃も呻き声に近いものを絞り出す。


「中で……霊気同士が、反応しておる」

「何?」


 思わず聞き返すと、梅妃は眉間に深い皺を寄せて告げた。


「桜の霊気がぶつかり合って……荒れ狂っておる……このままでは、間もなく……結界ごと弾け、爆発する……!」


 ***


 結界の中は地獄と化していた。

 桜緋が止めとして放った斬撃は、すべてを終わらせるのではなく、混乱と混沌を生んだ。陽と陰が絶えず鬩ぎ合い、無数の爆発を誘発している。桜緋達は衝撃で地面に転がり、昏倒していた。

 その時、爆発が最も激しい爆心地で青い炎のような影が揺らめいた。肉体の再生を終えた璃桜である。

 立ち上がって、辺りをざっと見渡した。


「これは……なかなか愉快な状況じゃないか」


 自分の霊気と姉の霊気がぶつかり合い、爆発を起こしている。霊気の火の粉が衣装の裾を焦がしても璃桜は気にしない。


「姉さん達はどこに行った……?」


 さっきの一撃で空間の霊気が滅茶苦茶になってしまった。相手の霊気を辿ることもできない。肉眼で探すしかなさそうだ。

 この空間が崩壊するには、まだしばらくかかるだろう。歩きながら璃桜は空間の状態を確認し、小さく溜息をついた。籠の鳥というのは気に食わない。けれど、ぶち破るには力を削られすぎている。どうにか再生したが、あの一撃はかなり応えた。

 すると、小爆発の向こうに倒れている人影を認めた。小柄な女性、桜緋である。


「みぃつけた」


 にやり、と不穏な呟きは歪んだ笑みを添えて放たれた。

 璃桜はスキップするような軽い足取りで意識を失っている桜緋の近くに寄った。しゃがんで、頬を突いてみる。

 仰向けに倒れている桜緋は霊力をほぼ使い切っていることから全く反応しない。霊気を使い切れば精霊は消滅しかねない。けれど、桜緋は相討ち覚悟で霊力のほとんどを璃桜を攻撃することに使った。今は辛うじて生命活動を維持している程度である。

 璃桜は全く起きる気配を見せない姉に一人で語りかけた。


「俺は姉さんが大好きだよ。大好きで、格好良くて。姉さんは俺の性質が反転してから人格が変わったとでも思ってるのかもしれないけど、それは違うね。俺は精霊として生きていた頃のことを覚えてるし、姉さんとすごく仲が良かったことも覚えてる。だから、俺は姉さんが大好きで……大嫌いだ。すごく殺したい」


 よいしょと掛け声とともに立ち上がり、手の中にゆっくりと霊力を集めた。消耗しているため、生成に時間がかかっている。


「ほら、姉さん。早く起きないと殺しちゃうよ?」


 刃の形を描き始めた手の中の光を見て、璃桜はにこにこと嗤っている。


 ***


 胸の熱が大きくなってきている。

 熱い。すごく、熱い。


『決して解き放つな』


 桜緋の厳しい声。

 けれど、このままでいいのだろうか。


『解き放てば、お前は人間ではいられなくなる』


 千景の険しい声。

 家族や友人を捨てる。熱に身を委ねるというのは、そういうことだ。

 わかっている。だから、これまで抑えてきた。封印を施して。

 けれど、本当にこれでいいのだろうか。

 抑えつけるだけで、何ができるのだろう。


 その時、悲鳴が、聞こえた。


 ***


 千尋が一気に覚醒する。


「あああああああああああああぁぁぁぁぁッ!」


 耳をつんざく金切声。それは桜緋のものだ。


「桜緋!?」


 勢いよく起き上がると、傍らには千景が転がっていた。


「千景!」


 鼻に手を当てると呼吸を感じた。生きている。

 そして、周囲を見て絶句した。爆発が色々なところで断続的に起こっている。意識を失っている間に何があったというのか。

 けれど、それは些末事に過ぎない。


「姉さん! やっと起きた?」


 愉しそうに嗤う璃桜が遠くに見える。そして、その足元には。


「桜緋……!」


 腹を太い刀で貫かれた桜緋が転がっていた。

 喘ぎ、激痛に身を捩り、地面に串刺しにされているため、逃れることもできない。

 苦しむ桜緋に駆け寄ろうとするも、爆発が邪魔をして下手に動けない。巻き込まれたら、桜緋を助けるどころか自分が死ぬ。


「どうしたら……」


 そのとき、心臓が大きく脈動した。千尋は胸元に目線を下ろす。

 胸にぶら下がった御守り。それは擦り切れ、今にも壊れそうだった。

 千尋がそれを掴む。すると、胸の奥に疼く熱が勢いを増した。解放を求めて、胸の中で暴れている。

 桜緋の悲鳴。璃桜の笑い声。まだ目覚めない千景の苦しげな呻き。

 選択の余地はなかった。


「……ごめん」


 千尋は躊躇いなく、御守りを引き千切った。

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