ふたつの桜
最終決戦
桜の舞
水黎と梅妃。広大かつ強力な結界を展開するため、両手を広げ、双子を振り返った。
「本来ならば、何の因果も持たぬはずの人の子。
「だからせめて……絶対に、無理はしないで」
決戦の舞台に選んだのは、真冬で人が極端に少ない、くりはま花の国の広場。かなりの坂道もとい山道を登らねば着かない上に、真冬で寒いことから、暖かい季節ならば、たくさんいる親子連れもいない。そんな
千尋は軽く体を動かしつつ、桜緋が生成した木刀を振っている。
「何言うのさ、二人とも。ここにいるのは僕達の意志だ。前世も、転生も、何も関係ない。桜緋の友達だから、桜緋と一緒に戦う。それだけだよ」
「そうだ。俺達は今を生きる人の子。千年近く前に結ばれた因縁に振り回されるほど、ヤワじゃない」
千尋に応じて頼もしいことを言う千景は、普段は使っていない、見慣れない弓を弄っていた。薄い桜色で、凝った装飾がなされた弓だ。これも、桜緋の霊力で創ったものであり、璃桜を相手にする時はこれを使えと渡されたのだった。
それにしても、冷える。今日は、まだ冬休み。動いていないと鼻水は垂れてくるし、手足は震えるし、辛くて仕方ない。
肝心の桜緋はというと、近くにあるベンチで富士宮家の面々と最後の打ち合わせをしていた。
「では、俺達は璃桜が連れているであろう邪気を叩けばいいんだな?」
「璃桜だけなら、私だけでもどうにか対処可能だ。厄介なのは璃桜が邪気や瘴気を従えている点だからな。奴らと璃桜を引き離してしまえば、後がだいぶ楽になる」
「承知した。最善を尽くそう」
悠司と話を終えた桜緋は立ち上がり、重苦しい雲の垂れ込める空を睨んだ。雲の中に澱んでいる瘴気は、間違いなく璃桜の霊気を帯びていた。
この空のどこかに、彼奴がいる。
そう思うだけで、全身から闘気が溢れてくる。
悠然と広場を歩いていた荘司が桜緋に問いかけた。
「……来るかい? 璃桜は」
「ああ。必ず」
荘司は殺気立つ桜緋をどこか悲しげな瞳で見ていた。
***
「今日は荒れてるわね」
曇天に轟く咆哮。和葉は首筋に滲んだ汗を手の甲で拭いながら低く呟いた。
今朝、家から出た途端、異空間がひっきりなしに形成され、邪気を斬っても斬っても、穢れた迷宮から逃れられなくなった。と言っても、逃げる気は更々ないが。
もう自分がどのくらいの距離を移動したのかすら、和葉は認識していなかった。
「楓雅!」
大きく口を開けて正面から捕食しようとしてきた邪気を太刀で一刀両断にし、同時に背後から迫る別の邪気を相棒に任せる。
和葉は邪気の唾液と粘液と体液にまみれていた。それらに含まれる穢れが、その肉体を少しずつ侵している。微かな悪寒に和葉は眉を寄せ、地面に太刀を突き立てた。
「散れッ」
大地に注いだ清浄な霊気が間欠泉のように周囲から溢れ、全身を汚していた液体を綺麗に吹き飛ばす。太刀が纏う霊気は、どれだけ邪気を斬ったとしても清浄を保つ。邪気を滅するだけでなく、自らの浄化にも使えるのだ。
「……ハッ」
それでも、さすがに体力的な疲弊は癒せない。霊力も気力もまだ問題ないが、もう何十体もの邪気を斬ってきた。純粋な疲れで身体が悲鳴を上げている。
弱っていることに気付いたのか、邪気達が和葉を囲み始めた。薄闇の異空間。その荒廃とした大地と天空には、数多の穢れが蠢き、ひ弱な女を喰らおうと隙を窺っている。
「ナメるな、異形!」
邪気の群れに霊圧を叩きつける。引き千切られた邪気の肉片がバラバラと頭上から降り注ぐも、楓雅が咄嗟に張った結界が、それらを防ぐ。
無数に降ってくる邪気の肉片を眺めていると、和葉の耳の奥に楓雅と交わした会話が蘇ってきた。
***
「本当に加勢しなくていいのか?」
「いいの。今回は参加しないわ」
桜緋を中心に巻き起こった今回の事件。今度、その決着をつけると聞いたとき、和葉は自ら参戦を辞退した。
組合で美里から参加するかと問われたとき、心から参加したいと思うと同時に、事の重大さを感じ取って、和葉は咄嗟に身を引いたのだ。
組合からの帰り道、傍らに付いている楓雅が辞退して良かったのかと問うてくるのも当然といえば、当然だった。なぜなら、普段の和葉ならこういう大舞台には真っ先に飛び込んで、先陣を切ってきた。今回だって、その場で力を振るいたいと思う。けれど、今回は退くべきだと思った。
「だって、祓い屋の大家である富士宮家の術者が総出するのよ?」
「ああ。だからこそ、和葉は共に戦いたいと言うと思ったんだが……」
「だからこそ、今回はパス」
和葉は視線だけで楓雅を振り返った。
「富士宮家の術者全員が一つの現場に縛られる。それなら、他の対処は私達のような組合員が総出でやらなければならない。そうでしょう?」
「和葉……」
「確かに、私だって参加したいわ。でも、そんな私情を優先して突破できる事案ではないでしょう。私達は私達の成すべきことを成すのよ」
「……そうだな」
――――そう。
私は、私達にできることを成す。
現実に意識が戻ってきた和葉は、改めて太刀の柄を握り締めた。
「斬ッ!」
叫びと共に刃から霊力を解き放つ。三日月型の衝撃波が邪気の群れに叩きつけられる。再び大量に生産された邪気の肉片にまみれながら、和葉は天を仰いで荒い息を吐き出した。
この穢れた空の下で、彼らもまた戦いに身を投じているはず。どれだけ長く、過酷な戦いになろうと、決して屈しない。
此岸を守る者としての誇りは悠久の時を生きてきた穢れをも打ち砕く。
***
「水黎、妃。準備はいいか」
桜緋達は準備の最終段階に入っていた。
桜緋の問いに二人は引き締まった表情で頷く。
「ええ」
「いつ始めても構わぬぞ」
今回、水黎と梅妃は戦闘には直接参加しない。ただし、桜緋と璃桜の決戦の場を作る。
「では、始める」
桜緋がそう言った刹那、三人の精霊を遠くから囲むように立っている富士宮家の面々が霊力を研ぎ澄ませ、臨戦態勢に入った。それを認めた桜緋は、自分の両脇にそれぞれ武器を手に立っている双子に視線を向けた。
「お前達は少し離れろ。衝撃でいきなり昏倒されても困る」
「ならば、標的が来るまでは
梅妃が右手を振るい、簡易的な結界で双子を包んだ。
「礼を言う。……始めるぞ」
すると、水黎と梅妃が桜緋から距離を取った。そして、両手を前に翳して構える。
桜緋はその場で俯き、瞼を落とした。
「あ……」
千尋が思わず声を漏らす。桜緋の身体から、じわじわと霊気が溢れ始めたのだ。普段の霊気よりも、ずっと濃い。甘く、それでいて爽やかな桜の匂いを孕んだ霊気を漂わせて、桜緋はすっと天を仰いだ。
どこか物憂げな表情を浮かべた桜緋が舞い始める。己の霊気を広く、遠くまで行き渡らせて、この天に潜む同胞を、肉親を喚ぶ。
濃く、強い桜の霊気は、天へと昇り、穢れに満ちた雲の中にも充満していく。その様が、場にいる皆には見えていた。
これは、召喚であり挑発。決戦へと誘う、姉から弟への招待の演舞だ。
千尋は桜緋の舞に見蕩れていたが、千景は異変に気付き、手に持った弓を構えた。
「千尋」
促されて千尋も気付いた。
空の向こう、雲の向こうが荒れている。稲妻が轟くように、瘴気がゴロゴロと鳴っている。桜緋の挑発に反応しているのだ。
「来る……!」
千尋も自らの得物を構えて衝撃に備えた。しかし、次の瞬間、千尋は悟る。
「えっ……?」
天に渦巻く凄まじい殺意。それは、桜緋ではなく、自分に向けられているのでは……?
「っ、千尋!」
桜緋もそれに気付いたのか、舞を止めて千尋を振り返り、慌てて手を伸ばす。
しかし、遅かった。
大音を響かせて、雲から真っ直ぐ雷が落ちた。千尋の肉体を容赦なく眩い閃光が貫く。
「ぐああああぁッ」
「千尋っ!」
富士宮家の面々が千尋を助けようと動くも、それは雷と同時に降ってきた無数の邪気と瘴気、そしてそれらが意思を持って生まれた悪鬼達によって阻まれる。
「クッ……」
「っ、やむを得ん。我々はこちらに集中する。向こうは精霊達に任せろ!」
悠司の指揮が飛ぶも、荘司と美里は悔しげに唇を噛み締める。こんなに近くにいながら、何もしてやれないとは。
「美月は俺から離れるな」
「わかってます」
悠司の霊力を強化するため、美月は兄の腰に必死にしがみついている。悠司から離れてしまえば、真っ先に穢れに喰われるのは美月だった。
「掃討する!」
悠司の霊力が迸り、うねりとなって邪気達を飲み込んでいく。
荘司と美里も目の前の敵を討つことに意識を集中させた。この山のような穢れの先で、双子が生き延びることを信じて。
***
「千尋、千尋!」
「桜緋、前を見よ!」
稲妻の中から見える小柄な影。璃桜だ。
桜緋は今すぐにでも千尋の処置をしたかったが、それをすればその隙を突かれる。璃桜の狙いはそれだから。
桜緋は千景に負傷した千尋を預け、立ち上がった。
千尋を貫いた雷は、肉体を傷つけることなく、霊体に大きなダメージを与えていた。すぐに生死に関わることはないが、放置すれば魂が死ぬ。それでも、今すぐにどうにかなるわけではないから、治療を後に回した。千尋なら、自然回復でも意識を取り戻すことも可能だろう。
そして、桜緋は待機している水黎と梅妃に指示する。
「手筈通り、結界を」
「いいの?」
「……ああ。
「わかったわ」
水黎は自分は千尋の治療に当たろうとしたが、桜緋は心を鬼にしてそれを拒んだ。今回の目的は璃桜を殺すこと。それが成せなければ、何の意味もない。
二人の精霊が距離をとり、先程と同じように両手を構えた。
「……では」
「健闘を祈るわ」
二人の身体が発光し、柔らかな霊力が精霊と人間の双子達をドーム型に包み込む。四人の姿が結界の向こうに消えて見えなくなれば、外部にいる者は、もう無事と勝利を祈ることしかできない。
***
霊体に大きなダメージを受けた千尋が辛そうに呻いている。千景はそんな弟の身体を抱き締めていた。
「千尋……千尋……」
譫言のように何度もその名前を紡ぐ。
そのとき、いつの間にか傍らに立っている桜緋の声が降ってきた。
「千景。しっかりしろ。千尋は大丈夫だ」
「けれど、何の処置もしていないだろう!?」
「お前、治療しようなどと思うなよ。そんなことをしている暇はない」
「桜緋!」
「自分の弟を信じろと言っている!」
一喝されて千景はハッとした。
そうだ。今は、弟の手当をする余裕もないのだ。
ずっと雷を身にまとっていた璃桜が、結界に囚われたことで姿を現した。
「ここで姉弟の決着をつけろってことか。姉さんも随分と演出してくれたもんだね」
「好きだろう。こういうの」
「まぁね。流石は姉さん。俺の趣味をよくわかってる」
千景はそんな姉弟のやりとりを聞いて身震いした。二人の間には明確な殺意がある。精霊から滲み出る殺気は人間にとって恐怖の対象。意識を失っている千尋を庇うように、千景は苦悶の表情で眠っているその身体を自らの背後に横たわらせた。
すると、真上から小さく桜緋の声がした。
「結界で奴を縛り上げろ」
「え」
「お前は千尋よりも実戦向きだろう。璃桜はお前を舐めている。……一泡吹かせてやれ」
ついこの間、この身を乗っ取って好き勝手した邪悪な精霊。けれど、奥底には精霊としての意識を残している、中途半端な堕落者。
千景は前方で嗤っている璃桜を見た。
璃桜は千景を認識しているが、眼中に入れていない。ただの荷物程度にしか思っていない顔だ。確かに、これは隙を突きやすい。
千景は手にしている弓を構え、霊力の矢をつがえた。
璃桜がそれを見て嗤う。人間風情が何ができる、と言わんばかりの小馬鹿にした顔だった。
「縛ッ!」
放たれた霊力が璃桜を雁字搦めに締め上げる。
「おいおい、この程度で足止めか?」
「舐めるな!」
次に、印を結んで神経を璃桜に集中させる。
「荒れ狂え!」
紐状になって璃桜を縛っている霊力。その霊圧が一気に上がった。
印を組んでいる千景の手はガクガクと震えている。千景も、ここまで高い霊力を放出したことはない。下手をすれば、意識を失う。だが、そうなれば璃桜を討つ機会を逃すことになる。
桜緋はニヤリと唇に歪んだ笑みを浮かべた。上等だ。
「ああああぁぁッ!」
想定外な千景の実力に璃桜は絶叫し、全身を走る激痛に悶え苦しむ。
「持ち堪えろ、千景!」
「はいっ!」
桜緋は手に大太刀を召喚し、暴れる璃桜に向かって颯爽と大きく飛んだ。
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