同胞殺しの罪
「同胞殺しは大罪よ。桜緋なら、わかっているでしょう?」
水の精霊、その性質は潔癖だ。
穢れを酷く嫌う。無論、罪も。
水黎の問いかけに、桜緋は感情のない声で応じた。
「わかっている。それを背負う覚悟もできている」
「罪を犯せば、もうこの組合……それどころか、人間に関わることは許されない。それもわかっているの?」
「ああ。人間と関われる程、高位の存在ではなくなるからな。やらかした奴を見た事がないから、何とも言えないが、人格と姿形を奪われるくらいのことは覚悟している」
水黎は、珍しく全員揃っている富士宮兄弟を振り返った。精霊組合の中枢に身を置く、由緒正しい祓い屋の一族。彼らに桜緋を諌めて貰いたかった。長生き故の、後先顧みない暴挙を止めて欲しかった。
部屋の隅に控えた双子は緊迫した桜と水のやり取りを黙って見ることしかできない。
***
璃桜を取り逃がし、双子と桜緋は帰宅した。深追いすべきでないと桜緋が判断したことが大きかったが、何より千尋の消耗が激し過ぎた。そして、残り短くなった大晦日と三が日を家でゆっくり過ごしてから、一月四日に三人で精霊組合を訪ねた。
すると、東京にある精霊組合の本部から悠司と美月が横須賀にやって来ていた。年始の休みで、荘司と美里の様子を見に来ているらしい。
そして、三人は大晦日に起こったことを、その場に居合わせた全員に話し、桜緋が自らの覚悟を伝えたのだ。
「これは私の不始末ゆえの惨事。責任は私がとる。組合の手出しは無用。……璃桜は私の手で仕留める。今度こそ、息の根を止める。これは私がつけるべきケジメだ」
そして、それを聞いた水黎が、震えた声で先程の問いを発したのだった。
桜緋の目は水黎と言葉を交わしても変わらない。どこまでも静かで、冷ややかな殺意と決意を孕んだ目をしていた。
「お願いよ、桜緋を止めて。私は同胞が手を汚すことになるなんて嫌よ」
桜緋の覚悟を嫌でも悟った水黎が半泣きで荘司に縋るも、荘司は無言で水黎を抱き留めただけだ。
「……ねぇ、水黎」
美里が悲しそうな顔をして、水黎の肩に触れる。
「ああなった桜緋は誰にも止められない。貴女だって、わかっているのでしょう?」
「けど!」
「無駄だろう」
硬い声で部屋の隅に立っていた悠司が呟く。
「同胞殺しの大罪。当人が犯すと腹を括ってしまえば、それは生半可な説得では変えられない。……こちら側に、桜緋を止められるほどの言葉を紡げる者はいまい」
「悠司!」
そこに顕現した梅妃が現れ、荘司に縋っていた水黎を自分の胸の中に包み込んだ。梅妃は水黎を抱き締めながら、桜緋に目をやる。
そして、ふっと苦笑した。
「……
重苦しい空気が広がった。
腹を括って揺るがない桜緋の殺気と泣き腫らした水黎の悲哀が霊気の波動となって、室内の霊気を掻き乱している。美月は霊気の重さに目眩を覚えたのか、ぺたんとその場に座り込んでしまった。
「大丈夫?」
「う……うん」
すかさず近くに立っていた千景が手を差し伸べている。千尋も何かしなければと思い、ここに来る前、たまたまコンビニで買ったグミの袋を取り出した。
「食べる?」
「ありがとう」
こんなに重い話は子供には辛いだろう。富士宮家の人間とはいえ、美月はまだ小学生だ。霊気の変化にも敏感で、とても影響されやすい。
すると、美里がそっと桜緋を振り返った。
「桜緋。手出し無用って言ってたけど、手出しはさせてもらうわよ」
「美里……」
「精霊組合としても、ここまで大規模な事態が発生していながら、何もせずに傍観しているわけにはいかないの。少しは手を出さざるを得ない」
厳しい口調でそう言った美里は、ふっと表情を和らげた。そして、ゆっくりと告げる。
「……私達は貴女の覚悟を尊重するわ。だから、協力させてちょうだい。貴女一人に同胞殺しの大罪、背負わせはしない」
美里は室内を見渡し、その場にいる皆の顔をぐるりと確認する。
「ここにいる皆で、桜緋に力を貸しましょう。いいわよね?」
皆が一斉に頷くのを、桜緋は目を丸くして見ていた。信じられないと言いたげな桜緋に、千尋が笑って声をかける。
「皆、桜緋の仲間なんだよ。一緒に璃桜を倒すんだ」
「……悠司までもが手を貸してくれるとはな。お前は組合の長だろう。立場的な問題はないのか?」
桜緋がそう聞くと、悠司はあっさり肩を竦めて答えた。
「璃桜の暴挙は組合としても静観できない。璃桜に相当の実力があるなら、俺が手を貸すのも道理だ」
「組合の
「まさか。桜緋といえば、組合でも名の知れた精霊の古株。そして、今回の相手は、その弟。となれば、俺が動くことに反対する奴はいない」
「そう簡単なものか?」
「案外、簡単なものだ」
桜緋は面倒臭そうに顔を顰めていたが、千尋は意外に思って瞬きした。
「桜緋って、組合の本部でも有名なんだ」
「そうよ。お兄ちゃん知らないの?」
千尋から貰ったオレンジ味の飴を頬に入れた美月が答える。
いつも悠司と本家で暮らしているため、年齢に似合わず、精霊に関する細かい知識が頭に入っているのだ。
「桜緋。生まれた時期は誰も知らない、桜の精霊。原初の精霊の一人と噂されるも、真相は闇の中。気難しい性格で、扱いには難儀する。人間に対して好意的で、協力的であることが救いである。……これが、組合の中で言われてる桜緋の概要。千尋が現れるまでは、全国のどこにいるのかもわからなくて、本当に神出鬼没だったみたい」
「へぇ……」
千尋の知らない、世間一般から見た桜緋の姿だ。
不愉快そうな顔で悠司と話をしている桜緋。美月の言ったような近寄り難い人物像が、本来の桜緋の有り様ならば、自分に見せている桜緋は珍しい一面と言える。
すると、いつの間にか美里や悠司の傍から離れて、部屋の隅である千尋達の傍に寄ってきた荘司が、桜緋には聞こえないよう双子に耳打ちする。
「桜緋はこの一年で随分と変わったよ。前から面識がある俺としては、羨ましくて仕方ないくらいだ」
「どういうことです?」
千景は胡乱げだったが、二人の関係性を知っている千尋は曖昧な苦笑を浮かべた。
「あぁ……そういえば、荘司さんって桜緋を仲間にしようとして振られたんですよね……」
「そうだよ……あんなめげずにアタックした俺を、桜緋は無表情で袖にしたんだよ……!」
「それは貴方がしつこかったからでは……」
「千景君、だったかな。君、千尋君と違って、なかなか痛いところを突くね」
「荘司さん、それ遠回しに僕のことディスってませんか」
「お兄ちゃん達、仲良しだね」
飴を舐めているせいか、くぐもった声で美月が三人のやり取りを総括する。
荘司はぷっと吹き出して、妹の頭を撫でた。
「そうだよ。お兄ちゃん達は仲良しなんだ」
そして、双子を振り返る。
「きっと、君らは俺達が止めても、桜緋と一緒に行くと言うんだろう?」
「荘司さん……」
荘司はそっと笑う。
今更、止めやしない。ただ、言えることは。
「富士宮家の霊能者総出で手伝うんだ。絶対に、失敗はさせない。……皆で戦おう」
最後の言葉に秘められた戦意を感じ取った双子は力強く頷いて応じた。
「はい!」
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