依代と復活

染め上げられた依代

 再び電車に乗り込んだ千尋と千景は、終始無言だった。

 精霊組合に相談するつもりが、結局桜緋が全て引き受ける形に纏まってしまった。組合に行くまで桜緋はずっと隠形していて、何か考えているような気はしていたが、まさか今回の事案は全て自分の責任だと土下座するとは思わなかった。

 しかし、桜の精霊としては、この事態は大失態なのだろう。しかも、初めてじゃないとくれば、桜緋が自分で責任を取ると言い張った気持ちもわからなくはない。

 千尋はそっと千景を見た。千景は無言で流れゆく景色を眺めている。

 電車に揺られるなか、隣に座る双子の片割れは何を思っているのだろう。

 千尋は、組合で桜緋が美里に説明した今回の作戦を思い出した。


 ***


「私を餌にする」

「桜緋を、餌に?」


 美里が目を見開いた。

 自らを生き餌に瘴気を呼び寄せるというのか。しかし、今回の規模を考えると、その策は無謀に聞こえる。


「けれど、瘴気の規模が尋常じゃないわ。桜緋の方が瘴気に呑まれる可能性が高い」

「わかっている。だから、この二人を付けている」


 桜緋は千尋と千景を交互に振り返り、そして美里を見据えた。


「私の手伝いは二人もいる。しかも千景に至っては弓を扱う霊能者だ。千尋の実力も上がってきている。二人が瘴気を攻撃し、私一人で片付けられる所まで弱らせてもらう。弱ったところを私が叩く」

「待って待って。二人にそこまでやれるの?」

「やれる。私の目に狂いはない。二人は十分、実力がある」


 美里は桜緋から視線を外し、傍らに控えている千尋と千景を交互に見た。


「……って、桜緋は言ってるけど、本人達はどう思っているの?」


 千景は即答した。


「この瘴気のせいもあって、体の調子が良くないんです。早く片付けるためなら、桜緋さんのアシスタントくらいやってみせます」

「こちらは心意気十分。じゃあ、こちらは……」


 千尋は桜緋の発言に驚いていた。

 幼い頃から霊力の扱いについて鍛錬してきた千景ならともかく、最近ようやく霊力を扱えるようになってきた自分を戦力扱いするとは。


「千尋君は、平気なの?」


 美里が念を押すように問い掛けてくる。

 千尋は桜緋の言葉を耳の奥で繰り返しながら、力強く頷いた。


「……やれます。桜緋がやれると言ったなら、やれるはずです」


 桜緋は唇の端を吊り上げて不敵な笑みを浮かべていた。


 ***


 桜緋の指示でやってきた場所は学校の前だった。

 大晦日である今日、学校は閉鎖されている。職員も出勤していない。学校の周りには誰もいなかった。

 ただ、学校の前をぐるりと囲むようにして桜並木が続いている。ここの桜並木も例外に漏れず、枯れて瘴気を噴き出していた。


「……やはり、ここが一番濃いな」

「やはりってことは、予想出来ていたのですか?」

「ああ。私は桜という概念と深い繋がりがある。私の単なる直感も、案外真相を見抜いていたりするものだ」


 桜緋は二人を振り返った。その瞳には、普段とは異なる張り詰めた緊張感があった。


「始めるぞ」


 二人が頷くと、桜緋は何気ない足取りで木に近づき、陰気で黒く変色した幹に触れた。

 桜緋が触れた刹那、辺りの桜から一気に瘴気が爆発した。


「っ!」

「桜緋!」


 千景はここに来る途中で自宅から取ってきた弓を構え、千尋も木刀を振り上げた。

 吹き荒れる瘴気が形を持ち、数々の邪気を生みながら狂い、暴れる。

 それらをどうにか双子が退ける。


「っ……これは、なかなか」

「桜緋、これ無茶だよ!」


 霊力を矢にして放つ千景と霊力を刀身に込めて殴る千尋。どちらも奮闘してはいるが、相手の数が多すぎる。


「桜緋!」


 千尋が目の前に迫った瘴気の塊を切り裂いて顔を上げると、木の幹に触れた桜緋の姿が目に映った。瘴気に触れ、全身が灰色になっている。血の気のない顔からは表情が見えず、桜緋がどんな状態なのかわからない。

 瘴気と連鎖的に生まれる邪気に煽られていても桜緋は応じることなく、ただぼんやりと虚空を見ていた。桜の方に呑まれてしまったのだろうかと千尋は不安に思うも、次の瞬間、それは違うと悟った。

 桜緋の髪が瘴気の風に煽られて大きく乱れた。その隙間から見えた桜緋の目元。桜緋は、虚空を見上げて泣いていた。


 ***


 桜緋は泣いていた。

 桜から伝わってくる負の念は、身と心に深く突き刺さり、桜緋に否応なく涙を流させる。そして、伝わってくる念の中には、身を焦がすような嫉妬と憤怒も混ざっていた。


「……っ」


 怒っている。桜が、怒りに狂っている。桜達が、桜緋を責め立てる。

 心をズタズタに切り裂く負の念に、桜緋は呑まれまいと歯を食いしばった。

 やはり、そんな気はしていたが、これは自らの行動が招いた事態だ。決して被害者面をしてはならない。いつかこういう日が来るかもしれないと薄々感じながら、自分はあの選択をしたのだ。

 桜緋の口が微かに動く。誰かを呼ぶように口が動いたものの、そこから声が発せられることはなかった。


 ***


 千景は、どうにか頑張っている弟の背中を見ながら、自分の獲物を射抜いていた。

 暴れているせいで胸元から出てきてしまっている御守りは、弟を人間たらしめている封印の証。そんな状態になるまで弟が無理をし重ねてきたということが、千景は赦せなかったし、何より弟を人ではない存在に変貌させてしまった桜緋への怒りは消したくても消せなかった。

 弟は自分が守ってやる存在だった。それが、少し見ないうちに変わっていた。

 成長しただけなら、千景は手放しに喜んだだろう。しかし、現実は違った。桜緋という精霊の少女と歩んできた千尋は、彼女との間に結ばれた強い因果に引き摺られつつある。

 弟がこのまま精霊になってしまったら。

 視線の先で千尋の胸元にぶら下がっている御守りが揺れている。

 千景は頭の奥がジーンと痺れるような感覚に襲われた。胸の奥の方から苛立ちと怒りとが、ぐちゃぐちゃに混ざって込み上がってくる。


「っ」


 怒りのまま、矢を放つ。

 何故、こんなに気が立つのだろう。

 桜緋と共に在りたいと思っているのは千尋自身だ。自らが変わってしまったとしても、千尋は桜緋を責めるような真似はしないだろう。だから、自分は千尋の意思を尊重しようと、そうしようと決めたはずなのに。

 何故、こんなにも腹が立つのか。


『それは桜緋が悪いとわかっているから』


 違う、桜緋だってこうなるとは知らなかった。桜緋が一番、千尋に起こってしまったことに責任を感じ、どうにかしようと思っているはずだ。


『だけど、桜緋は何もしていない』


『桜緋は千尋を堕としただけ』


『兄として、弟に害をなす存在は赦せないだろう?』


『桜緋が憎いだろう?』


 耳にまとわりつく、いくつもの声。


「千景!?」


 千尋の叫び声。こちらに手を伸ばしている。

 どうした。気を緩めたら、呑まれるぞ。

 桜緋も千尋の声に反応して、こちらを振り返っていた。涙に濡れた顔が驚きに染まっていく。


「千景、お前……!」


 千景は自分を見下ろした。

 自分の身体に、瘴気と陰気、邪気が纏わりついている。


 ああ。

 呑まれたのは、俺か。

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