瘴気

 本当に、この子は強くなった。

 桜緋と千景は同時に、そう思った。

 自分に自信がなく、ついこの間まで桜緋に守られていることが当たり前だったのに。こんなにも、強かな目をするようになったとは。

 思わず二人は顔を見合わせ、千景が苦笑して桜緋に礼を言う。


「貴女のおかげで弟は随分と変わったようですね。前世からの因果が影響しているせいかもしれませんが、それでも感謝しています。……男らしくなったものだ」

「いや、も生きていた頃にこんな台詞を口にしたことはなかった。これは確かに、千尋個人の成長だよ。それに、私は霊力を扱うすべを教えただけであって、道徳教育などしちゃいない」


 千尋は二人が何を言っているのか、いまいちわからず、きょとんと小首を傾げた。


 ***


 心地好い。

 じっとりとした陰気が広く、濃密に充満していく。

 霊気が暗く、重く、毒々しくなると共に、満足感が溢れてくる。

 もう少しだ。もう少し霊気が澱めば、自分は受肉できる。

 しかし、いきなり実体化するのは流石に無理だ。やはり、ひとまず依代に入り込む機会を窺うとしよう。


 ***


 まず、三人は近所の桜並木までやってきた。

 桜緋の言った通り、桜の木々は幹も枝も灰色に変色していた。


「酷い……」


 千尋が小さく呟くも、道を行く人は桜並木に目を向けることなく、淡々と往来を繰り返している。なんせ、ぱっと見たところで木々が枯れていることなんてわからない。ましてや、今は桜が咲く時期でもない。寂しい冬の桜に目を止めるような人は誰もいなかった。


「しっかし……澱みが酷いな、ここは。俺の霊力すら餌にする気か」


 千景は澱みきった霊気に自らの精気が吸われているような気がして、嫌悪感に顔を顰めた。

 桜緋は青白い顔で桜を見上げ、か細い声で言った。


「……枯れた桜から瘴気が噴き出している。陰に傾きすぎている霊気は均衡を保つため陽気を欲する。お前たちのような健全で霊力の強い人の子は、格好の餌食ということだ」

「それってまずくない?」

「いや、千尋。まずいことはないさ。邪気相手なら抵抗すべきところだが、今回はこの土地の霊気が助けを求めて、霊力に満ちた人の子に縋っているに過ぎないからな。霊気は邪気のように、殺すまで吸いやしない。ある程度吸ったら止めるだろうから、少し我慢してやってくれ」


 むしろ、と桜緋は自嘲気味に笑う。


「お前達の霊気で澱みをマシにしなければ、私は瘴気を生むほどに穢れてしまっている桜に引き摺られて死ぬ」

「そう簡単に死ぬものなのか? 永久の時を生きるとされる精霊が」

「死ぬときは死ぬさ。自らの象徴に精霊は強く影響される。今回の場合、私は良くて死ぬか、悪くて邪気となるか。どっちかだな」

「どっちかなんてこと、ないよ」


 桜緋の言葉を千尋は真っ向から否定した。


「だって、僕達が事態を解決すれば、桜緋は死ぬことも邪気になることもないから」


 千景はそれを聞いて、思わず吹き出した。

 千尋がむっとして兄を睨む。


「なんだよ」

「いや、別に馬鹿にしてるとかじゃなくてな……お前は、どこまでも真っ直ぐな答えを出すんだな。こんなにも霊気が澱んでるのに、お前の思惟は全然影響されていない。大したもんだ」

「そう言う千景だって同意見だろ?」

「まあな。だが……少し前のお前なら、この澱みに呑まれて自己を失っていただろう。強くなったな」


 千景から褒められるというのは、むかつくような、気恥ずかしいような、照れ臭いような、変な気分になるものだった。


「……とにかく、これだけ大事おおごとなら、組合も動いてるはずだよ。支部に行こう」

「そうだな」

「同感だ」


 千尋に二人が同意し、そのまま駅へ向かった。


 ***


「桜の瘴気が霊気に陰の偏向を生んで、結果的に邪気が湧いてくる……碌でもないわ!」

「おい、和葉。復帰戦から突っ走るんじゃねえよ。もしものことがあったとき、介抱すんのは俺なんだからな?」

「ふん! もしものことなんて、あるわけないでしょ!」


 組合の非常招集で掻き集められた組合員。命じられたのは桜が瘴気を生んでいる原因の調査と、それに共鳴して湧き上がる邪気の掃討だった。

 受験が終わり無事進路が確定した和葉は、今回の件から組合の活動に復帰することとなった。


「っ、鬱陶しいわね! あんた達の相手するだけが今回の仕事じゃないのよ!」


 太刀で邪気を切り裂き、和葉は霊力を刀身に注いだ。


「さっさと、失せろ――――!」


 刀身から霊力の閃光が迸り、辺りの邪気を一気に消滅させた。

 楓雅は爆風を全身に受けながら、そっと息をついた。受験のために休業して少しは大人しく戦えるようになったかと期待していたが、むしろ長期の休業で鬱憤が溜まっていたのか、憂さ晴らしと言わんばかりの大暴れである。


「和葉!」

「このくらい大丈夫よ!」


 崩壊する異空間を見上げ、和葉は手に持った太刀を器用にくるりと回して消し去った。彼女の因果が齎した太刀は、彼女の霊気ととてもよく馴染んでいる。霊気として体内に保管していても、何の不調も起こらない。


「それにしても、何が起こってるのか説明してもらいたいわね」


 誰に、とは敢えて言わなかった。

 楓雅も聞かずとも、和葉が誰のことを言っているのかくらい察している。


「そうだな」

「そろそろ組合に顔出してる頃かしら。一旦戻りましょう」


 和葉はそう言って踵を返した。

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