疲弊

 着物の変色もそうだが、桜緋は顔色も悪かった。いつもは陶器のような滑らかさと透明感のある艶々とした乳白色の肌をしているというのに、今の彼女の肌は灰色のような暗い色味にしまっている。まるで、冬の曇天のようだ。


「桜緋、大丈夫? 霊気、要る?」

「いや……問題ない……案ずるな」


 部屋に入ってきた桜緋は、どうにか気丈に振る舞おうとしている。けれど、動作が酷く重い。億劫そうに床に手をついて、へたり込んだ桜緋は、どう見ても問題があるように見えた。

 すると、千景が桜緋の前に膝をついて顔を覗き込んだ。千尋の位置からは千景がどんな表情をしているのか見えなかったが、その声は酷く淡々としていた。


「今日は俺もいます。そんな無理して気を張っても、貴女が辛いだけですよ。俺達を頼るってことをして下さい。こういう状況のときは特に。……千尋、左手持て。俺は右手から」


 千景の指示に従って、千尋は桜緋の左手を握った。千景が右手を掴むと、桜緋は限界を迎えたのか脱力して、その場に横になった。そして、瞼を落とす。

 二人の霊力を吸収し、桜緋は一先ず回復を始めた。といっても、これは本人の意志というより、弱ってしまっている肉体が本能的に霊力を欲しているのだろう。二人分の霊力を吸収しても、桜緋はしばらく目を覚まさなかった。かなり消耗していることが察せられる。


「桜緋……」

「……ここの霊気を祓うか」

「え?」

「この地域一帯の霊気に桜の気が混じった澱みが生じている。それに桜緋が影響されていると考えれば、ここの霊気を清浄にすることが彼女の回復にはいいだろう」


 そう言って、千景は部屋から出ていき、隣の自室から弓具を持ってきた。


「何する気?」

「まあ見てろ」


 千景は弓の弦を摘んで放し、びいいんと鳴らした。それを何度か繰り返すと、部屋の中だけ霊気が軽くなったように感じた。


「鳴弦には破邪の効果がある。応急処置としては妥当だろう。……げほっ、げほっ」


 千尋は咳き込む千景のことも心配だった。もしかしたら、千景は自分ではなく、この澱みの影響を受けているのではないだろうか。


「……う」


 そのとき、桜緋が目を覚ました。先程よりは顔色が明るくなっている。


「桜緋!」

「千尋……?」

「ご気分は如何ですか」

「千景……前から思っていたが、お前は私に対して何故そんなにへりくだる?」

「俺は千尋と違って、貴女がお気に入りの魂を持ち合わせていない。どこぞの人間の転生に、双子であったが故に巻き込まれてしまっただけの人間ですから。貴女に砕けた態度で接することが許されているとは思ってませんよ」

「千景、そんな言い方ないだろ」


 兄の棘のある言い方を咎めるも、桜緋はさして気にしていないようだった。


「いいんだ。私も千景とは、そこまで距離を縮めたいと思わない」

「桜緋まで!」

「特別なのはお前だけなんだよ、千尋。それに、俺は別になんとも思っちゃいない。事実を受け止めているだけで、桜緋に対しても慇懃に事実確認をしただけさ」

「ああ。だが、千景。申し訳ないとは思っている。今更だが、私事に巻き込んでしまって、すまない」

「構いませんよ。生まれつきのことですし、仕方ないというか、慣れたものです」


 千尋は溜息を吐き出した。

 双子なのに、こうも違うとは。なんで仲良くできないのだろう。


「……桜緋。いったい何が起こってるんだ? 霊気が澱んでるし、桜緋は消耗してるし」


 とりあえず、話を変えて微妙な空気をどうにかしようとする。

 桜緋はすっと窓の向こうに視線をやり、俯いて瞼を落とした。


「……桜が、枯れている」

「え?」

「原因はわからない。だが、桜が枯れ、それによって生まれた澱みが一帯の霊気の均衡を乱している。そして……おそらく、私もそれに影響されてしまっている」


 桜緋は疲れ切った表情で外を見やった。

 突如桜が枯れるという事態は、永い時を生きてきた中で何度か経験してきた。その原因は様々で、邪気の影響や気候の変化、異常はもちろんのこと、人為的な呪術の行使によることだってあった。

 しかし、今回はどうも自分が当事者のような気がしてならない。枯れていく桜に自分が影響されているとは思えなかった。影響されていると口にしながらも、桜緋は内心でそれすら疑っていた。


「……だが、なぜ桜だけなのか」


 千景がぽつりと呟いた。

 千尋と桜緋が振り返ると、千景は桜緋の話を聞いて思案しながら、考えていることをぽつぽつと口に出していく。


「原因が邪気にしても、気候にしても、人為的なものにしても……どうして、桜だけが枯れているんだ……? これらが原因であるのなら、自然の理に属するもの全てに影響が出ていてもおかしくないだろう。なぜ、桜だけ……」


 千景の指摘は鋭かった。確かに、桜だけというのは限定的すぎる。

 千尋は少し考えて、提案した。


「……じゃあ、見に行けばいいんじゃない?」


 桜緋が瞬きする。


「外にか?」

「そう。部屋で考えてるくらいなら、実際に見て回った方がいい。近所の桜の様子を見て、そのあと組合に行こう。あそこは精霊がたくさんいるし、他にも影響が出ているか確かめられる」


 すると、千景が千尋の考えに苦言を呈した。


「けど、今すぐに桜緋をここから動かすのは得策じゃないだろう。せっかく回復したのに、また消耗させる気か? もう少し桜緋の回復を待ってからの方がいいだろう。桜緋が万全じゃなければ、もしものとき俺達だけで対処することになるんだぞ。わかって言ってるのか?」


 もしものとき、というのは邪気と遭遇した場合のことを言っているのだろう。しかし、千尋は平然と言い返した。


「その場合は僕達が対処すればいい。だって」


 時を同じくして生まれた兄を真っ直ぐ見つめる千尋の瞳には、はっきりとした意志が映っていた。


「桜緋はいつも僕達を含めた多くの人々を救っている。なら、こういうときこそ。その恩を返すべき。そうだろう?」

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