封印

 千尋は自分がなにをしているのか、よくわかっていなかった。

 ただ、目の前のものを斬る。斬り捨てたら、次の獲物を嗅ぎつけて、駆け出して、見つけ出して、また斬る。その繰り返し。

 それが自分のあるべき姿だと思うし、自分に対して特に違和感もない。

 けれど、ふと脳裏にちらつくものがある。

 自分には、他の姿があったのではなかろうか。

 そんなことを思っても、目の前で人間に害なす異物を狩る方が余程重要だと感じてしまうのだった。

 邪気の断末魔を何度も聞き、身体を邪気の肉片と瘴気に塗れさせる。今の千尋は精霊の本能に大人しく従う他なかった。


 ***


 ちょうどいいと思っていた憑代が消えた。

 邪気と人の魂の混沌は存外使いやすいと思っていたのに。

 祓ったのはあいつらか。相変わらず、余計なことばかり。

 まあ、良しとしよう。もっと適任な人間が入りやすい状態になっている。

 完全になるまでの間、その身を貸してもらうとしよう。


 ***


 桜緋と石哉は千尋の霊気を辿って、とある異空間に飛び込んだ。

 異空間に入った途端、肉が腐る強烈な臭いと鮮血のように撒き散らされる陰気と瘴気が、どっと二人に襲いかかってきた。胃のむかつきが起きる程の戦の臭いだった。

 桜緋が思わず着物の袂で口元を押さえ、目の前で跳躍しては邪気に刃を叩き込んでいる千尋を見上げた。


「千尋……」

「驚いたな」


 石哉もここまで変化しているとは思ってなかったらしく、呆然と千尋を見上げている。


「あの千尋が、ここまで染まったのか?」

「あの子は元々、霊的に不安定な子だ。私との因縁のせいで、魂に特殊な性質を持っていた」

「邪気を引き寄せる性質か」


 桜緋は苦しげに顔を歪めた。


「ああ。恐らく、その性質が極まった結果があれなのだろう。私と出会ってからは、邪気や精霊と多く接してきた。それも相まって、千尋は私達の側に寄ってしまった……私の責任だ」


 桜緋の発言に石哉はギョッとして食いついた。一体何を言い出すのか。


「待て。これはお前の責任などではないだろう。魂の性質は生まれつきの持病のようなものだ。お前が言っていることは、健やかな子を産めなかったと嘆く母親のそれと同じだぞ。これは、どうしようもないことで……決して、誰かのせいではない!」

「あの子の性質は私との前世からの繋がりに起因する。……私のせいだよ」


 桜緋は頑なだった。

 石哉はこれ以上言ったところで無駄だと悟り、口を閉ざした。ただ、千尋を見つめる桜緋の瞳に映る色が気になった。

 まさかと思い、石哉は一言釘を指した。


「阿呆な事は考えるなよ」

「……大丈夫だ。そこまで自分を追い詰めちゃいない」


 千尋を普通の人の子にしてやるためなら、自らが消えることすら厭わない。

 そんな歪んだ覚悟が瞳の奥から透けて見えた気がしたのだが、意外にも桜緋はその指摘を否定した。

 しかし、石哉は桜緋の中にある危うさは間違いなく彼女を捕らえていると確信していた。桜緋は千尋のためなら、自らが犠牲になることを厭わないだろう。


「ひとまず、あの邪気を祓おう。そうすれば、千尋の動きも止まる」

「わかった」


 石哉が手の中に霊気を集中させて短刀を出した。桜緋も桜の花弁を身に纏う。

 そこで、石哉はふと疑問に思った。


「桜緋」

「何?」

「あれは千尋として扱えばいいのか?」

「……どういう意味だ?」

「言い方が悪かったか。人間として接すればいいのか、精霊として接すればいいのか、ということだ」

「ああ……」


 確かに、今の千尋は人間ではなくなってしまっている。下手に守るような真似をすれば、敵意を向けられる可能性も否めない。


「……見てみろ」


 千尋が邪気に飛びかかる姿は精霊の動きそのものだ。人間のときのような迷いや恐怖といった躊躇いの要素は一切見られない。


「一人前の動きをしている。相応の扱いをする方が得策と思う」

「了解した」


 石哉が一足先に邪気に突っ込んでいく。

 その気配を察知した千尋が警戒感を滲ませたが、石哉は短刀で邪気の触手を素早く切り刻みながら叫んだ。


「これは中々の大物と見た。無粋は承知。助太刀させてもらう!」

「……助かる」


 抑揚のない淡白な返答は千尋のものとは思えない。やはり、今の千尋はいつもの千尋ではなかった。

 桜緋も同じように邪気に接近して、体術を叩き込む。

 三人がかりで攻撃された邪気はすぐに動かなくなった。そこを千尋が斬り付ける。


「ハッ!」


 見事な太刀筋に石哉は呆気に取られて声も出ない。普段の千尋からのギャップが凄まじい。千尋は精霊化――人間の霊気が精霊のものに変質することの仮称――してから、まるで別人のような言動をしている。霊気が変わると人も変わるということだろうか。

 霊気はその人の個性も表している。よって、それが変質してしまうと、人となりも応じて変わってしまうのかもしれない。

 ひらりと邪気を斬った千尋が着地する。すると、異空間が崩れていった。

 程なくして千尋がまた別の方向を見上げ、眉間に皺を寄せた。また、どこかの邪気の気配を感じ取ったのだろう。感覚を研ぎ済ませれば、精霊は常に邪気の気配を感じ取ることができる。


「……」


 隠形しようとした千尋の腕を桜緋が掴んで止める。

 千尋は不快感を隠さず、桜緋を睨み付けた。


「……助太刀には感謝している。だが、何故止める」

「お前がそうなっているのは私のせいだ。頼む、本来の姿に戻ってくれ」

「本来の、姿……」


 石哉が荘司から預かってきたものを千尋の首にかけてやる。

 見た目は、ただの御守りにしか見えない。しかし、首から下げると荘司の施した術が発動した。

 千尋の変質した霊気が術によって、人間のものへと修正されていく。


「……」


 術で霊気が元に戻ると、千尋はそのまま意識を失った。

 桜緋が瞬時に腰をかがめて、倒れた千尋を肩に担ぐ。


「……ひとまず、自宅に連れて行く。石哉、組合に事の次第を伝えておいてくれ」

「了解した」


 了承した石哉はすぐに隠形して去って行った。

 先程までの反動なのか、ぐっすりと眠っている千尋の寝息を感じながら、独りその場に残った桜緋は、薄暗い路地裏で小さな溜息を吐き出した。

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