手の中に
桜緋は少し苦戦を強いられていた。
「なんだ、このっ……しぶとさは!」
久々に大物が当たった気がする。桜緋は太刀を顕現し、思い切り斬りかかった。
邪気を斬ったとき、桜緋は断面から漂ってきた臭いにハッとした。自分は、この臭いをよく知っている。
それが隙となり、触手を斬られて激昂した邪気に体当たりされてしまった。
油断していた桜緋は思い切り吹き飛ばされ、岩肌に強か背中をぶつけた。衝撃で息が詰まり、手に持っていた太刀は勢いで手から離れ、宙を舞って霊気となり霧散する。
「ガハッ……!」
脳が揺さぶられるような感覚に吐き気を覚えるも、桜緋は口の端から垂れた唾液を指で拭った。岩にめり込んだ肉体を捻って、どうにか抜け出る。
「それにしても、あの邪気……」
桜の香りを孕んでいた。
腐敗臭の中に嗅ぎなれた品のある香りが混じっていた。
「春先にも似たようなことがあったが……」
肩がおかしくなったらしく、ミシミシと鳴らしながら桜緋は邪気の様子を観察する。
春先に現れた桜よりも濃度が高い気がする。唐突に現れた邪気にしては、瘴気があまりに濃い。
「兎に角、今はこいつを祓っておかないと」
調査はそのあとゆっくりやればいい。
そう思って、桜緋は再び太刀を召喚しようとした。しかし、それはできなかった。
邪気が一瞬で、一刀両断にされたからだ。
「なっ……!?」
邪気が呻きながら倒れていく。消えていく邪気の巨体。その向こうに見えた人影。
「……千尋?」
千尋だ。言うまでもない。この異空間に取り込まれたのは自分と千尋の二人だけ。けれど、千尋は眠っていたはずだ。それに、起きていたとしても、こんな芸当ができる奴ではなかった。
千尋の目は据わっていた。まるで、千尋ではない何か……戦の神が千尋の中に乗り移ったかのような、激しい殺意を孕んだ目をしていた。邪気を憎む姿勢は、そう。精霊のような……
そこまで考えて、桜緋は驚愕する。
「千尋、お前……!」
霊気の構成が変化している。
人間のものではない。
精霊のものに、変わってしまっている。
「何があった!」
その問いに千尋は答えない。ただ無言で、邪気を切り刻んでいく。
その手に持った刀も、和葉から与えられた木刀ではなく、本物の真剣だった。それが纏っている霊気は、無論千尋のもの。
「武器を、霊気から生成したのか……人間には不可能だというのに……!」
千尋の霊気が不安定だった理由がようやく明かされた。桜緋はそう思った。
霊気が変質してしまっていた。
その理由はまだわからない。けれど、桜緋は呟いた。
「……私のせい、か?」
そもそも、千尋と千景の双子が霊的に強い存在に生まれてきたのは、桜緋との前世からの繋がりが原因だった。その繋がりを作った者が千尋の前世である義行であったとしても、生まれ変わりである千尋達は、それに巻き込まれただけだ。彼らは言わば、被害者だ。
桜緋という精霊と義行という人間が結んでいた
その末路が、これだというのか……?
目の前の光景だと言うのか……?
千尋の目には、普段の少し内気で、それでも健気に頑張ろうとする素直な光がない。あるのは、淡々と邪気を刈り取る本能だけ。
精霊としての本能に従って、千尋はひたすら目の前の邪気を切り刻んでいる。
「千尋もういい、やめろ!」
そう言っても、千尋の顔色は全く変わらなかった。
千尋の手で殆どバラバラになった邪気が小刻みに震えている。
千尋は刀に霊気を込めて、低く呟いた。
「……滅びろ」
ありったけの霊力が爆発し、邪気が消し飛んだ。
異空間が崩れ去っても、千尋は無感情な瞳を桜緋に向けている。
「……千尋、眠れ」
ここは学校だ。この状態の千尋を人目に晒す訳にはいかない。
桜緋は慎重に、千尋に横になるよう促す。
眠らせておけば、その間に荘司辺りを呼んできて処置ができる。
「……」
千尋はふいっと首を巡らせた。
「千尋?」
「……邪気の気配がする」
そう呟いたかと思えば、その姿が掻き消える。
「隠形だと……!?」
霊体化して邪気を祓いに行ったらしい。
「くそっ……!」
桜緋は追いかけるか一瞬迷ったが、千尋の霊気はよく知っている。あとから追跡しても問題ない。ひとまずは、処置をする人間を連れて行かなければ。
桜緋も隠形し、千尋とは反対の方向に向かった。
***
荘司は組合で珍しく事務仕事に追われていた。
「姉さん、これ本当に俺の分だけ?」
他の人の分混ぜてたりしない?
弟の巫山戯た質問に姉は苛立ち混じりに答えた。
「わざわざ混ぜるわけないでしょ。それに、それだけの仕事した自覚はあるでしょうが。毎回ちゃんと報告書出さないからそうなるの」
「けどねぇ……報告書書く暇あるなら祓いに行くべきだと思わない?」
「一理あるけど年末の恒例行事になってるじゃない。一年分の報告書まとめ書き。いい加減、日常的に報告書書きなさい」
「来年からそうするよ」
「どうだか」
そう言う美里も年末の事務処理に追われていてパソコンを叩きまくっている。
そのとき、荘司のデスクの前に桜緋が顕現した。
「荘司、手を貸して欲しい」
「桜緋がわざわざ俺に……珍しいね」
「千尋が重症になっている」
「症状は」
「精霊化」
「は?」
霊気の使いすぎで倒れた程度のことを想像していた荘司は目を丸くした。そんな事例は聞いたこともない。
「千尋が精霊になってしまっている。自我も精霊側に引っ張られて保てていない。本能のまま邪気を払いまくっている。このままじゃ、藤原千尋という人間が消える!」
「わかった、わかったから落ち着いてくれ。何か手を打とう。……しかし、人間が精霊になるって聞いたことが……」
「霊気を補正させるような方法はないか?」
「というと?」
「千尋は霊気の乱れが原因で今の状態になっている。ひとまず、霊気を通常の状態に固定……言わば、封印を施してしまえばその場凌ぎにはなると思う」
「なら話は早い。すぐに向かおう。……石哉」
控えていた石哉が顕現して荘司を見上げる。
「頼んだ」
「は?」
石哉に一つ御守りを持たせて、荘司は立ち上がろうとしない。
「俺はこの通り、締め切りに追われている。ここから離れられない。何かあったら呼んでくれ」
「……わかった」
石哉が渋々と頷く。桜緋も色々と言いたそうであったが、仕方ないかと肩を竦めて隠形した。
ひとまず、千尋を人間として安定させられたら、それでいい。
千尋の霊気を辿って、桜緋達は駆け出した。
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