魂の平衡

 千尋の熱は二日ほど高い状態が続いたが、三日目にようやく三十七度台まで落ち着いてきた。三十七度にもなれば、登校しても問題ないだろうと思った千尋は、家族に心配されつつも、学校に向かった。さすがに、これ以上休むと年明けの学年末試験が厳しくなる。


『大丈夫なのか?』


 家からバス停までの道中、隠形して傍についている桜緋が不安げに尋ねてくるも、千尋はまだ赤い顔で苦笑した。


「大丈夫だって。薬持ってきてるし」

『あまり無理はするなよ』

「うん」


 バスに乗り込めば、千尋は席に着いて息を吐き出した。こんな状態で大丈夫だろうかと不安になるも、今更帰る訳にはいかない。

 千尋は短いバスの時間も目を閉じて過ごしていた。


 ***


 三日ぶりの学校は特に変化もなかった。強いていえば、友達連中が休んでいたときのノートを貸してくれたくらいで、千尋は微熱でまだ本調子とは言えない状態でも、笑顔でノートを写していた。

 昼休みになると、無理が祟ったのか起きていることが億劫になり、机に突っ伏して寝ていた。


「藤原君、辛いなら遠慮しないで保健室で寝た方がいいわよ?」


 女子?

 クラスの女子とはあまり話したことがない。席替えで隣になったとき授業中など必要なときに少し話すくらいで、こんな昼休みに話しかけるなんてことはないはずだった。

 待てよ。千尋は寝惚けた頭で考える。

 この学校にいるではないか。自分とよく話す女子生徒が。


『和葉が来ている。起きてやれ、千尋』


 隠形した桜緋の耳打ちが決定打だ。千尋は倦怠感など忘れて飛び起きた。


「せ、先輩!?」

「何よ、そんな驚いて。失礼な」

「いやいやいや……ここ、二年の教室ですよ!?」

「そうよ?」

「質問してるのはこっちです!」


 そのとき、千尋は自分の背中に視線が突き刺さるのを感じた。主に、教室にいた男子生徒のもの。

 志摩和葉は学校のスターだ。憧れの的だ。男子生徒が彼女にしたいと思う女子断トツトップだ。

 そんな彼女と馴れ馴れしく話していたら、村八分に遭う。


「……はぁ。わかりました。保健室で休みます。けど、どうして先輩がここに?」


 すると、和葉はすっと千尋に身体を寄せて耳元に囁いた。


「状態を確かめに来たのよ。やっぱり霊気が安定してないわね。今後も注意していた方がいいわ」

『わかっている。私ができる限り傍につくから案ずる必要はない、和葉。千尋を気にするくらいなら、級友と残り少ない学校生活を楽しんで』

「精霊にそんなこと言われるなんて思わなかったわ。ありがと、桜緋。……それじゃ」


 そう言って、和葉は颯爽と教室を出ていく。

 そのあと、千尋は保健室に行くまでかなりの時間を要することとなった。


 ***


 クラスの男子連中に締め上げられたせいで、益々調子が悪くなってきた。弁当の後に薬を飲んだというのに。保健室のベッドに横になった千尋は溜息をついた。

 和葉も和葉だ。もっと自分の立場というものを自覚して欲しい。


『いつの世も、人間の男というのは愚かな生き物だな』

「え?」


 桜緋が不快感を隠さず顕現して、ベッドの脇に置かれた椅子の上に座った。


「今も昔も女に欲情しては劣等感を募らせ下らない妄想で穢す」

「桜緋、男嫌いなの?」


 ここまでハッキリと桜緋が人間の悪口を言うのは初めてだった。


「私も霊気を強めてやれば人の目に映る。……まあ、そういう訳で何度か嫌な思いをしただけだ。別に男嫌いを隠していたわけではない。男が嫌いなら、お前とここまで長い付き合いになっていないだろう」

「まあ、そうだよね……」

「もちろん、そんな奴しかいないとは思ってない。千尋のような真っ当な心根を持つ人間も多いことは私も承知している。ただまあ……ああいうのを見るのは嫌なだけ」


 桜緋は布団の上から仰向けになっている千尋の胸元をポンポンと叩いた。


「さ、ひとまず眠れ」

「……わかった」


 桜緋は微かに苦笑した。余計な気を遣わせてしまったか。

 そして、眠る千尋の霊気をじっと見つめた。和葉の指摘通り、数日が経過しても千尋の霊気は安定を欠いたままだ。原因は不明。もしかしたら、風邪が治らないのも霊気の影響があるのかもしれない。


「……っ」


 脳裏に閃光が走った。

 全身に鳥肌が立ち、嫌悪感が身体の芯から湧き上がる。この強い気配、間違いなかった。


「こんなときに湧くとはな!」


 桜緋は大量の花弁を顕現させて臨戦態勢に入った。


 ***


 眠っている千尋も含めて、異空間が展開された。

 ベッドで眠っている千尋はまだ意識を取り戻さない。


「千尋、おい千尋!」


 周囲を警戒しながら叫ぶも、千尋は起きる気配を見せない。


「邪気の影響か、霊気の影響か……どちらにせよ、千尋を守るしかない」


 ベッドを囲むように桜の花が円を描き、邪気を寄せ付けない結界を張った。


「これは千尋の体質が原因の邪気だろうな……久々に引き寄せてくれたものだわ」


 千尋は邪気を惹き付ける。よって、このように唐突に異空間が展開されても何ら驚く必要はなかった。


「……っ、来る」


 邪気の影が姿を現し、桜緋は千尋の周りに張った結界に綻びがないか確かめてから、祓おうと跳躍した。

 邪気と桜緋がぶつかり合う中、千尋は眠り続けていた。近くで衝撃波が起こるほどの衝突が勃発していても、目を覚ます様子はない。

 千尋は深く眠りについていた。自身の不安定な霊気と高濃度の邪気、陰気、瘴気に魂が著しく均衡を欠いている。

 千尋は眠りながら深い夢の中で、とある音を耳にしていた。


(……なんだろう、この音)


 何か……何かが震える音。金属だろうか。重く分厚い扉にかけた錠が、ガタガタと揺れている。

 何かを止めているのか。

 壊れてはいけない。弾けてはいけない。

 直感でそう思った。

 しかし、外から聞こえてくる音に千尋は思う。目覚めなければ。寝ていたら、桜緋は独りで頑張ることになってしまう。自分は彼女の助けになりたい。


「っ!」


 桜緋がやられたのか、声にならない悲鳴を上げた。

 すると、呆気なく扉にかけられた錠は砕け散った。

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