覚醒の冬
暴走
予兆
誰かが呼んでいる。
助けて……
誰かが、呼んでいる。
力を……
僕を求めている。
よこせ!
***
「……ぅ」
目を覚ましてみれば、目の前に母の顔があった。
「千尋。魘されてたけど大丈夫?」
「……母、さん」
「もう起きないと遅刻するわよ。……それにしても珍しいわね。優一は年中寝坊してた子だけど、無遅刻が自慢の千尋が寝坊なんて。無欠席まで揃えば完璧だろうけど、まあそれは優一が達成してたからいいわね」
からからと笑う母に千尋は曖昧に頷いた。
「う、うん……」
顔が熱い。身体が鉛みたいで動かない。
返事をしたものの、千尋は首を曲げることすら億劫だった。
それは母も気づいたようで、眉を寄せながら千尋の頬と額に触れてきた。
「……熱あるじゃない。風邪引いたの?」
「た、多分……」
「仕方ないわね。体温計持ってくるから待ってなさい。あと、学校にも休むって連絡入れておくから」
「ありが、と……」
母が部屋から出ていくと静かになった。
年の瀬で、学校は定期試験終わりとイベント事で浮かれる生徒で溢れている。来週はクリスマス。そして、冬休みの始まりだ。
「……なんだったんだろ、あの夢」
妙に、リアルな夢だった。
***
その日は全然熱が下がらなかった。三十七度後半から三十八度前半を行ったり来たりする体温。
そのせいか、母が心配して店番を放り出し、ちょくちょく部屋に様子を見に来るようになってしまった。これでは家業の営業に支障が出る。
そこで、千尋は近所の内科を受診してみたところ、ただの風邪だと診断された。確かに、最近急に寒さが厳しくなったから、身体が応えたのかもしれない。
解熱剤に咳止めといった典型的な処方を貰って、薬の入ったビニール袋を片手にすっかりクリスマスムードの住宅地を歩く。一戸建てだと庭先や玄関先にイルミネーションをつける家が多い。この辺は特に。
「うち和菓子屋だからイルミネーション似合わないんだよなぁ……」
誰もいないのをいいことにそう呟いたとき、背後から声を掛けられた。
「藤原君」
「志摩先輩!」
和葉に会うのは久し振りだ。和葉は受験生で、祓い屋としての活動は休止して前線を退き、今は受験勉強追い込みの時期であるはずだった。
「お久し振りです」
「久し振りね。楓雅から色々と話は聞いてるけど、こうやって話すのは何ヶ月ぶりかしら」
そのとき、千尋はハッとした。
受験生の前に発熱中の風邪っぴき。まずい。これはまずい。
ザッと一歩後退る。
「藤原君?」
「そ、その……このマスク見ればわかると思うんですけど、僕今風邪引いてて、熱もあって……先輩に
「えっ、大丈夫なの出歩いて」
「病院の帰りなんです!」
「なるほどね。引き止めてごめんなさい。見覚えのある背中だったから、つい声掛けちゃって」
「い、いいえ。僕の方こそ、先輩に伝染しちゃったらと思うと」
「ああ。それはいいの、いいの。まぁ、風邪引くのは普通に嫌だけど、受験生ってことで気にしてるなら、それは不要な心配よ」
「へ?」
和葉はクスクスと笑い、口調を改めて告げた。
「志摩和葉。第一志望大学に公募推薦で無事合格致しました」
「え……」
「やってみる価値はあると思って、物は試しでやってみたら受かっちゃったのよ。だから、私はもう脱受験生済み」
「お、おめでとうございます!」
「ありがとう。そういう訳だから藤原君は何も気にしないで早く家へ……」
不意に和葉の瞳が細められる。
「せ、先輩?」
「……藤原君。どうしたの、それ」
「な、何がですか?」
「自覚ない?」
「な、何のことだかさっぱり……」
和葉は表情を険しくし、厳しい口調で警告した。
「霊気が酷く乱れているわ。早めに桜緋や組合の人間に見てもらった方がいい」
「えっ……」
「何なのかしら……何かの後遺症って訳じゃないのよね……上手く言えないんだけど、バランスが悪いっていうか……風邪のせいって言うには……」
和葉はそこまで言ってから、ハッと我に返ったように瞬きして、取り直すように微笑み、兎に角お大事にと言って去っていった。
***
家に戻って昼食を摂り、薬を飲んだら眠くなったので、千尋はまたベッドに横たわった。
それにしても、和葉から言われたことが気になる。
「……霊気の乱れ、か」
原因として思い当たる節はある。秋の一件で霊力を一気に消費した。そのため、千尋は最近、桜緋に霊力の補填もしてやれない状態に陥っていた。あれの影響で調子が狂っていると考えれば、頷けるものだが。
「それなら先輩も指摘しないと思うし……」
秋の一件については、楓雅経由で和葉にも話が行っているはずだ。秋の一件が原因なら、わざわざ和葉が指摘してくることはないだろう。きっと何か他の原因がある。
「……駄目だ。熱で思考が回らない」
薬を飲んでも、まだ熱は下がっていない。
千尋は大人しく思案をやめて、目を閉じた。
***
とめどない夢を見た。
誰かが嗤う。
誰かが泣く。
誰かが叫ぶ。
僕は、それを他人事のように眺めていた。
***
目を開けたとき、目の前にいたのは母ではなく、桜緋だった。
「目覚めたか」
「桜緋……」
桜緋がこちらに手を伸ばし、細い指で目元を拭ってきた。
「眠りながら泣いていたぞ。嫌な夢でも見たのか?」
「……哀しい、夢だった」
「ほう?」
「誰かが戦ってた……けど、僕はそれを見てることしかできなくて……何でだろ、戦ってる人達もすごく辛そうだった……」
「……そうか」
桜緋は何か言いたげだったが、何も言わずに相槌だけ打った。
「……桜緋はなんで?」
「和葉から聞いた。お前が熱を出して寝込んでいると。それと」
「霊気のこと?」
「そうだ。確かに、乱れが見られるな。……すぐに何か起こる訳ではなさそうだが、何かしたか?」
「僕は、何も……思いつくのは、城ヶ崎の一件くらいかな」
「まあ、熱を出していて考え事は身体に悪い。ひとまず、熱が引くまでは何も考えずに休め」
「うん……」
「また嫌な夢を見なくて済むよう、私はここにいる」
「……うん」
目を閉じた千尋が再び寝息を立て始めてから、桜緋はベッドの近くにある机の端に腰掛けて、窓の向こうに目をやった。曇天の空は碌でもないことを予感させる不穏さを孕んでいる。
「……嫌な夢、か」
霊力の強い人間が見る夢は正夢になりやすい。そうならなければいいが。
桜緋は脳裏に浮かんだ仄暗い未来を打ち払わんばかりに、眉間に皺を寄せて頭を振った。
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