温かい心

 ずっと、夢を見ていた気がする。

 酷く、恐ろしい夢だった。

 見知った先輩が叫び、自分は泣きじゃくり、数人の女の人が鬼気迫った表情で、何やら戦っていた。

 本当に、酷い夢だった。

 夢、だった……?


 ***


「……」


 城ヶ崎が目を覚ますと、見知らぬ女性の顔があった。


「目が覚めた?」

「……えっ、と」

「自分に何が起こっていたか、覚えている?」

「……何、が……っ、僕は……僕、は!」


 少しずつ記憶が甦ってくる。あれは夢などではなかった。紛れもない事実。現実だった。

 恐ろしさで息が詰まり、喘ぐ。

 女性は城ヶ崎の肩を撫でて、落ち着くように促し、ゆっくりと告げる。


「貴方は悪いものに取り憑かれていたの。貴方は何も悪くないわ」

「でも、僕は……!」

「城ヶ崎圭介君」


 女性――美里はそっと目の前で泣く少年の名前を呼んだ。


「大丈夫。もう、あんなことにはならないから。貴方の体質は私達が管理する」

「え……?」


 すると、城ヶ崎の視界の外で控えていた荘司も加わって、城ヶ崎の手に小さなものを握らせた。


「初めまして、城ヶ崎圭介君。俺は富士宮荘司。こっちは姉の富士宮美里。今までよく耐えたね」


 これからはもう心配しなくていい。怖がらなくていい。

 初対面の大人二人にそう告げられた城ヶ崎は困惑して瞬きしていた。


 ***


「良かったの?」

「何が?」

「後輩の様子、見てなくて」


 千尋と桜緋は少し組合で休み、城ヶ崎の目覚めを待たずに自宅へ戻ってきていた。ベッドの上で横になっている桜緋が、机に向かっている千尋に問いかける。

 千尋は桜緋の問いに頷いた。


「うん。城ヶ崎とはそういうしがらみなしでから。これでいい」

「そうか……」

「桜緋、どうした?」


 何かを考えているような様子の桜緋に千尋は首を傾げた。


「……いや、何でもない」


 桜緋の胸にあるのは拭いきれない疑念だった。

 城ヶ崎という少年の半邪気化とも呼称できる今回の事件。少年の血筋が一番の原因であったが、それにしても妙だった。


(彼の守護者であった父親が死んだのは、つい最近のこと。それにしても発症が突然過ぎる)


 最初の異変は父親が亡くなった直後、今年の初春だったと彼は邪気に侵されながら、残った微かな自我で語っていた。


(守護者が亡くなったからといって、僅か半年ほどであれほどまでに、邪気が魂を喰らい尽くせるものか……?)


 今年の邪気全体の傾向として言えることがある。

 ひどく活発なのだ。去年とは比べ物にならないほど、強力で数も多い。

 春の件といい、夏の件といい、定期的にあれほど大掛かりな修祓を行うことは、そうそうない。

 組合の方でも対処に困るほどだろう。ゆえに未熟な上、術者や祓い屋志望でもない千尋まで利用している始末だ。この事態は異常である。


(この一連の傾向には裏がある。何らかの背景がある)


 それが、春先から抱いている予感であったならば、自分は何をすべきか。


(……その時がきたら、私は責任を取らねばならないな)


 自分の詰めの甘さが、この事態を招いているのなら、自分は自らを断罪せねばなるまい。

 しかし、それでも、この期に及んで自分はまだ……


「桜緋!」


 千尋の強い呼び掛けで桜緋は我に返った。

 机について何か書き物をしていた千尋はベッドの縁に腰をかけて、心配そうにこちらを見下ろしている。


「千尋……」

「桜緋の考えてることを僕は聞かないし、口出しもしないけど」


 千尋は桜緋の左腕に触れて、包み込むように優しく微笑む。


「辛いことがあるなら、言える範囲でいいから、僕に話して欲しい。少しでも、桜緋が楽になれるように、僕を利用してくれていい。霊力の補填と同じように」

「千尋……す」


 すまない、と言いそうになったが、桜緋は途中で口を噤んで言い直した。こういう時は、こちらの方が合っている気がする。


「ありがとう」


 それを聞いた千尋は一瞬瞳を丸くして、次いで照れ臭そうに笑う。


「どういたしまして」


 ***


 城ヶ崎に贈り物と連絡先のメモを渡して家に帰し、荘司は自宅に戻ってきた。姉は後処理と報告書の作成で、今晩もまた支部泊まりである。


「中間管理職は辛いものだな」

「荘司、茶くらい自分で淹れろ。僕らも今日はかなり疲弊している。小間使いをしてやる余裕もない」

「そう言いながら淹れてくれるじゃないか。ありがとう、石哉」


 水黎は霊体化して控えている。大技を使ったらしく窶れていたため、指示がない限り顕現しないよう厳命してある。でないと、雑用から身の回りの世話、部屋の掃除等々、何でもやりかねない。それでは身体が休まらないだろう。

 ということで、いつもは水黎が率先してやるような雑用を、比較的消耗の少ない石哉にやらせているのだった。


「僕だって二人ほどではないにしろ、霊的に消耗している。少しは男にも労りというものを見せてはくれまいか。お前はいつも女にばかり優しい」

「不満か、石哉」

「当たり前だ」

「なら」


 荘司が盆で茶を運んできた石哉の頭を軽くポンポンと撫でた。


「……お前、あれほど祓っておいて、ここまでの力が残っているのか?」


 頭に触れられただけで足りない霊力が補填された。荘司とて、今日はかなりの量を相手にしていたはずなのに。


「ああ。だから、何かやったら霊力を分ける。次は風呂を沸かしてくれ」

「全く、精霊使いの荒い男め……!」


 そう言いながらも風呂場に向かう石哉。素直じゃないな、と荘司は文庫本を片手に苦笑する。


「む……」


 膝の上に乗っていた頭が動いた。

 荘司は本を閉じて、膝の上で寝ていた女に声をかける。


「起きたか?」

「……むぅ」

「まだ寝惚けているか」


 それも仕方ない。梅妃がここまで疲弊しているのは前代未聞だ。出会ってから、水黎や石哉がダウンすることはあっても、梅妃が倒れることはなかった。


「もっと眠ってていい。休んでくれ、ひめ


 髪を梳いて、眠るよう促す。

 すると、瞼を閉じながら梅妃が譫言を呟いた。それを聞いた荘司は声を出さずに笑って、再び文庫本に目を落とした。

 隣に霊体化した水黎が不服そうに座っているのも感じる。霊体化したまま凭れかかってきた水黎をそのままに、荘司は読書を再開する。

 普段の梅妃は決して口にしない。どんなに心に抱いていても、口にはしないであろう本心。


「慕っておるぞ……荘司」


 知っているよ。

 俺も皆のことを大切に想っている。


 ***


 後日、千尋は魁斗を誘ってバスケ部の試合を見に来ていた。


「いけいけいけ!」


 バスケ経験者の魁斗は応援に熱が籠っている。千尋もバスケはよくわからないが、狭いコートを走り回る城ヶ崎を目で追っていた。

 ボールをドリブルする城ヶ崎が次々に相手チームの選手を三人抜いて、ゴールに向かって飛び上がる。そして、驚異的な脚力でゴールにダンクシュートを決めた。

 そこで終了のホイッスル。僅差で三笠高校の勝利だ。


「っしゃァ!」

「やった!」


 魁斗はガッツポーズ。千尋は客席から拍手を送る。

 仲間と勝利を喜んでいた城ヶ崎が千尋の視線に気づいたのか、客席側を振り返った。そして、満点の笑みで親指を立てた。


 ***


「先輩、見に来て下さってありがとうございます」

「最後のダンクシュート、かっこよかったね」

「これで県大会に進めます。頑張らないと……先輩」

「ん?」


 千尋に話しかけなから自動販売機でジュースを買う。ガゴンと音を立てて出てきたスポーツドリンクのペットボトルを持って、城ヶ崎は千尋を振り返る。


「あの日のこと、聞かないんですか?」

「うん。あくまで僕らは先輩後輩の仲だからね。あちら側の話はしたくない。城ヶ崎もそうだろ?」

「まぁ……確かに。先輩と気まずくなるのは嫌ですね」

「でも、強いて聞くなら」

「はい」


 自動販売機の前のベンチに腰掛けている千尋の横に同じように座り、城ヶ崎は相槌を打った。


「今は体調、大丈夫?」

「ええ。もう暴走することはないそうです。富士宮さんから、これ貰って」


 紐で首から下げている御守りを服の下から取り出す。


「魔除だそうです。定期的に組合に通って、術を施せば、もうあんなことにはならないとか」

「そっか。良かった……」

「……失礼ですけど、富士宮さんから聞きました。先輩の話」

「ああ。富士宮さんに僕から話しておいて欲しいって頼んだからね」

「先輩の体質も僕の御守りみたいな感じでどうにかならないんですか?」

『それは無理』


 隠形で霊体化していた桜緋が顕現し、二人の前で仁王立ちをする。


「城ヶ崎の体質は血筋によるもの。そういった、お家柄絡みの事例は多いのよ。長い歴史においてはね。しかし、千尋のは前世からの因縁が原因。そして、これは珍しい話。だから、治療法は現在のところない。理論上は前世との縁でも切らない限り、千尋の体質は治らない。無論、そんなことは不可能だけど」

「えっと、貴女はあの時いた……」

「やはり、邪気化したことで見鬼けんきになったのね。私の名は桜緋。桜の精霊よ」


 城ヶ崎はそれを聞いて表情を曇らせた。


「じゃあ、先輩はこの先ずっとその体質を抱えて……?」

「そうよ」

「そんなのって」

「あんまりだと思う?」


 千尋は城ヶ崎に笑いかける。


「僕はそうは思わない。桜緋と一緒なら、この厄介な体質もどうにかできる。やっていける。だから、あんまりだなんて思わない。……まぁ、こう考えられるようになったのは、最近なんだけど」

「成長したからな、千尋も」

「そうそう」


 城ヶ崎は曖昧に笑って同意しておいたが、やはりわからなかった。あんなに恐ろしい目に遭うのはもうごめんとしか思えない。

 けれど、目の前の先輩は自分と向き合って、精霊と共に生きると言っている。

 なんだか、それはとても……


「かっこいいですよ。先輩の方が、僕よりずっと」

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