人生相談
荘司が指定してきた場所は、名前を聞くからにお洒落そうな喫茶店だった。そして、それは横須賀にある店ではない。鎌倉の店だ。少し住宅街に入ったところにあるらしいので、鎌倉駅前で待ち合わせて向かうこととなった。
和葉はバスと電車を乗り継いで鎌倉駅に向かった。鎌倉なんて、何年ぶりだろうか。
大量の観光客に混じって改札を抜けた和葉の耳に、しっとりとした静かな声が囁かれる。喧騒の中なのに、その声ははっきりと和葉の脳に届いた。
『そのまままっすぐ』
声に従ってまっすぐ駅を出れば、シャツにジーンズ姿の荘司が立っていた。
旋毛でひとつに束ねられた腰まである長髪は、この真夏に暑苦しいと思いきや、荘司自身の洗練された霊気の影響か、むしろ涼しげな印象を受ける。
「久し振りだね、和葉ちゃん。夏風邪とか引いてないかい?」
「問題ないわ」
和葉の愛想のない返事にも気分を害した様子はなく、荘司はそうかそうかと満足そうに頷いた。そして、和葉を案内してきた影に目を向けた。
「水黎、ご苦労様」
「……いえ」
声をかけられた水黎は一瞬だけ顕現し、荘司に一礼すると再び隠形した。
荘司は仏頂面の和葉を振り返り、爽やかに笑った。
「じゃあ、行こうか」
***
小さな古民家を改造した喫茶店は、夏休みということもあってか、平日でも大変賑わっていた。店の外に、長くはないものの待っている人の列ができている。
それを見た荘司は苦笑した。
「あー……遅かったかぁ」
「人気なのね、この店」
「うん。穴場だよ」
「穴場とはとても言えない混み具合だけど」
「鎌倉の穴場なんて、すぐメディアによって公開されてしまうものさ」
やれやれと首を振る荘司。
和葉はそれ以上会話をする気もなく、荘司と並んで列につき、気だるげに瞼を落とした。
十分ほど待っていると、ようやく順番が回ってきた。店の中から小柄な妙齢の女性が出てきて、愛想のよい笑顔を向けてきた。
「いらっしゃいませ。二名様ですね」
「はい」
店員と同じように笑顔で答えたのは荘司で、和葉は瞼を落としたまま微動だにしない。
「店内とテラス席どちらになさいますか?」
「店内で」
「畏まりました。こちらへどうぞ」
店員について行くと、店の中でも奥の方にある少人数向けの席に案内された。
「お決まりになりましたら、この鈴でお呼び下さい」
テーブルの上に可愛らしい呼び鈴が置かれている。こういったシステムは女性受けするだろうな、と和葉は他人事のように思った。
店員から渡されたメニューを捲ると、これまた何とも女性の好きそうなスイーツの類が写真付きで載っていた。
和葉はメニューから顔を上げ、正面に座る荘司を見た。
「貴方、ほんと女子の好みってものをわかっているのね」
皮肉で言ったつもりなのだが、荘司は素直にその言葉を受け取って笑う。
「姉さんに仕込まれたかいがあるよ」
「支部長が……なるほどね」
そういえば、荘司はあの人の弟だった。
精霊組合横須賀支部支部長の富士宮美里。目の前にいる青年は、そんな彼女の弟で、優秀な祓い屋である富士宮荘司だ。
富士宮の人間は、一族で精霊に関わっている。血で受け継がれる高い霊力と適性能力。……和葉にとっては、羨ましい限りである。
和葉の表情が陰ったことに目敏く気づいた荘司だったが、敢えて指摘せずに呼び鈴を手に取って首を傾けた。
「決まったかい?」
「……ええ」
注文した品が揃うまで、二人は大した会話を交わさなかった。
***
注文したものは、荘司が餡蜜のセット。和葉は善哉のセットだった。
甘味であるというのにかなり量があり、食べ切るには時間がかかりそうだ。のんびり食べながら話そうということか。
和葉は温かみのある木でできた匙を手に取り、餡子を一口含んだ。初めて食べるはずなのに、懐かしいような優しい味がする。
…………!
ふと、耳の奥に甦る遠い日の声。
いつもなら罪悪感と後悔で胸が痛むというのに、今だけは目頭が熱くなった。不思議だ。
そんな和葉を見守っていた荘司が、湯呑みを唇につけながら、静かに告げる。
「……こちら側に囚われなくても、いいんだよ。君は」
和葉は自分が泣きかけていることに、ようやく気づいて、乱暴に目元を擦った。そして、気丈に言い放つ。
「囚われてなんかいないわ。私は自分に課したことを成したいだけ。……成さなければならない、だけ」
「それを囚われているというんだよ。和葉ちゃん」
餡蜜に入った丸餅を咀嚼して飲み込み、荘司は和葉を見つめた。普段温厚な彼にしては珍しく、その眼光は厳しく、鋭い。邪気と対峙した時のような戦意と殺気に満ちたものではないが、この視線は和葉を萎縮させるには十分だ。
「俺は腹を括った。小学生の時にね。祓い屋になることを己に課した。代わりに、本来普通の人として生きていたら得られるものを全て捨てることになったよ。思い出も、青春も、何もかも、全て」
「……」
「確かに組合には君のような学生もいる。……けどね、さすがに自分の人生が分岐点にきたら、彼らはきちんと、そちらを優先させている。己の人生を顧みず、こちら側に深入りするのは、俺のような血筋の者と、霊能力が極めて優れている者だけだ」
ふじわらくん、と和葉が小さく呟いた。
そう。藤原の双子は、極めて特殊な才覚を生まれながらに持っている。高い霊力だけならまだしも、邪気を惹き付ける能力や陰気を溜め込み利用する能力は、彼らにしかない。
こういった者は、こちら側――此岸と彼岸の狭間――に、深入りすることが許される。無論、本人がそれを望むならばの話だ。望まなければ、踏み込む必要はない。現に、千尋は最近首を突っ込み始めたものの、本格的に踏み込むつもりは今のところないだろう。
和葉が精霊と関わる理由は、言ってしまえば私怨だ。
過去に囚われたまま、未来を掴み損ねてはならない。
「君は目的を果たした後、きちんと人として生きられるのか」
「人として……」
「邪気を狩る者から人間の女の子に戻る日が必ず来る」
「……」
「それをきちんと、頭に入れておいて欲しい」
和葉が唇を噛み締めていたとき、荘司の携帯が鳴った。
「ちょっと失礼」
そう言って荘司は通話に応じる。
「はい。……はい。わかりましたよ、すぐ戻ります」
短い通話だったが、誰とのどんな会話なのか、和葉にはすぐ察しがついた。
「支部長から仕事の話……みたいね」
「うん。俺はもう行くけど、和葉ちゃんは善哉味わって行ってよ。本当に美味しいからさ」
荘司は二人分の会計をして店を足早に出て行った。
傍に隠形している楓雅が、気遣うような素振りをしていることがわかる。
和葉は桜緋と荘司、二人の言葉を頭の中で再生しては、眉間に深い皺を刻んでいた。
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