祓い屋からのお誘い

「和葉!」


 あの模擬戦から数日が経過した。

 和葉は相変わらず修行に励んでいる。

 といっても、普段は普通の女子高生。受験生だ。日中は学校の授業に出るし、帰宅してからは受験勉強に勤しむ。

 今日は夏休み開始前日。一学期の終業式の日だ。

 式を終えて、大掃除をし、ホームルームをして終わりという楽な半日スケジュール。

 鞄の中に参考書等を詰めていた和葉に駆け寄ってきたのは、クラスの友人だ。

 彼女は地元の市役所職員、すなわち公務員志望なので、大学受験とはまた違った意味で大変らしい。大学の一般入試は学力試験だけだが、公務員試験は学力試験の他に面接もある。まるで高校受験だ。

 慌てた様子の友人に和葉は眉を上げた。


「どうしたの?」

「先生が呼んでる。職員室に来いって」

「私、何かしたかな……」


 和葉の呟きに友人は何か言いたげな顔をしたが、それを口にすることはなかった。

 代わりに、笑顔で和葉を促す。


「さ、さぁ……でも、早く行った方がいいと思うよ」

「そうね。ありがと」


 行ってらっしゃいと手を振る友人に手を振り返し、和葉は教室を出た。

 和葉を見送っていた友人は、小さく溜息を吐いて心配そうな表情を浮かべた。


「自覚、ないんだよね……和葉」


 ***


「先生。志摩です」

「志摩さん、こっちよ」


 職員室の向かいにある相談室に連れて行かれ、先生と向かい合う形で席に着いた。

 和葉の担任は、まだ二十代の若手教師だ。生徒からのウケがよく、面倒見もいい。

 そして、この相談室は、スクールカウンセラーとの面談や、定期試験を受けられなかった者の追試に使われていて、普段は無人の空き部屋だ。比較的新しいテーブルのセットが結構落ち着くと、保健室の常連には評判らしい。

 和葉が座ると、先生は少し困惑した表情を見せた。和葉の落ち着きっぷりが理解できないといったところか。


「……志摩さん。どうして呼ばれたか理解している?」

「正直にいえば、していませんね」


 和葉は教師が相手だろうと物怖じしない。はっきりと自分の意見を述べる。


「成績は上位二十位以内ですし、模試の結果も悪くはありません。こうやって指導される理由はないかと」


 ……いささか、はっきり言い過ぎている気もしなくはない。

 しかし和葉の悩みは、剣客及び邪気を狩る者としての強さである。女子高生としての和葉は、全くもって問題ではないのだ。

 本人は問題ないと思っている。あくまで、本人は。


「あのね、志摩さん」


 先生が悲しげ、とも受け取れる表情で話を切り出した。


「志摩さんが優秀で勉強ができるってことは、私もよく知ってる。模試の判定も、この時期の生徒にしては、とてもいい線をいってると思う」


 でもね、と先生は続ける。

 和葉の解せないと言わんばかりの顔を見据え、静かに諭していく。


「この一学期にいい線いってる子に限って過信するの。大丈夫、自分ならこのままでいけるって」

「私は過信なんてしません。今後手を抜くつもりもないです」

「そうね。うん、わかってる。……でもね、志摩さん」


 先生は指摘した。

 和葉が最も咎められたくないことを。


「この時期になっても剣道部の練習に参加してる貴女がそう言ったところで、残念だけど説得力がないの」


 和葉の反論が途切れた。

 反論のしようがなかった。その通りだ。

 一般の、事情を知らない人間からすれば、今の和葉は未だに受験勉強に本腰を入れず、現在の実力が高いことから調子に乗って、慢心しているようにしか見えない。


「志摩さん。貴女が今最も頑張らなきゃいけないことはなに?」

「……」


 答えられない。

 邪気を狩る。大学を受ける。

 双方ともに、和葉の頑張らなきゃいけないことだ。

 しかし、本当は。本当は、違う。

 高校生として、この時代を生きる人間として、やらなければならないことは後者だった。


「皆よりも自分は先を行っている。……そんな意識は、もう捨てなさい」


 和葉は黙って頭を下げ、何も言うことなく、先生の許可をとることもなく、相談室から出て行った。


 ***


 そんな教師の目に余るほど、自分は剣技に比重を置いているのか。

 厳しい指摘を受けても、和葉は稽古を止められなかった。今もまた、自宅近くの小さな公園で木刀を振っている。この間、桜緋には青春も何もいらないと大層なことを言ってみせたが、やはりまだ自分は腹を括りきれていないらしい。教師からの指摘を思い出すと、太刀筋が乱れる。

 春の一件。藤原千尋と藤原千景。二人の持つ、霊力と異才。

 彼らの力と自分の力を比較することは間違っている。だが、彼らを見ていて思い出してしまったのだ。

 自分が邪気を狩る、真の目的を。それを、自分は何としても成し遂げねばならないということを。

 邪気は人を害する。だから、狩らねばならない。それも十分な大義だ。だがやはり、和葉は自らの目的のため、邪気を祓う。


「……っ」


 耳に蘇る、あの時の悲鳴。

 幻聴に思わず耳を押さえる。

 悲痛な叫び声。甲高い声音に込められた恐怖。

 あの時の自分に力があったなら、こんなことにはならなかったのに。

 何度も夢を見る。何度も同じ光景を目にし、何度も後悔する。和葉の運命を決めてしまった悲惨な過去は、彼女の深いところにまで根を張っている。

 逸る鼓動を必死に理性で抑え、和葉は息を吐き出した。


「……彼奴は、いつ私の前に現れるのかしら」


 現れたら間発入れずに斬る。

 その準備は、もうできている。


「こんなところにおったか」


 そんな和葉の背後に顕れた気配は、穢れたものではなかった。溢れ出る清浄かつ圧倒的な霊気。色鮮やかな衣装に身を包んだ女性のことを、和葉はよく知っている。


わっちを使い走りにするとは、荘司もいい度胸をしておるわ。何のために携帯があるのだか……」


 ぶつぶつと、ここにはいない男に対する文句を言っていても、その品格は保たれているから見事なものだ。


「……なぜここに?」


 振り返った剣士の問いかけに、艶やかな笑みを浮かべた梅の精霊は答えた。


「我らの若造が、うら若き乙女の相談に乗るそうじゃよ」

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