見舞い

 病院の最寄り駅前で魁斗が待っていた。


「おせーよ」

「いやいやいや……さすがにこれ以上早くは無理だって」


 剣呑な目で睨んでくる魁斗に千尋は思わず苦笑する。

 そんな魁斗の目の下には隈ができていた。一睡もせずに、ずっと千歳のことを看ていたのだろう。本当に、妹大好きなシスコンだ。……いや、これは家族として当然のことだろう。大切な家族のために何かをしてあげたいという気持ちは、誰しも持っている。自分だって、そうだ。


「……そういえばさ」

「あん?」


 千尋は朝から疑問に思っていたことを口にする。


「なんで、わざわざ家電いえでんに掛けた?」

「携帯の充電切れてた」

「充電器持ってなかったっけ?」

「家に忘れた」

「なるほど……」


 携帯の充電残量など、千歳を前にすれば問題にも入らないのだろう。


「ほら、行くぞ」


 ズボンのポケットに手を突っ込みながら魁斗が踵を返したので、千尋もその後を追っていった。


 ***


 病院までは歩いて十分ほど。大した距離ではないが、急勾配の坂道なので、なかなか足腰にくるものがある。

 立夏を過ぎ、熱気の増してきた外気の中を歩いていれば、嫌でもじわじわと汗が滲んできた。しかも、今日は綺麗に晴れている。快晴の日差しは、否応なく暑さに拍車をかけた。


「あっつ……」

「……なァ、千尋」


 手の甲で首元の汗をグイッと拭ったとき、前を行く魁斗が歩きながらこちらを振り返った。


「お前、怪我とかしてないか?」

「え?」


 何を言い出すのかと思って足を止めれば、魁斗はやけに深刻な顔をしてこちらを見ていた。


「千歳が回復したってことは邪気が祓われたってことだ。そうなると……お前と桜緋が、出張ったってことだ。そうだろ?」

「……そう、だね」

「お前は邪気を誘き寄せるためのルアーになれても、邪気から身を守る方法がねぇ。桜緋に守ってもらってたとしても、桜緋はディフェンスに徹してたわけじゃねぇはずだ。オフェンスもしてただろ。じゃなきゃ、こう事態が解決してるはずがねぇ。そうなると、だ。攻撃に集中したら、お前から目を離しちまって、それで……的な展開が起こることも十分に考えられる。むしろ、その可能性が高い。……実際、どうなんだ?」


 鋭い指摘だ。舌を巻くほどに。

 その通りとまではいかないものの、千尋が負傷したのは事実だ。

 隠し通せる相手ではないので、千尋は素直に肯定した。


「したよ、怪我なら」

「おい、千尋……!」

「でも、もう治ってる」

「嘘つけ! ンな簡単に……」

「傷つけられたのは霊体だから。千景の霊力で治してもらった」


 あっさりした千尋の態度に目を吊り上げた魁斗が、その後の言葉を聞くと納得の色を見せた。


「っ……なるほどな。確かに、彼奴ならそのくらいの芸当やれそうだ」


 嗚呼、と千尋は思った。

 幼馴染といっても、自分と千景では違いがあったのだ。普通の子と見える子の違いというものが。


「やっぱり知ってるんだ。

「まぁな。俺らは、お前と違ってガキの頃から色々見えてたしよ。……千景に教えられてなかったのか」

「うん」

「……ま、あの野郎はそういう奴だな。土壇場になって、やっと口にする」


 はぁ……と深い溜息を吐いたのは、今まで何も言っていなかった千景に対してだろうか、それとも、今まで何も気づかなかった千尋に対してだろうか。あるいは、両方に対してだろうか。

 たぶん、両方だろう。


「……ま。どのくらいの怪我だったか知らねぇが、すぐ回復する程度でラッキーだったな」

「一応、死にかけたんだけど」

「……は?」

「怪我の程度が軽かったんじゃなくて、千景の霊力がすごかったんだよ。千景がいなかったら、今頃死んでた」

「マジかよ……」


 なんてこった……と額に手を当てる魁斗を見ていたら思い出した。

 瀕死の時に見た、義行時代の記憶を。知ることは一生なかったはずの記憶の数々を。


「そういえば」

「今度は、どした」

「死にかけてたとき、桜緋の言う前世の僕ってのを見た」

「ほんとかよ……そりゃ本気で死にかけてたな」

「うん。……って、まだ疑ってたの」

「そりゃあよぉ…………ん? おい待て、前世のってことは……」

「魂の記憶ってやつだと思う」


 魁斗がまた大きな溜息を吐く。幸せが逃げていきそうだ。


「はぁ……で?」

「で、って?」

「なんか感想とかねぇのか? あるから、わざわざ俺に言ったんだろ?」

「感想、か……」


 特に考えていなかった。ただ単に思い出したから口にしただけだし。

 少し考えてみても、特に思いつかない。

 だけど、強いて言えば……


「あれは僕じゃない、かな」

「どういうことだよ」

「魂が同じってだけで、実際あれは僕じゃない。僕の魂を以前持っていた他人って感じだった」

「ほぅ?」


 千尋の考えが面白かったのか、魁斗が目を細める。


「けど、桜緋と会えたのはあの人のおかげだから、感謝もしてる。でもやっぱり、あの人は……他人だ。魂が同じでも、僕とは別人だ」

「そうか」


 それ以上、魁斗は追及してこなかった。しても意味がないと思ったのだろう。

 魁斗は再び前を向き、病院への上り坂を歩き始めた。


 ***


 千歳の病室に到着した当初、少し事件が起こった。事件というほどでもない。騒動のレベルだ。しかし、シスコンの暴走というのは事件と表現したくなるくらい、単独でもかなりの威力を持っているのだ。

 端的に説明すれば、二人が病室に入ると、そこはもぬけの殻だった。そして案の定、魁斗が千歳がいないと病室前の廊下で大騒ぎを起こしかけた。以上である。


「千歳ぇ!」

「落ち着きなって、魁斗! ここ病院! しかも廊下!」


 そんな魁斗の混乱もすぐに収束を迎える。

 たまたま部屋を通り掛かった看護士が、事態を察して教えてくれたのだ。


「森川さんなら、中庭に出られましたよ」


 即、中庭に向かった。


 ***


 中庭はちょっとした庭園のような整備がされていて、体調の比較的良い患者が外の空気を吸う憩いの場となっている。

 高台にあるこの病院から眺める景色は、なかなかのものだ。街はもちろんのこと、東京湾の水平線まで見ることができる。

 千歳は膝の上に置いたケースを撫でながら、そんな地元の風景を眺めていた。


「千歳!」

「お帰りなさい、兄さん。千尋君も来てくれてありがとう」


 二人が小走りに駆け寄ってくるのを、千歳は笑顔で迎えた。

 ベンチに座る千歳の前に魁斗は膝をつき、厳しい表情で叱責した。


「勝手に病室から出るんじゃねぇ! まだ病み上がりも同然だろうが! マジで心配したぞ、ったく……」

「そうなると思って、ちゃんとナースステーションに言っておいたんだけど……?」

「無駄だったよ。病室に千歳ちゃんがいないだけで恐慌しかけてた」

「あぁ……」


 駄目だったか、と顔を片手で覆う千歳。兄の恐慌する様を想像したのだろう。職員の方に要らない迷惑をかけてしまったと嘆いている。


「兄さん、心配のし過ぎよ。もうほぼ治ったのに、そんな周りに迷惑を……」

「馬鹿か」


 千歳は過保護な兄を諌めようとしたが、諌められた本人が真顔で言い返してきた。


「俺はいつになろうが、お前がいくつになろうが、お前のことを心配する。俺はお前の兄貴で、家族だからな」

「兄さん……」


 その言葉に何かを感じたようだ。

 千歳は、そっと兄に腕を伸ばして抱き着いた。魁斗も、その華奢な背中に手を回す。


「ごめんなさい」

「いい。俺も悪かった」


 そうやって妹を抱き締めていた魁斗が、ふと体を離した。


「おい。なんで今、楽器ケースなんか持ってんだ」

「これね。……千尋君」


 千歳が千尋の方を振り返り、ケースを開けた。中に入ったフルートを組み立てながら、千歳は言う。


「演奏会。せっかく来てもらったのに、聞かせられなかったから……せめて、ここでと思って」

「え、でも千歳ちゃん、まだ病み上がりだし」

「平気よ。このくらいなら。病室で楽器出すのは、ちょっとまずい気がしたから、ここに来たの」


 そう言っている間に組み立て終え、千歳はスッと構えをとった。


「ほら、二人とも座って?」


 言われるままに千歳を挟む形で二人が座る。

 千歳は、風に髪を躍らせながら優しい音色を奏で始めた。眼下の街並みと水平線を見渡しながらの演奏は、とても美しい。穏やかな調べと心地に包まれながら、しばらく千尋は千歳の演奏に聞き惚れていた。


 ***


 病院で二人と別れ、家に帰る。

 いつも通り裏から入ろうと思ったのだが、店先にいた人物を認めて思わず千尋は声をかけた。


「富士宮さん?」


 ちょうど会計を済ませたところらしい荘司は、その声に振り向くと、にこりと微笑んだ。

 その手には、菓子の入った袋が二つもある。たぶんだが、これは荘司が和菓子好きな甘党というわけではない。きっと精霊たちと分けて食べるのだ。一人の青年が食べるにしては量といい、内容といい、少し違和感がある。なんせ、大福に水飴に饅頭に桜餅、そして三色団子だ。


「あ、千尋君じゃないか。昨日はお疲れ様。ちょうどいい。少し話さないかい?」


 千尋はいったい何だろうと首を傾げ、一方の荘司は楽しそうな笑顔を浮かべていた。

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