激戦の先に
「っ……」
「和葉!」
思わずふらついた和葉を楓雅が咄嗟に支える。
その隙を突こうとした邪気を梅妃が打ち払い、二人を振り返った。
「大丈夫かの?」
「俺はな。だが、和葉が……」
楓雅の腕の中で息を整えていた和葉は、すぐ立ち上がり強気にも笑ってみせた。
「問題ないわ。余裕よ。ちょっと疲れてきただけで……っ」
しかし、台詞を全て口にすることもできず、再び倒れ込んだ。
限界なのだ。もうかなりの時間を戦っているが、襲撃の勢いが全然落ちない。
和葉とて人間。耐久力に自信があっても、この夢殿という空間では本来の力が出せない。なぜなら、肉体ではなく霊体――魂で戦っているからだ。肉体の体力もここでは意味がない。
魂および精神に直接、邪気からの攻撃を喰らい続けているのだ。そろそろ本人の意志とは関係なく、和葉という存在が邪気に食い尽くされる危険性が出てくる。
「荘司、すまない。離脱したいんだが。和葉がもう保たない」
「分かったよ。後は任せてくれ」
「ちょっと、楓雅! 私はまだ……」
「うるさい。無茶を言うな」
「でもっ」
「黙ってろ、和葉! 死んでからじゃ何もかも遅い!」
厳しい一喝に、さすがの和葉も口を噤むしかなかった。
そんな二人の元に水黎が近づいてきて、右腕を横一文字に振った。さっと、二人を覆う半球型の結界が築かれる。
「肉体に戻ってしまったら、もうここには戻ってこられないだろうから……ここで休んで」
「水黎、和葉はもう……!」
「本人の意志を、荘司は尊重する」
「くっ……」
和葉は戦いたがっている。だけど、それは半ば自殺行為だ。
まだ反論したげな楓雅の腕に、満身創痍の和葉がそっと触れた。
「楓雅……」
「和葉」
「お願い、やらせて。私は……」
和葉の邪気に対する敵意は生半可なものではない。
相討ちになってでも、邪気を滅す。その覚悟は、とっくの昔にできていた。
それを楓雅も分かっている。楓雅は、仕方ないと諦めるしかなかった。
「……ああ。そうだな。お前は邪気を滅ぼすために、俺と組んでるんだもんな」
少し休憩したら、また立ち上がる。立ち上がってみせる。
そう和葉が誓ったとき、今まで猛攻を加えてきた邪気たちが一瞬にして霧散した。
「これは……」
和葉が目を見開き、荘司も印を解いた。
「桜緋が本体をやった、のか……?」
***
桜緋は千尋の傷を押さえながら、自分らを囲う結界を維持し、加えて邪気本体への攻撃も行っていた。
「っ……なんてしぶとさ」
こんなにしぶとい奴は久し振りだ。百年に一度いるか、いないかの
霊力の具現である花弁に覆われた邪気は、一秒も耐えられずに消えるのが常だったというのに、こいつはもう一時間近く、くたばらずに粘っている。全く、なんてやつだ。
「そろそろ、私も……」
あらゆる作業を同時に行っているせいで、霊力の消耗が激しい。こういうときにこそ、千尋の霊力を貰いたいところだが、今の千尋は桜緋に力を分け与えるどころか、生死を彷徨っている。霊力の補給は不可能。
これはもう、どちらが先に倒れるかの持久戦だった。
「くっそ……!」
千尋の命の灯火と邪気。
両方見ているなど無理だ。しかし、やらねば千尋は死に、自分はこいつに食い尽くされる。できるできないではなく、やるしかないのだった。
「っ……ハ」
およそ千年ぶりの大ピンチ。笑えてきた。
ここで踏ん張らずにどうする。踏ん張らねば、義行に笑われるだろう。
「……っ! いい加減にっ」
一か八か。
結界への力を緩め、攻めの方に力を回す。
一発で殺らねば、殺られる。
それでも、構わない。終わらせるのだ。もう自分も千尋も限界なのだから――!
桜緋の花弁が刃の形を成し、邪気本体――桜の大樹に突っ込んだ。
「ッ」
深く邪気を抉った。
しかし、その脈動が止まった様子はない。
万事休す。そう、思った。
そのときだった。
「目には目を。歯には歯を。桜には桜、か。いい判断だが、ベクトルが違う」
静かな呟きと共に、放たれた矢。真っ黒な、どす黒い霊気を纏った、ただの矢が、邪気に突き刺さった。
あの邪気が悲鳴を上げ、あっという間に浄化されていく。
「陰には陰、の方が効いたりもする」
桜緋は声の方を振り返った。
「お前はっ……」
弓道部らしい袴姿。何の感情も浮かんでいない、冷静そのものの瞳。
千景は弓を下ろして、桜緋に軽く会釈した。
「桜緋さん。弟がいつもお世話になっています」
***
藤原千景は、藤原千尋の双子の兄だ。
二卵性で、あまり似ているところもなく、双子であることを疑われるのもしばしば。唯一、似ているところといえば……霊力の、強さだった。
小さい頃から変なものを見た。千尋は、まだ変なものを見るほどではないらしく、すくすくと普通に育っていた。
しかし、俺は違った。
変なもの、特に邪悪なものが見えてしまう。俺は奴らに屈したくなくて、弓道を始めた。心身を鍛え、多少のことでは動じない精神を築き上げた。
幼馴染の二人も変なものが見えたらしいが、彼らは良いものを見る目に恵まれたらしく、俺のように強くなろうとはしなかった。
子供のうちは、人でないものを受け入れる、人としての曖昧さがあったゆえに、このような対策がとれた。
幼馴染と今日見たものについて無邪気に話したり、変なものに負けないよう習い事という名目で修行したり。
そう考えると、千尋は不憫だった。
桜緋という存在によって、潜在的な力に目覚めてしまった。
持論だが、俺はこう考えている。
俺は、そんな千尋を護るために、一緒に生まれたのではないか、と。
だから俺は千尋を護る。兄として、弟を護る。弟に前世からの守護がいたとしても、一番のピンチには俺が護る。
なぜ、こんなに千尋と桜緋の事情まで知っているかって?
正直なところ、俺だって不思議だが……全部、夢で見たんだ。
***
千景は結界の傍まで歩み寄り、片膝をついた。
「これ、解いてもらっていいですか」
「あ、ああ」
結界の花弁が消えると、千景は千尋の近くに寄って容体を確認した。
「これはなかなか……」
ひどい。眉間に皺が寄るのも致し方ない。
虫の息もいいところ。止血されていなかったら、助からなかっただろう。
「千景、お前は……」
「今は千尋の蘇生を最優先にいきます」
険しい表情のまま桜緋の言葉を遮り、千景は傷口に両手をあてた。
「あくまで、ここは夢ですから。少しはご都合主義が通じてくれる……はず」
「おい」
「大丈夫ですって。兄貴が弟を救えないなんて、格好悪いじゃないですか」
千景の霊気が傷口から千尋に注がれていく。
「俺に溜まっていた陰気は、さっき使い切りましたから。今の俺の霊気は、精霊のよりも澄んでいる。穢れに傷つけられた魂には、いい薬になるかと」
「あ……」
呆然とする桜緋を千景は目線だけで振り返り、目元で笑ってみせた。
「俺はこいつの兄です。助けるくらいやらせてください。それに俺たち、霊力が強いところだけは、双子らしくそっくりなので。重傷を癒したくらいじゃ、ガス欠にはなりません。こいつは力を使う術を知りませんが、俺は必要に駆られて身に付いてしまいました」
「もう一人の兄は……」
「優一兄さんは普通の人ですよ。たぶん、双子だからというか……千尋の異常さに惹かれて俺は、こういう感じに生まれたんだと思います。……色々、夢で見ますし」
「……そうか」
桜緋の意外とあっさりした返事に、千景は瞬きした。
「どこまで知ってるとか、聞かないんですね」
「聞かないさ。聞いたところで、何にもならない」
「確かに」
「だが、ひとつ聞きたいことがある」
「なんです?」
千尋の胸に開いた傷口が、千景の力によって塞がっていく様を見ながら、桜緋は問う。
「私の過去は、清算されているのか?」
千景は頷こうとして、やめた。嘘を言っても、ためにはならないだろう。
「……いいえ」
「そう、か……またいつか面倒なことになる、というわけだな」
「申し訳ない」
「いや、構わんさ」
再び彼奴と
桜緋はそう思っていたが、その瞳には暗い色が映っていた。
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