僕は皆に支えられている
いい天気だ。穏やかな晴れ。だが、日光の下にいると少し汗ばんでくる。
まだ春だと思っていたが、徐々に夏が近づいてきているようだ。それもそうだ。もうすぐ、ゴールデンウィークなのだから。立夏、なのだから。
「よ。千尋」
演奏会は午後から。昼ご飯を家で済ませて、駅前で魁斗と待ち合わせていた。
ラフな服装をしていても、魁斗の場合、様になっている。バンドのボーカルをやっているだけあって、魁斗は美形なのだ。顔良し、声良し、歌良し。正直、ポテンシャルが高過ぎるだろう。嗚呼、同じ男だのに、自分はなんと凡庸で情けないことか。まぁ、比べること自体が間違いだが。
「千歳はリハがあるから先に行ってる」
「そっか。じゃあ、僕らは会場に向かえばいいってこと?」
「そ。……といっても、会場は学校の大講堂だけどな」
「私立らしいなぁ」
「ほんとな」
行くか、と魁斗に促されて改札を通って、ちょうど到着していた電車に乗った。
***
千歳の通う私立星門学院は、地元ではそれなりに名の知れた名門校である。名門といっても、千景の通う北辰学園にはとても勝てないが(千景の実力がお分かり頂けただろうか)。
横須賀に住みながら、私立に子供を通わせたい。しかし市外に通わせるのはちょっと……といった親のニーズに、星門学院は応えている形だ。
横須賀中央の駅から歩いて五分ほどの場所にある。かの有名な(有名と信じたい)三笠公園の近所だ。
自分や魁斗が通った、家から十分のところにある公立中学とは建物の格が違う。敷地内を歩く生徒たちの雰囲気も。
「俺らのマンモスとは訳がちげぇな……」
「あれは周辺に住む子供をかき集めただけだから……」
難易度の高い入学選抜試験を潜り抜けた生徒と、あの呑気な生徒たちを比べたら失礼だろう。
ちなみに、千歳は親に促された訳でもなく、自分の意志でここに進学した。なんでも、校風と吹奏楽部の実績に惹かれたのだとか。
そして、何のためらいもなく、小学校高学年時代を受験勉強に捧げたのだ。私立の高い学費も給費生に選ばれたため、三年間全額支給されている。
本当に、偉いと思う。立派だと、思う。
「俺は何回か来てるから迷いやしないが……ほんと広いからな。離れんなよ、千尋」
「うん」
そう頷いた時だ。
「あれ、もしかして魁斗さん?」
「あ」
通り掛かった女子生徒が魁斗を見て足を止めた。
魁斗は、しまったといった顔をしたが、もう遅い。その女子生徒の声に、他の周辺にいた女子も即座に反応した。
なんという反応の速さ。女子って、時々恐ろしい。
「え、嘘。ほんとだ」
「魁斗さん、なんでいるの?」
「ほら、今日吹部のコンサートあるから……」
「そっか、妹さんね」
「でもさ、ほんとかっこいいよねぇ」
「ほんとほんと」
隣にいる千尋への言及はゼロ。彼女らの目には、魁斗しか映っていないらしい。
魁斗の所属するバンドは、今はまだ無名だが、それでもこのように地元の女子を魅了しているのだ。世間に認められるのも時間の問題だと千尋は踏んでいる。
すると、あっという間に女子が群れを成し、そのうちの勇気ある一人が魁斗に近づいてきた。
「あのっ、魁斗さん! ……サイン、いいですか!?」
「……」
手に持っていたノートを差し出してきた女子を魁斗は困った顔で見下ろした。やれやれと言いたげに頭を掻いて、千尋を振り返る。
ここで一人一人応対していたら、確実に長くなるのを魁斗は分かっているのだ。千尋を待たせるのは悪いし、かといってファンを無下にもできない。そんな葛藤が言葉を発さずとも、十分に伝わってきた。
千尋は微苦笑を浮かべて頷いた。
「先に行ってるから」
「すまねぇ」
「いいって」
魁斗がいない状態で迷子にならない自信はない。ここの敷地は恐ろしく広いうえに、千尋は建物の配置等がさっぱり分からない。だが、ここは別行動をするしかなかった。
迷いそうになったら、関係者に訊くなり、案内板を見るなりすればいい。大丈夫な、はずだ。
『そう案ずるな。私がいる』
あ。
そうだ。
桜緋が付いてきていたのだ。すっかり失念していた。
魁斗も桜緋がいれば問題ないと思ったのか、一つ頷いてファンサービスを再開した。
……いやはや、それにしても。
千尋という人間は、そんなにも心配されるべき存在なのだろうか。しかも、迷子というレベルの心配を。
迷子になるかもと不安になった自分も、迷子になるかもと周囲から心配される自分も、情けないことこの上なかった。
『いいじゃないか。心配してもらえるというのは、実はありがたいことだぞ?』
桜緋の励ましも、もうフォローにすらなっていなかった。
そういう問題じゃないんだよ!
***
案の定というか。
この人生において公立の敷地が狭い学校にしか通ったことのない千尋は、早速自分が今どこにいるのか分からなくなった。
まずいなぁ……仮に大学進学したら苦労する奴だよ、これ。大学のキャンパスって広いし。
魁斗の通う仙城大学に行ったとき、ライブの会場に使われる建物がどこか分からなくなり、通りすがりの学生に助けを求めたことがある。
「お前の場合ただの方向音痴というより、自分がどこにいるのか分からなくなるタイプだから、たちが悪いな。地図を見ても、自身の現在地が分かっていないから意味がない。目的地に辿り着かない」
「頼むから傷口に塩を塗りたくらないで……」
人気のないところに迷い込んだため、桜緋も気を抜いたのか顕現している。その現実すら悲しい。
「大丈夫だ。人に訊くという行いに慣れておけば、今後初対面の人間と打ち解けやすくなるかもしれない」
「もう何も言わないで……」
桜緋が上空から敷地全体を見渡してもらったのだが、どの建物が大講堂なのか分からず、徒労に終わっている。
桜緋がいても迷子になってるじゃないか……
「何を言う。私がいるだけ心細くはないだろう?」
桜緋は肩を竦めて、千尋の頭を撫でた。
「自分を卑下するのは止せ。私は、そんなお前を気に入っているのだからな」
「桜緋……」
自分と変わらない見た目をしているのに、その瞳に映っている感情は同じ年頃の女の子には、あまり見られないものだ。
穏やかな愛情。春のように穏やかな、友を想う心。
若者の熱く激しい情とは異なる、永い時を生きているからこその情愛だった。
「あれ、千尋君?」
校舎と思われる建物の一つから、フルートと楽譜を持った千歳が出てきた。
「こんなところでどうしたの? 兄さんは?」
「魁斗は、ちょっとね……」
「……ああ。ファンに見つかったのね」
さすがは妹。こちらが言葉を濁しても察するとは。
「桜緋さんはお久し振りですね。お元気そうで何よりです」
「千歳も息災のようで何よりだ。ところで、大講堂はどこにある? 分からなくなってな」
「そういうことですか。分かりました。私も向かうところですし、一緒に行きましょう」
「助かる」
「いえいえ」
……僕が言うべきことだったのに。
桜緋に出番を全て攫われた千尋は遠い目をしていたが、不意に腕を引かれて我に返った。
「何を呆けているんだ。行くぞ」
「あ、うん……」
桜緋の小さな手に誘われ、千尋は歩みを進める。
「桜緋さんも来て下さるなんて思っていませんでした」
「精霊とて音楽を嗜むのさ。今日は楽しませてくれ」
「はい。もちろんです」
二人の親しげな会話を聞きながら、千尋は無言で歩く。
「――――千尋君」
「あ……なに?」
「そんなに暗い顔しないで? 誰も千尋君を責めてないんだから、自分を責めないの」
「……うん。そうだね」
生まれつき千尋には負い目がある。
邪気に惹かれ、惹きつける体質。
存在を知ったのは最近だが、今思えば、幾度となく自分の周りで起こった災難の原因は自分だったのではないか。
ゆえに、自分を過小評価してしまうのだ。
もともと、気が強かったわけではない。けれど、だからこそ――
「千尋」
闇に引き寄せられやすい思考。
だが、そうだ。今は。
支えてくれる友がいる。
「闇に呑まれるな。光に意思を向けろ。自分に自信を持て。引け目や負い目を感じる必要はない」
守護の――友の言葉は、千尋の胸に響いて、そこに温もりを生むのだ。
「じゃ、私は裏に回るから。客席にいて」
「うん。頑張って、千歳ちゃん」
「ええ!」
その眩しい笑顔も、千尋の心を支える柱。
桜緋が肩をポンと叩いてから隠形した。
さて、客席に向かおう。彼女の腕前は素晴らしいのだから。その成功を、見届けよう。
晴れやかな表情で客席に向かう千尋は、まだ気づいていない。
裏で発生した異常事態を、千尋も、桜緋も、まだ――――
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